おしらせ
2025.06.13
南紀の旅 ③ 熊野古道その1 熊野詣 中辺路
熊野詣とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社のいわゆる「熊野三山」に詣でること。
人はなぜ詣でを望むのかが判った石碑がありました。
歴史の道 熊野道の石碑文→「熊野路は、浄土への道であった。熊野の神々にあこがれた人々が、たぎる信仰を胸に山を越え、海ぞいをよぎって行った。それは皇族から庶民まで中世から近代にかけて果てしなく続いた『蟻の熊野詣』であった。
この熊野路の名を高めたのものは、平安の中ごろから鎌倉後半にかけての熊野御幸だった。延喜7年(907年)宇多法皇から弘安4年(1281年)亀山上皇まで実に374年間にわたり、100回以上の御幸であったといわれている。
早朝京都を出発、まず淀川を船で大阪府下に下る。それから陸路南に向かい田辺、中辺路をたどって熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の順に参るのが順路である。
往復の日数は20日から1ヵ月、一行の人数は最大で814人最小の時で49人、平均300人前後にのぼったといわれている。上皇、法皇は白ずくめの服装に杖と言う山伏に近い姿、道筋の各所に『熊野九十九王子社』と称される休憩所が設けられ、そのうち わが中辺路町内には滝尻王子より道湯川王子まで 13王子を数えるのである。」
昭和57年 文化庁石碑より
注:王子とは熊野の神様の御子神を御祀りした休憩場所のこと。
注:熊野古道が世界遺産になったのは2004年(平成16年)7月7日です。
下記の・は素朴な山田の感想です。
・大宰府に左遷された菅原道真が没した(903年)の4年後に宇多天皇が40歳で熊野路を御幸された。
・昔の上皇、法皇は足腰が強かった!!と感心しました。
・現在、高野山奥の院から熊野古道へは聖地巡礼バスが通っていて便利です。
・終点は本宮大社ですが、熊野古道を体験するために途中でバスを降り古道を登り下り歩きました。
・天気は曇り13時過ぎから16時まで歩くこと3時間。
・ガイドの方とマンツーマンでしたので、歩く速さ、休憩を調節してもらい団体でなくて良かったです。
・特に登山靴とトレッキングポールは無くてはならないものだった!!
(動画 No.447)