わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

うた

1・ともさん ともさん花つみゆこや お手てつないで かご下げて
2・つんだ花々 小束になして 御母(みはは)マリアにささげましょう
3・花は我(われ)らの お手本様よ 人の心のいましめよ
4・ユリは潔白 ボタンは愛よ 派手な桜は信徳よ
5・憎しうらめし 山おろし風 咲ける桜を吹き散らす
6・咲ける花さん いくらもあれど 実る花さんいくらです
7・友よ我らも この世の花よ 徳のみのりに うまれきた
8・いかに嵐の 吹きすさぶとも 心引きしめ 気を強め
9・神の御園(みその)に 楽しむまでは しゃばの嵐に 散るまいぞ



あかちゃんをひざの上に乗せ 手を振ってあげながらうたってあげる。
また、子どもたちで輪になり 手をつなぎ、右回りや輪を縮めたり広げたり 手をかざして踊る。

きろく

長崎新聞連載の最終回となりました。

外海のド・ロ神父記念館のシスター橋口さんに教えてもらった、人の生きていく道しるべを 示すわらべうたです。

外海ではあかちゃんをひざの上に乗せ、手を振ってあげながらうたってあげていたそうです。

長崎は仏教やキリスト教が、その時代の権力に翻弄(ほんろう)され迫害された歴史があります。 その中にあって、他県にないカトリックの教えを、わらべうたの節でうたっています。

歌詞が外海の美しい風景、マリア像のある教会の風土にふさわしく、この世が徳(善の世)であること。 その徳の実りに生まれてきた私たち花は、つらいことにめげず、それぞれ心引きしめ しっかり生きましょう、と。

わらべうたは古く、もうなくなってしまったと思われる方が多いかと思います。 つい二十年くらい前まで子どもたちは、その地の風土、生活、社会状況を映しながら わらべうたやあそびをしていました。

しかし、最近は通りで友達とあそぶより一人ゲームの時代です。 心配なのは子どもの成長に、人とつながるという経験が少なくなること。

わらべうたは人とつながることでしかあそべない貴重な子どもの文化だと思います。 長崎のわらべうた、昔の人の知恵の詰まったうたを、これからも伝え続けていきたいと思います。

(長崎新聞 2005年9月掲載 2004年10月16日 ド・ロ神父記念館にて取材)