わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

20日、大村に長崎と同じ講演会を聞きに行ったんです。
なんで2回も!!って、、、、よく解りたかったんです。頭の整理をつけたくて。

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ージョン万次郎の生い立ちと坂本龍馬ー  (頭の整理のために)

1827年:万次郎、土佐の漁村に生まれる。

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1835年:坂本龍馬,土佐に生まれる。(万次郎と8歳ちがい)
1836年: 9歳、父が他界。家計を助ける。
1841年:14歳、運命の漁に出て5名遭難、ホイットフィールド船長に出会う。
1843年:16歳、船長に迎えられ万次郎一人アメリカ生活が始まる。他4名ハワイに残る。
1844年:17歳、バーレット・アカデミーで英語、数学、測量、航海、造船技術などを学ぶ。
1846年:卒業後、1846年から数年間は近代捕鯨の捕鯨船員として生活する。
    帰国の資金の為にカリフォルニアの金鉱にて金を採掘、600ドル調達。
1851年:25歳、ハワイに残った3名と薩摩藩に服属していた琉球に上陸、帰国。
    海外から鎖国の日本へ帰国した万次郎達は、薩摩藩や江戸幕府の
    長崎奉行所などで長期間尋問を受ける。
1852年: 河田小瀧が取り調べ報告書「漂巽紀略」を書く。

1853年:龍馬,江戸「千葉定吉道場」入門。ペリー来航。
1854年:龍馬,土佐に帰り河田小瀧宅で万次郎の世界観を学ぶ。

1860年:33歳、勝海舟らと咸臨丸でアメリカへ。

1862年:龍馬,勝海舟の門下生になる。
1864年:龍馬,30歳,勝海舟に随行して初長崎へ。

1866年:39歳、土佐の開成館に赴任する。
また、後藤象次郎と長崎・上海へ赴き土佐帆船「夕顔」を購入。

1866年:龍馬,薩長同盟成立。寺田屋襲撃事件。幕長戦争に参加。
1867年:龍馬、4月「海援隊」発足。6月後藤象二郎に船中八策を提案。
同年11月京都「近江屋」で闘死、龍馬33歳。

1868年:41歳、明治維新後、開成学校(現・東京大学)の教授に任命される。
1870年:43歳、明治3年,普仏戦争視察団として欧州へ派遣される。
帰国後に軽い脳溢血を起こし、回復するが、以後は静かに暮らす。
時の政治家たちとも親交を深め、政治家になるよう誘われたが、教育者としての道を選んだ。
1898年:72歳、明治31年死去。

ージョン万次郎ー 日本初
* 『ABCの歌』を日本に初めて紹介した。
* 日本で初めてネクタイをしたとも言われる。
* 初めて鉄道・蒸気船に乗った日本人でもある。
* 日本人で初めて近代式捕鯨に携わった。
* 日本人で初めてアメリカのゴールドラッシュといわれる金の採掘に携わった。
* 「新アメリカ航海術」を和訳している。
注)中濱 萬次郎=ジョン万次郎:井伏鱒二の「ジョン萬次郎漂流記」でこの名前が一人歩き。
参考資料:Wikipedia

私の「ジョン万次郎のすべて」講演会2回の後感想です。
一回目はやっぱり聞く耳がダンボだったなあ、でも大村では面白いガイド冊子をもらえたんです。
「坂本龍馬副読本&21世紀長崎県観光便覧」です。参考になりましたよ。
このパフレットは大河ドラマ「龍馬伝」にピントを合わせていてオモシロかあです。