おしらせ

北斎のしわざ展 東京 京橋

東京の京橋で開催されていた「HOKUSAI-ぜんぶ、北斎のしわざでした。展」に行ってきました

北斎は江戸時代の天才絵師です
有名な『冨嶽三⼗六景 神奈川沖浪裏』だけではなかった!!
たゆまぬ探求心と作品群が素晴らし過ぎたんです
日本のエンターテインメント文化「マンガ」や「アニメ」のルーツともいわれている

一生をかけて画業の高みを追い続けた北斎の姿がわかる展覧会でした
90歳の生涯に何度も節目があって、大河ドラマ「べらぼう」の蔦屋重三郎との接点*もあります
「画狂人」北斎の人生を紹介します
_________________
1️⃣ 誕生期
宝暦10年(1760年)本所割下水に生まれる
6際の頃から好んで絵を描く
少年期に貸本屋の小僧
14、5歳以降木版の版下彫り

2️⃣ 春朗期 19歳〜35歳 
*この期に蔦屋重三郎に見出される
19歳で役者似顔絵の第一人者勝川春章に弟子入り
春朗としてデビュー

3️⃣ 宗理期 36歳〜39歳
36歳で琳派二代目俵屋宗理を襲名するが4年で改名
しばらく生活苦でとうがらしや暦を売る
両国の絵草紙問屋の看板を描いたが、兄弟子勝川春好にけなされ破りすてられ、そのくやしさから修行に懸命になる

狂歌絵本で人気が出てきたため、版元を介さない肉筆画(絵画)に依頼も多くこなすように

4️⃣ 葛飾北斎期 40歳〜55歳
44歳(1804年)江戸音羽護国寺で百二十畳の大だるま絵を描く パフォーマンス・アートもする

この頃三女お栄(応為)生まれる?(生没不明)

読本の挿絵に注力 曲亭(滝沢)馬琴や山東京伝と組んで作品を多数発表
「椿説弓張月」 曲亭馬琴作・葛飾北斎画の絵本が大ヒット

5️⃣ 載斗期 56歳〜60歳
葛飾派の弟子は200人以上にもなり、門人の教科書として、また全国に画風の普及のため、「北斎漫画」に代表される絵手本の制作に力を注ぐ
肉筆画(絵画)組上げ絵 鳥瞰図 鳥羽絵 浮世絵多数
西洋版画風のスタイル

6️⃣ 為一期 61歳〜74歳
文政末(1830年)頃から浮世絵の制作に力を注ぐ 70歳
妖怪絵、名所絵、花鳥図 風景画(冨嶽三⼗六景 72歳)ベロ藍(プルシャンブルー)がブームになっていた
中風(脳出血)を患うも自作の薬で治る

7️⃣ 画狂老人卍期 75歳〜90歳
この頃厄除けのため毎朝小さな獅子図「日新除魔図」を描く
天保の飢饉(1833~1837)時には「肉筆画帖」を売り生活費を稼ぐ

娘の応為と長屋でふたりで暮らしていたことも
掃除もせずこたつ布団をはおり夜中まで描いてそば二杯食べて寝る日々

85歳ごろから高井 鴻山(北斎のパトロン)誘いで小布施に数度逗留し、天井絵を描く
辞世の句は「ひと魂でゆく気散じや夏の原」
(死後、人魂となって夏の野原をのびのびと気晴らしに飛び回ると詠んだ)
「あと五年、、十年生きられれば真の画工となれたのに、、、百歳超えてもさらに上手くなる!」と
絶筆「富士越龍図」
嘉永二年(1849年)老衰で亡くなる
_________________

ほんとうに画狂人と言う名にふさわしい天才でした。
(動画 No.458)

最新のおしらせ

カテゴリー

アーカイブ