第十回「饅頭ツアー」の写真は、プロのカメラマンにお願いしました。
その素敵な写真(375枚)は、全てblog上からフリーでダウンロードできますよ。
そのダウンロードやり方
1)Blog上か、375枚の写真のお好きな写真クリック
2)写真の右下の白い○○○をクリック→赤の●●●に変わる→帯が出てくる→その中のView all sizesをクリック
3)Download the Large 1024 size of this photo(青の帯)をクリックするとダウンロードが始まります。
Flickrは、2005年からずっと使い続けています。それを5月14日に2年のPro(有料・$47.99)に更新しちゃったんです。
それが、Flickrは、2013年5月20日に無料で1TBまでに拡大!! リニューアルの仕様もガラリと変えましたよ。
エィッめんどくさい!! 1年更新を2年にしたばかり、あらぁ、悔しいか!!
うう〜ん、でも広告なしが好きなのでしかたないです。
写真の本をお正月に読みなおしています。
内容の濃い「写真のエッセンス」です。
まだまだ、数撃ちゃ当たる式で撮ってしまうバカ者ですが。
キャンバス布に差し込むひかりは、いっときで無くなる。
一日のはじまりをひかりが、暖かく祝ってくれているように感じます。
ちょっとづつ、ひかりを意識しながら。
西澤律子さんのフォトワークショップ参加メンバーによる写真展です。
今年で2回目。NAGASAKI LOVERS IIにいってきました。
会場は、長崎水辺の森公園にあるアリコビル内 シビックホールです。
太陽がふりそそぎ、ガラス張りから海もみえるステキな会場でした。
みなさんご自分の作品をていねいに展示していて、写真が大好きな仲間でワイワイとにぎやか。
出展はしなかったけれど、私は、春のフォトワークショップに3回参加したのでおかげで写真が楽しくなりましたよ。
2012年春のフォトワークショップのようすです。
フォトワークショップ1・フォトワークショップ2・フォトワークショップ3
ながさきまちあるき写真展
日時:11/3(土)〜11(日) 10am-5pm 5日(月)休
場所:アリコビル内 シビックホール(県美術館横)
入場無料
写真を撮るのに見る(look)と(see)の大きなちがいがわかってきました。
序文の最後にさしかかり、深い内容がつづきます。学生の時期に勉強しなければ!!モードだったら右から左だったでしょう。
これが興味が湧いた時に出会った本でヨカッタ。
美術書出版のゴットファーザーであるゲハルト・シュタイドルは、自分が出版したいと思う写真家をどうやって選ぶかということについて次のように語っています。「それは感情的な反応であり、いつも燃えるような好奇心に結びついています。例えば、もし何かが直感的なレベルで私を惹きつけたとして、私がそれがいったいどういうものであるかを十に理解していなかったとしても、たいていの場合はそのプロジェクトに取り組みます。何かを学べたり、何か新しい物を発見できたりすると感じるからです。」
アンリ・カルティエ=ブレッソンの次のような発言はそのことを最もよく言い表していました。「私に限れば、写真を撮ることは・・・叫んだり、自分自身を解放したりする1つの方法であって、自分自身の独自性を証明したり主張したりする方法ではありません。写真は1つの生き方なのです。」(4)
私は特にズボラだから、落ち着いて観察して見る!!からです。試みに、写真を「つくっている」とは?の目線で撮った写真です。
ふるいー鉄アレイと畳。
にぎられてきた鉄アレイ。
5キロの重さは年月を経てどんな手、温もり、時を知っているのだろうか!!と思って撮りました。
若手の成功した写真家と、数十年の経験を積んだ写真家の違いを見るために、本書の中には「次世代」というセクションが設けられており、4つの主なカテゴリー(ポートレイト、ドキュメンタリー、アート、ファッションと広告)に属する写真家がその中に含まれています。
ロベール・ドアノーはかつてこう言っていました。「私たちはいつも、ある写真がその写真を見る人によってつくりあげられたりもするということを忘れてはならない」(5)
これは濃い序文でしたよ。先は、ぼちぼちとランダムに読んでいきます。
とりあえずシャッターを押す。バランスよくボケないように写真を撮りたいのです。
でも、ほかに撮る意味は?を考えると難しいです。そんな時に奨められた本のイントロダクション(序文)のつづきです。
特に、本書は「見る」という行為と、写真家と写真を見る人の両方に関わっていることが何かということを明らかにしようとしています。見過ごされがちなことですが、写真において「見ること」は能動的な追求です。見ることには、単なるある対象の複製ということを超えて「見る」行為を意識的に試みるという意味も含まれているのです。その目 ー写真家の目と作品を見る人の両方ー は、体のほかの筋肉と同様に鍛えられなければなりません。
ヨゼフ・アルバースはかつてこのように主張していました。「もし私たち鑑賞者が読みとることができるのならば、写真は写真家の個性を表しているのだ。音楽の才能がない耳には音楽を判断する能力がないのと同じようなことが、絵画、素描、写真であろうが、さまざまな画像にもあてはまる。敏感で訓練を積んだ目だけが私たちに判断する権利を与えてくれるのであり、そういう目こそがより深い読み取りと楽しさを与えてくれる。単に好きか嫌いかという地点を越えられるかは教育にゆだねられている、と私は信じている」(2)
この序文を読んで訓練はつんでいないけど、敏感な目で見てみようとして撮った写真です。
雪のちらつく海岸に累々と重なる白いテトラポット。干潮で姿がむきだしのテトラと青岩石が目に飛び込んできました。
あ〜っと、ため息がでたんです。
むき出しのテトラポットの群列を意図をもって撮ったんです。
ほとんどの人は写真を「撮っている」のであり、「つくっている」のではない、といっても差し支えないでしょう。なぜでしょうか?おそらく私たちは写真が与えられてくれる限りない可能性を十分に把握しきれないのです。あるいは、アンドレ.ケルテスが指摘したように「誰もが見る(look)ことはできるけれども、必ずしも(see)わけではない」(3)からかもしれません。素晴らしい写真とは、見た目にきれいな写真を超えた何かなのです。
「写真のエッセンス」ー世界のプロフェショナル28人が語る写真作法ーという本をもらいました。
写真と向き合うのをしよう!!としたら贈られたられて来たのです。
最初は難しそうと思ったのですが、もしかして目覚めさせる本かも?の予感がして、イントロダクション=序文から読み始めました。
まずは写真を撮るより頭の中を洗濯です。
イントロダクション(序文)には「写真は撮るものではなく、つくるものなのです」 アンセン・アダムスの言葉が冒頭に大きく書いてあります。
1888年に、コダックの創設者であるジョージ・イーストマンは、写真を撮ることはまったく簡単なことだという考えを広めようとしていました。19世紀にコダック・カメラ ー小型で、使いやすいカメラで、乾式ゼラチンのロールフィルムに100枚の写真が撮れるー が発売されたときの広告のスローガンは「あなたはシャッターを押すだけ、あとはおまかせください」というものでした。そのカメラによってイーストマンは誰の手にも写真がいきわたるような基盤を打ち立てたのです。
それから半世紀が過ぎた1943年、技術のさらなる進歩によって写真がさらに大衆にいきわたっていたころに、ヨゼフ・アルバースはコダックのスローガンが「何の心配もなく写真を撮ること」を推し進めたと述べた後、次のように続けています。「そういう方法で写真を見ることは、最低限の方法ではあるが、私たちが写真に取り組み、理解する方法はそうあるべきではないのです(1)」と。
しょっぱなから、スゴイ序文(1)の始まりだと思います。それが(5)まで続いています。
よく解っちゃいないけれど、直感では内容の濃い本みたい。しかも面白そう!! わくわくします。
序文をゆっくり噛みしめるために何回かに分けて紹介します。