わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

長崎歴史文化協会に行きました。

2013年12月13日、越中哲也先生は92歳の誕生日を迎えられました。

お元気でなによりです。おめでとうございます!!

びっくりしたことに、素足に慶事用の白雪駄を履いていらっしゃって、3年前のお誕生日とおかわりなくワイシャツ一枚姿です。

思わず、寒くないのかな?と心配します。

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心配をよそに、かわらず研究されてて頭がさがりました。

ちょうど、脇山先生と宮田さんが食の現状を講義中。その輪の中にダンカーズのNさんと勉強させてもらって良かったです。

帰りには、ながさきの空ー創立30周年記念特集号ーを頂いてきました。

お元気で、ますます研究に専心されますことを願っております。



くんちのお礼に長崎歴史文化協会へ出かけました。

長崎の歴史を語るなら越中哲也先生。郷土史家の第一人者です。

今日は、長崎にある唐人墓についてのご教示しておられました。

知恵が浅い私には、歴史文化協会は生き字引の先生方がいらっしゃるありがたい所です。

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亡父が越中先生の仲人だったこともあって、親しくして下さいます。

帰りに「これから母のところへ行きます」と言うと越中先生は「まぁだ、生きとったとね!」と。

先生は母と1歳ちがいなのです。いつもの毒舌が止まりません。

母と同じくいつまでもお元気でいらっしゃって下さい!!



台風24号はやっと無事に通過しました。

順延の為、くんち中日の庭先回りが9日になりました。

まずは、長崎歴史文化協会へ妹とご挨拶に伺いました。

通年のくんちTV中継の解説でお疲れでしょうが、越中先生は、お元気そうでした!!

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桶屋町のくんち奉納は本踊です。藤間流のステキな踊りが見れます。

いつみても日舞の衣装がカッコイイ。華やかです。

庭先回りは、12:00集合。赤組、白組に分かれて13:00出発です。

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地方(ぢかた)さんに、わらべうたのお母さんだった方がいらっしゃった。三味線片手に黒のステキな艶姿です。

7年前もご一緒したけれど、三味線をされているとは知りませんでした。

地方さんは踊りの要。脇で演奏されるのについて行けてうれしいです。

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7年前に同行された方も少なくなりました。さびしいです。

庭先回りは、長崎の町中を夜まで回り足が棒になります。

元気なうちに参加させて頂いてありがたいです!!




長崎歴史文化協会であった長崎くんち考の講座の続きです。

越中哲也先生のくんちに向けての講座は人気です。

長崎の歴史をもらさずご存知ですので、県外からも問合せがきます。

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講座がおわってもテキパキとくんちの手配やお客様に対応されます。

長崎には、くんちを指南される重鎮が居なくてはなりません。

お元気で来年もお願い致します!!


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青木賢清伝
 梵鐘の銘(慶安四年ー1651)遷宮
    宮司大僧都 金重院賢清  神主 青木大輔
    不知其基何時也・・・・・・
賢清伝 ◯唐津住 草野、松浦氏の一族青木永俊の子
    ◯唐津鏡神社転 後、佐賀に住し修験道に入る
    ◯武雄山内宮野黒髪神社(天台宗黒髪大権現)
    ◯青木氏と公文九郎左エ門(長崎の人、武雄?)

慶長19年(1614)の長崎の町
最初の6町 江戸、内下、樺島 本五島、浦五島、本博多、新・本興善、 後興善、金屋、今、引地、桜、内中、小川、船津(18町)
古川、本紺、興善、豊後、小川、上、紺屋、大工町、魚(9町)

寛永18年(1641)内町25。 外町74。
     くんち7日は11町。 9日は10町

寛文12年(1672)全市77町と(丸山、寄合、出島)÷7=11町
     7つに分けた理由

◯初期のくんち奉納踊
  楽器(太鼓(大小)、鼓(大小)、笛、鉦)
  舞台、檀尻(山車) 歌舞伎(慶長(1603)年間より)
  獅子舞(八代市 北斗祭)浮立、流鏑馬(やぶさめ)

◯くんち料理(長崎学 續食の文化史p78-93 純心博物館刊)
  太平、海老糖、しめじ茸、カステラ
  料理 十六寸(豆)、栗ようかん、南京芋、蓮根、鰯塩焼、カンボコ、桃饅頭、栗、千代飴、結びコンブ、赤飯、刺身、塩物

[資料]寛文長崎図屏風(イギリス・リタン号入港1673) 長崎諏訪礼屏風(国歴民博)
    長崎古今集覧名勝図絵、長崎名勝(肥塚本)、くんち絵巻(1800)長崎市史風俗編


長崎歴史文化協会とは・「ながさきの空」No.1〜No.125

長崎歴史文化協会
〒850-0027 長崎県長崎市桶屋町54‎
095-821-1540




長崎歴史文化協会であった長崎くんち考の講座にいきました。

くんちが近いので越中哲也先生の講座でした。



講座は、本や資料では伝わらない越中先生の人間味のある解説が楽しかったです。

ほんとうに、詳しく頭脳明晰で元気でいらっしゃいました。


長崎くんち考

1くんちの語源
   重陽(旧暦)
2,京都祇園会(ギオンの語源)の行列
   山笠(ダシ) 傘鉾(長刀鉾) 行列、前夜祭
3,博多と対外貿易  大内氏文化と京都
4,キリシタン時代の長崎開港(1571)
   イエズス会に長崎寄進(大村純忠) 浦上寄進(有馬氏)
5,豊臣秀吉のキリシタン政策と交易
   1587年6月7日(天正15)秀吉博多へ(九州経路)
      6月17日     キリスト教禁制
      6月18日     コエリヨ博多にて秀吉に面接
      長崎領人発令(高木、高島、後藤、町田の四人)

   1588年4月 鍋島直義 長崎代官(イエズス会領)
      5月 浅野長政、戸田勝隆 長崎支配

   1592年(文禄元) 朝鮮役 4月 秀吉、唐津名護屋着
             須川主人 他、秀吉に会う
       長崎奉行として 寺沢広高(唐津の城主) 代官 村山等安
   1596年(慶長元) 26聖人殉教 
   1598年(慶長3) 悟真寺(浄土宗筑後久留米)建立、唐船入港
   1604年 正覚寺(真宗) 1615年 大阪夏の陣、1620年(興福寺ー寺町)
   1610年(慶長15) 有馬氏とマドレ・デウス号事件
   1621年(元和7) 長崎甚左衛門 死(時津?)
   1622年(元和8) 元和大殉教
   1625年(寛永2) 青木賢清 長崎に来る(?)
   1626年(寛永3) キリシタン禁教(水野河内守)
   1634年(寛永11年) 諏訪神社、西山郷に創設
             諏訪祭礼開始 






はやいもので父の十三回忌を迎えました。

越中先生にお話したら、光源寺で法要の準備を整えて下さった。

法要の後、父が光源寺の鐘つき堂や越中先生の家を建てた時のエピソードなど 懐かしい話が出て法要はおわりました。

光源寺からお墓にもいっしょに行ってくださってお経をあげて下さった。

母と越中先生は一歳ちがい。あれこれ昔のことを話して母も楽しそう。

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みんなで写真を撮ろうとタイマーをオンに、でも設定ミスでボツ。ざんねん!!

越中先生から「あんたは、いつもオッチョコチョイね!!」といわれました。

ほんとうにそう。もっと落ちつかんばイケマセン!!

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お墓参りも無事おわって、今年のくんち庭みせをする玉園町の迎陽亭(こうようてい)にお送りしました。

あの世の父も喜んでいるでしょう。よかった、よかった。

越中先生、ありがとうございました。



8月は「長崎学」は夏休みでしたので、9月に入って長崎歴史文化協会の講座に行ってきました。それから、越中先生に、先日の出島の集いで海江田さんがチラリと話された事をお聴きしたかったのです。

海江田さんも宮田修二さんも出島の集い参加される方で、今日の講座は、宮田さんの「吉村昭と長崎・戦艦武蔵」でした。 とても面白くて、吉村昭「戦艦武蔵ノート」を読みたくなりましたよ。

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さて、海江田さんのお話です。
数年前に、ある北海道にお住まいの方から、海江田さんが出島にまつわるNHK番組に出演されたTVを見て、問い合わせの電話がきたそうです。北海道の方は、実は、ご先祖が長崎出身で出島の最後のオランダカピタン?或いは領事?だった。というご一族のエピソードでした。

私は、果たして北海道の方のご先祖様はどなた?・・・ここが謎だったのです。そのカピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウスなのか?はたまた、領事だったのか?が知りたいと思ったのでした。

出島の最後カピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウス。嘉永5年(1852年)にカピタン就任し、安政5年(1858年)に出島のオランダ商館は閉鎖され、1860年に離日しています。

越中先生に明治期の文献を見せて頂いたのですが、明治に入って長崎在住のカピタンの名前がなかったのですよ。明治期には長崎にはカピタンは居ず、もしかすると長崎で領事を兼務する商人だった?かも・・と。

幕末の嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応・明治期の動乱は興味があるところです。これからの海江田さんや宮田さんのお話も興味津々。また、詳しくお聴きしましょう!! この時期は・・謎が多いですね。

越中先生、海江田さん、宮田さん、面白いお話を聴かせて頂いて、有難うございます。



先日、長崎歴史文化協会に伺いました。  越中哲也先生、お元気ですよ!!今日は、ぴちっとスカイブルーの半袖シャツをお召になってにこにこ顔でいらっしゃいました。

越中先生:「お母さんはどうね?」って、こそっと横で聞かれます。私:「それが・・食べたもんば、すぐ忘れるんです。」と困ったように言うと。

越中先生:「そうさ!! 私も忘るっとさ、そいけん、昼はパンと牛乳。それ以外は、な〜んも食べんごとしとる。」とおっしゃる。   そうですか!!

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先日、NHK長崎2011年7月1日放送のでんでらフライデー・「長崎の橋」に出演されてました。 番組の指南役をピリリと和服姿で決めていらっしゃって素敵でしたよ。

越中先生は、今年90歳になられて、母は89歳です。同じ年代を生きてこられたからこそ・・・お気遣いがありがたいです。


美しい長崎刺繍の着物に出会いました。

この着物のことで、長崎歴史文化協会の越中哲也先生を訪ねられて。
着物を広げていらっしゃ方が中野英子さん。対馬の知人から預かっているそうです。

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グレーの地に白鶴が羽ばたき、竹は金糸、笹は朱糸と薄藍糸、梅は鉛丹色、松は濃淡染めで
裾には長崎刺繍で金糸の獅子がモリモリと勇ましく刺繍されています。

昔ならではの立派な衣装。現在ではこんな凝った着物はできません。

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越中先生のお話では。
「昔、男ん子が元服の時、皆さんにお披露目すっ時に着る着物ですたい。成人は男ん子18歳
女ん子は14歳にしよった。」とのことです。

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裾には綿が入っていて、着るというよりは羽織るのでしょうか?
この着物の出処は対馬だそうで、、、、こんな手の込んだ着物を揃えられる家は裕福な
対馬の名家なんでしょうね。

大事にとって置いて頂きたい美術品ですね。


先日お会いした出島商館跡地のお隣さん、松本さんからありがたい情報が。

長崎出島にあった海江田病院の奥様がご健在だそうです。
当時、海江田病院にはとてもスッキリと美しい奥様がいらしたのです。

昭和30年代、7歳の妹と3歳弟は出島の海江田病院の待合室によく通っていました。
イヤイヤ、病気じゃなくてTV目当てなんですよ。

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病院の階段を2、3段登ると広い玄関が待合室。
数列ならんだ待合室の長椅子に、ふたりで仲良くチョコンと座ってはTVを見ていたものです。

私は、小さい首をのばして夢中でTVを見上げている妹弟を「夕ごはんだよ!」と呼びに。


越中哲也先生にもお尋ねしてみようと長崎歴史文化協会(歴文)にいってきました。
先生のお話では、奥様は日本ポルトガル協会の会員で歴文にもよくいらっしゃてたそうです。

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海江田さんを辿っていけば薩摩藩士。海江田信義のご一族で長崎に明治以降に医学の勉強に。
そして、その後耳鼻科の病院を出島でされそうです。
昭和30年当時の築は建て替えだったそうですが、とてもハイカラな洋風建築でした。

幕末明治期に来日したフランス人貿易商、ピニャテル親子の住居が出島5番地に。
ハイカラだったのですから、もしかして海江田病院になったのかもですね。

もしも、ピニャテル邸が、、、、海江田病院に渡っていったとしたら?
海江田病院の奥様にお会いしたら謎が解けるかもしれません。


先日、長崎歴史文化協会で越中哲也先生やみなさんとお昼ごはんを食べていた時の話です。

越中先生が夢の中でお告げがあり、宝くじを買って一億円当たった夢をみたそうです。
翌日、Hさんは先生の申し付け通り賑わっている浜の町で宝くじを購入。

へぇ〜、本当に!!先生購入されたんですね。  宝くじは当らないと思う私でしたが。

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それから食事中の話。 先生はいつものノリで「よかよか、1億円、当たっとやっけん、、、」
くんちの傘鉾代が二千万かかるなら、ぜ〜んぶ、出してやっさ!」 わぁ、豪気です。

先日の送り三味線の話しでは、先生は丸山も芸妓さん遊びも詳しくて
「芸妓と地方で三人は少なかぁ、三味線は二人はおらんば、弦の切れたらどうすっね。」

先生の企画で一月に芸妓さんをよんで賑やかに花月送別会をされるそうですが、、、、
花月に芸妓さんをよぉけ(たくさん)よぶ金ぐらい出してやる。よぉけ、よばんば!」
「よかよか、1億円、当たっとやっけん、、、」

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万事、このように「よかよか、一億円当たっとやっけん、出してやる!」です。

先生曰く。
「宝くじんごたっとは、当たっても自分で使こうたらいけんと!!み〜んな、寄付するごと
気前よく人の為に使わんば、いかんとさ。」

なるぼど。
「不意のお金は人を狂わせ不幸にする」と言われますが、この心意気なら皆の為になって
宝くじに当たった人もシヤワセになるでしょう。

年の瀬、ほのぼのといいお話でしたよ。


今朝、長崎歴史文化協会で越中先生の誕生日を祝う花束贈呈がありました。

先生は今日、2010年12月13日で89歳になられました。

おめでとうございます。

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今日の歴史文化協会の講座は、松澤君代さんでした。 講座「幕末派遣留学と密航留学からみえてくる人間模様・文久遣欧使節団

その前に史談会やいろんな方々のお祝いとして花束が贈呈されたのでした。

その折にも、いつものような面白い話や対話がでて、笑いの渦の中に居合わせて本当に良かったです。



先生は、父と同じく長崎の文化財や歴史物、美術工芸、祭りごと関する仕事がら昔から 親しくさせていただいています。

先生が40歳頃でしょうか、父たちと一緒に船釣りに行ったりなど。右端が私です。

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先生は、母と一歳ちがいの年上でいらっしゃいます。 今朝も、歴史文化協会に行きましたらいつも母の様子を気遣われて、ありがたいことです。

その上、私のわらべうた取材のやり方や、いろんな人との出会いを勧めて下さります。

先生に取材の心得として教わったことですが、思わず、そうだそうだ!と肝に命じて 手帳に記していました。 備忘の為に再記しておきます。
1)取材と話を聴く(勉強)のちがいを自分でわきまえる
 * 取材の時はお土産はいらない
 * 取材相手の名前を出す

2)取材、記事の順番をしぼる。新→旧へ 多方面にしない

3)自分から歌わない。(キッカケをさがす時は唱えで)
  *くどくど言わずにおばあさんと話すこと

4)第一声のかけ声(あいさつ)で相手を自分のペースに取り込む
4)はとくに私が電話取材を受けて、ラジオで自身のトーンの低い声を聴いてガックリ落ち込んだ 時がありました。その時、教えて頂いた心得でした。

これこそ、身銭を切って国内外取材をされたり、長く現役でラジオ、TV、講演に出演されてきた 貴重な経験と知恵なのだと思います。

どうぞ、これからも元気で長崎文化協会でたくさんの知識と知恵、それに笑いのある講座を続けて 下さることを願っております。


 

先月7月の締めに長崎歴史文化協会での長崎学の「お盆」のお話から。
それにまつわる面白い話。

長崎の精霊流しは 1700年ごろから出てきて昔は
青竹で組んでいたそうな。
それを、ヤッコラセって担いでいたそうです。
越中先生も若い時には勢いをつけて担いでそうです。
かぶせ船をしては喧嘩していたんだそうな。

今みたいに大きな精霊船しが切れ切れに2,3ブロックに分けて
荷車をつけて引くのではなかったそうです。
「だって、船は切れてないだろう」ってこと。

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立山の印燈篭(しるしとうろう:精霊船の前に出て指運をする)は
片面が花魁(おいらん)反対面は白骨だそうです。
どんな綺麗な花魁でも死んだら白骨ってわけですね。
それぞれの町内に印燈篭は決まっているそうな。  知らなかったなあ。



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