わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

8月は「長崎学」は夏休みでしたので、9月に入って長崎歴史文化協会の講座に行ってきました。それから、越中先生に、先日の出島の集いで海江田さんがチラリと話された事をお聴きしたかったのです。

海江田さんも宮田修二さんも出島の集い参加される方で、今日の講座は、宮田さんの「吉村昭と長崎・戦艦武蔵」でした。 とても面白くて、吉村昭「戦艦武蔵ノート」を読みたくなりましたよ。

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さて、海江田さんのお話です。
数年前に、ある北海道にお住まいの方から、海江田さんが出島にまつわるNHK番組に出演されたTVを見て、問い合わせの電話がきたそうです。北海道の方は、実は、ご先祖が長崎出身で出島の最後のオランダカピタン?或いは領事?だった。というご一族のエピソードでした。

私は、果たして北海道の方のご先祖様はどなた?・・・ここが謎だったのです。そのカピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウスなのか?はたまた、領事だったのか?が知りたいと思ったのでした。

出島の最後カピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウス。嘉永5年(1852年)にカピタン就任し、安政5年(1858年)に出島のオランダ商館は閉鎖され、1860年に離日しています。

越中先生に明治期の文献を見せて頂いたのですが、明治に入って長崎在住のカピタンの名前がなかったのですよ。明治期には長崎にはカピタンは居ず、もしかすると長崎で領事を兼務する商人だった?かも・・と。

幕末の嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応・明治期の動乱は興味があるところです。これからの海江田さんや宮田さんのお話も興味津々。また、詳しくお聴きしましょう!! この時期は・・謎が多いですね。

越中先生、海江田さん、宮田さん、面白いお話を聴かせて頂いて、有難うございます。


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