わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

6月12日(金)は、出島の復元棟の棟上で餅まきがあります。

ずいぶん整ってきた出島。大正12年ころの地図と見比べてください。

明治37年に、海に浮かぶ出島の原型が埋め立てられました。

続いて(赤点)を削って川幅を広くしたのがわかります。出島は、今より少し大きく橋も小さかったんですね。

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下の地図は大正12年の地図。当時は、ゼンリンの地図やもちろん、google mapsもありませんでした。

出島は大正11年に国の史跡に指定されましたので、それで地図もできたのかもしれません。

大正時代の町名、電車の路線、電停も今とちがっていますね。

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出島を元の形に甦させるプロジェクトが進んでいてうれしいです。

餅まきにはカマボコも?まかれるとか、、ぜひ行かんばいかん!!

晴れてくれんば困るとです。



5月31日は、出島に住んでいた集いの方のTV取材がありました。

取材は、昔の写真の話、出島にまつわる「長崎手帖」の音読などです。

それにケンペルが調査報告した出島地図(出島のまわりに杭が13本打ってある・長崎市史・地誌編 昭和12年発行)を見ながらの話など。

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この長崎市史によると、今は出島(デジマ)と発音する人が多いが、元は築島(ツキシマ)と呼んでいたと書いてありました。

最後に、将来の出島の姿をインタビューされて、皆さん長崎の看板になるように願っていると応えていらっしゃいました。

表門完成が新たな杭が発掘調査で出てき半年ほど延びるもようです。今回は先に進まず、長崎一番帳125まで。次回の集いは、6月21日です。

KTNテレビ長崎の放映は6月5日の18:15~19:00の間だそうです。



出島に住んでいたというと「うそ〜」と言われます。

いやいや、小学校から高校生までこの立っている場所に住んでいたんです。4歳ごろの写真もあります。

今回、KTNの取材をうけました。6月上旬に放映されるらしいです。

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毎日この場所から、新興善小学校→片渕中学校→長崎東高校へ通って育てられたと思っています。

子どものころは、嫌だったこともたくさんありました。

でも、私のだいじなルーツです。



第三十五回、長崎の出島オランダ商館跡地にお住いだった方々、昔の長崎に興味のある方々の交流会です。

テーマは「長崎手帖」に沿ってです。会費は無料。

第三十四回のようすはここです。いらっしゃってみませんか?

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第三十五回「出島集い」
日時:2015年5月31日(日)11:00~13:00
場所:長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(昭和30年ごろの長崎のようす・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり 要連絡
e-mail : warabeutaアットgmail.com 

出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。

昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。


大きな地図で見る



いよいよ、2016年に出島表門の新架橋がかかります。

その橋のデザインと、江戸町側の公園の担当者説明会に行きました。

渡邉竜一さん・EAAデザイン、崎谷浩一郎さん・EAU公園プロジェクトの試みが聴けました。

玉江橋から夕暮れの出島
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まずは世界の歴史に残っている橋から紹介され、その中で一番惹かれた言葉は、「橋は文化である」でした。

フランスのポン・デュ・ガール、イタリア のヴェッキオ橋、イギリスのアイアンブリッジ・・。

これらの橋は、当時は斬新で驚きな橋だったはずです。だとしたら 出島表門の橋も、単なるイミテーションではないほうが良いと納得しました。

最新の技術で出島の景観をそこわない橋。今から楽しみです。



4月19日にあった「出島の集い」のようすです。

長崎手帖の長崎歌・我長崎 其二は、歌で綴った明治33年前後の長崎の案内地図でした。

これに節を付けて、、のご要望ながら音読しながら節はちょっとかんべん願いました。

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124:長崎で、一番力が強いのは(ここでは起重力であるが)三菱造船所の扛重機。扛重機というよりも、長崎っ子には ジャイアント・グレーンといったほうがなじみ深い。このクレーンが港の空にそびえたのは、丁度五十年前の明治四十二年(1908)十二月十四日。英国製で、当時日本人は操作することを知らなかったので、英人技師のジャリー氏は鼻高々とでっかい物を吊り上げたり、向きを変えたりしていたそうである。 ところで、その力であるが、起重力一五0屯と言われるから、トラックなら三十台、特急さちかぜの機関車なら二輛半(石炭車を含まない)長崎料理に出る鯨(全長二十五米)なら一匹半を一度に吊上げる計算になる。なおクレーンには係員以外は登れないが、上からの眺めは市内を一望のうちにおさめて、石川五右衛門ではないが、絶景かなと思わずうなりたくなるそうである。

このクレーンは今、2015年でも使われていて、2003年に国有形文化財に登録されたものです。

4月18日放送の「ブラタモリ 長崎編2」にも取り上げられたそうですよ。

今回は、長崎手帖No.12 長崎歌・我長崎 其二〜長崎の漬物2〜長崎あれこれ11〜長崎一番帳125まで。

前回はここ。次回は5月31日の予定です。



第三十四回。長崎の出島オランダ商館跡地にお住いだった方々、昔の長崎に興味のある方々の交流会です。

テーマは「長崎手帖」に沿ってです。会費は無料。

第三十三回のようすはここです。いらっしゃってみませんか?

第三十四回「出島集い」
日時:2015年4月19日(日)11:00~13:00
場所:長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(昭和30年ごろの長崎のようす・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり 要連絡
e-mail : warabeutaアットgmail.com 

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出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。

昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。


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長崎県美術館であった出島のシンポジウムです。

ライデン国立民族学博物館の学芸員マティ・フォラー氏の基調講演と5名のパネルデスカッションでした。

「海外から見た出島の価値」をそれぞれ話されました。

出島の復元は、川原慶賀の絵を元にするのでなく発掘し出土品から、考古学、歴史学、建築学の見地で進められたそうです。

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貴重なこと。オランダ東インド会社で外国に残っている歴史的遺産は、唯一世界で出島だけだそうです。

長崎大学の中に多文化社会学部オランダ特別コースがあるそう。

長大はおもしろいことをしてますね。



3月14日は5名が参加されました。

今、話題の戦艦武蔵の発見が話題になり、宮田さんから勧めていただいた「戦艦武蔵ノート」も読まなくちゃです。

さて、集いはいつもの長崎手帖の音読の続きです。
慕情曼荼羅
私が、いつもうつくしく心をひかれるのは長崎の女性である。
顔かたちが、名産茂木びわに似ていて瓜実顔(うりざねがお)であるのも美人を思わせるが、あの果肉のように、水々しさが漂う小麦色の肌色は健康を思わせ、あるか無きかのうぶ毛が、いかにもういういしくて魅力的である。

それに先輩の女性が、悲話の持ち主で、今もなお語り伝えられている事は石段、石橋、石畳道の行きずりに見掛ける女性にも、何処かそんな風なものが秘そんでいる様に思われ、旅人の慕情をそそるのである。
ジャガタラお春は、才女で名文を書き送ったし、お菊さんはロチの心をゆさぶったし、蝶々夫人は、悲しくもまた晴れやかな舞台に蘇返っている。

ロマンの丘、ロマンの海、そして石畳の道までも。長崎は長崎の女性がここに三世紀に互って繰り広げたロマンの街である。  寺本春風氏の記事より抜粋。
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宮田さんがお元気になられたら、武蔵のお話を伺いましょう。

今回は、長崎手帖No.12 新長崎地図7 館内町〜碑をたずねて7 横山桜〜長崎を囲む樟樹(くすのき)〜慕情曼荼羅〜浦上廃墟〜長崎歌・我長崎まで。

前回は、ここです。次回は4月19日(日)の予定です。



第三十三回、長崎の出島オランダ商館跡地にお住いだった方々、昔の長崎に興味のある方々の交流会です。

テーマは「長崎手帖」に沿ってです。会費は無料。

第三十ニ回のようすはここです。いらっしゃってみませんか?

第三十三回「出島集い」
日時:2015年3月14日(土)11:00~13:00
場所:長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(昭和30年ごろの長崎のようす・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり 要連絡
e-mail : warabeutaアットgmail.com 

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出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。

昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。


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今回は、集いの前に出島発掘調査現地説明会があり、参加しました。

いよいよ待望の架橋が現実になってきてうれしいことです。雨天を危ぶみましたが、江戸町側の説明会でした。

「出島の集い」は内外クラブで6名参加、長崎手帖からのご紹介です。

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長崎手帖No.12 唐人屋敷の思い出より 唐人屋敷に落付いたら門外には、一歩も出ることならんから、内から、豚屋、酒屋、と高ごえでよんで註文をする。
唐人屋敷の出入人は、何の商人でも定まって居て、仲居に至る迄外から入る事ならん。門を出入りする時は、遊女より仲居に至るまで、身体けんさして、一物も持ち出す事ならん。しかし遊女でも、下駄の歯に引き出しを付けて、サンゴジや、めずらしい物を持ち出して高く売るお客の支那人と話し合うて、持ち出す遊女も会った由。

唐人屋敷の品を一物でも密売した人は唐人屋敷の前でたたきばらいに合う。百たたき、二百たたきと云うで、つみの次第で数多くたたかれる。
密売すると利益が多いから、密売買をする。これを「バハン」と云うて、きもの太い人は唐人船が着くと、炭俵を頭にかぶって、炭俵のうかったように見せかけて、およいで内しょで船にのりこみ、商品を受け取ってあきないをする人さえあった。

炭俵を被って浮かせたように見せかけ、唐人船まで波間を数キロも泳ぐ、バハンの姿を想像してみなさんの大笑いです。

他に、長崎の方言「おめく」=叫ぶ。の文も笑いを呼びましたよ。

今回は、長崎手帖No.12 たのしきふるさと〜唐人屋敷の思い出まで。前回は、ここです。

次回は3月14日の予定です。



出島の発掘調査説明会に行ってきました。

これは、出島表門橋架橋に伴う江戸町側の発掘の説明会でした。

掘ったところに杭が何本も建っていたり、階段があったりと、明治期に埋めた様子が解っておもしろい。

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今の出島の扇型石造りの護岸は、明治20年に削られてしまったそうです。

削った理由は、中島川を広くすることで川の流れをスムーズにして、船などが行き来できる川幅にするためだった。

もっと、出島は江戸町よりだったのだ!! すると、今より江戸時代の出島はビッグだったということです。

参加者は各コース40名、でも50名位はいたかも?人々の関心が高いですよ。



第三十ニ回、長崎の出島オランダ商館跡地にお住いだった方々、昔の長崎に興味のある方々の交流会です。

テーマは「長崎手帖」に沿ってです。会費は無料。

第三十一回のようすはここです。いらっしゃってみませんか?

第三十ニ回「出島集い」
日時:2015年2月28日(土)11:00~13:00
場所:長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(昭和30年ごろの長崎のようす・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり 要連絡
e-mail : warabeutaアットgmail.com

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今回は、当日「出島発掘調査現地説明会」が開かれます。時間的に「出島集い」の前後に参加できます。(広報ながさき25P掲載)

参加ご希望の方は、申し込みますので上記の山田までご連絡下さい。


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2015年に入って出島は復元工事が大きく前進しそうです。

出島の集いには、5名の参加され、長崎手帖も少しづつ進んでいます。

長崎手帖No.12 茶のみ話より オランダナスビ
「おそろしか、あすこはオランダナスビば食べよるばい」と言って驚いたのは、明治三十年頃のことでしたか。オランダナスビは今でこそ珍しくありませんが、当時はいわゆる舶来物、まだ一般の家庭では余り食べていませんでした。無論、値段も高うございました。オランダナスビと言うのは、今のトマトのことですよ。オランダナスビと言ったり、ジャガイモのことをオランダイモとよんでいたのは、本当に長崎らしい言葉と思います。 本籠町 本田藤太郎氏

復元工事というのは、長崎県庁裏道りから架かる出島の表門橋。そのための建築現場がドドンと出現していました。

やはり、キーポイントの橋は欠かせません。2016年秋には出島の形が整うと思うと、今から楽しみです。

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今回は、長崎手帖No.12 茶のみ話〜私の長崎案内〜道富丈吉の墓〜写真と長崎まで。前回は、ここです。

次回は2月28日の予定です。



1月26日は、新年初の出島の集いでした。2ヶ月ぶりです。

出島は、2016年秋に架かる表門橋にむけて本格的な工事現場が建っていました。只今、旧石倉の前の庭園は閉鎖中。

旧石倉の前は、私が高校まで住んでいた場所で、また60年前と同じ工事現場が建っているのです。

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感慨深く、父が監督してる姿がでている新聞記事を出してみる。

あっという間に月日が経って不可思議です。時間の経過が実感なく、あぁ・・・・という感じになりました。

父が亡くなって15年。これを見て父はどう言うのだろう?

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どこからか「いよいよだな〜」と聞こえて来るように思う。


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