長崎にも雪がちらほらしてきて、めっきり冬らしい寒さがやってきました。
寒さにもまけずたくさんの実をつけた柿の樹が、田舎の畑の中にではなく街中の家の前に
堂々と居たんです。

それは、白いタイルを背にして100個はあるだろうオレンジの実をつけています。
多分、渋柿なのでしょう?
葉っぱは数えるほどしか残っていないのに、枝ぶりも見事にこれだけの実をつけた柿の樹を
街中で見かけたことはありませんでした。

車で走っていたんですが、道路わきのこの樹を見たとき思わず、ワア〜!!・・・・車を止め
見入ってしまいました。
コレが人間だったらきっと、その容姿の美しさにひと目惚れだと思います。
樹が「私を見て、見て!!」って言ってる声がしましたよ。
もちろん、写真にパチパチです。 振り返るほどの美人の柿樹でしたもの。
どこの道路わきにでも咲いている野の花は小さくても健気です。
野の花の写真は、自分がてらうことなく一瞬の時を掴めるので好きです。
高性能になったデジカメはマクロにするとラクチン設定で小さい花でも私の格好の
モデルになります。

まるで花の精が住んでいるようです。
どうしてこのようなスガタ、カタチ、イロがでるのでしょう。
健気に咲いた花は、だれにほめられずとも見られることもなくても咲き、枯れていきます。
アッパレですね。見習わなくちゃ、、、。

花もですが、生けるものは全て一時のすばらしさを記憶として持ち続けることはできません。
せめて記憶の呼び戻しになるなら何枚も取っておきたいのです。

私は、いつも RICOH GX100というデジカメを持ち歩き、さっと撮るのが習慣になっています。
肉眼で見たのとまたちがって写真は「時」を切り撮ることが出来ます。
私のような写真オンチでも、気がねなくたくさん撮っては Flickr にあげています。
Flickrはネット上にある写真館みたいなもので便利ですね。
2010年の11月までに6000枚撮っていました。
後一ヶ月で500枚プラスとして年間6500枚、毎日平均すると18枚になります。
来年はもっと撮るでしょう。
うた
ぎっこん ばったん ちゃんぽろりん じいにいったん おってきしゅ んべへいったん おってきしゅ ぎっこんばったん ちゃんぽろりん
両足をのばしてひざの上に子どもを乗せ、手を取りうたに合わせて 前後にはた織りをするよう紡ぐ。
または、舟こぎのようなしぐさでこぐ。
きろく
昔、長崎の外海で歌われあそばれていたていた、わらべうたです。
外海町は、かつてキリシタンの信仰が迫害を受けた時代も隠れながら 奥深い山々や、 入り組んだ海岸に守られ信仰が生き続けている地方です。
ドロ神父様の教えを守り、人と人が助け合い分かち合う精神は このうたにもうたわれています。
爺に一反、んべ(お婆さん)へ一反と歌っているのは、そのやさしさでしょう。
”あっかとばい”では、一歳のあかちゃんのグループから大切な身近な お父さん、お母さん、 兄妹、お友達の名前を入れてうたっています。
ひざの上に乗せたり、手を取り合いながらあそぶわらべうたは たくさんありますが、子どもはうたの中に 自分の知っている人の 名前が出ると思わずにっこり微笑みます。
うたが自分のものになるからでしょう。 これは大切な事で、親と体を添わせて一体となり、反物をおりながら プレゼントする人のことを想像するのです。 そして、くり返し、くり返し何人にもに織ってあげるのです。
今の時代は、物が溢れていますが素朴なうたは子どものイマジネーションを 豊かにします。
(長崎新聞 掲載:参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)