うた
ひっちょこ はっちょこ 酒屋ごご 酒屋がいやなら 嫁にやろ
たんす長持 はさみ箱 鼈甲(べっこ)の小櫛(こぐし)も十二本
長崎雪駄(せきだ)も十二足 こうして世話して やるからは 二番に帰ると 思うなよ
父(とと)さん何を 言わしゃんす 千石積んだ船さえも 万石積んだ船さえも
向こうの港が 悪いなら もとの港へ帰ります 私もそれと同じこと
向こうの亭主が 悪いなら もとの我が家へ 帰ります
あそび
子もりうたです。あかちゃんを抱っこしたり、おんぶしながら、ゆったりとうたいます。
きろく
佐世保の木原町に残る子もりうたです。
子もりうたは、あかちゃんにとってゆったりした落ち着きのある母のうたです。そのうたを聴きながら、心地よい波に揺られるように眠りに誘われて いきます。
このうたは昔、全国各地から、皿山・三川内焼を買い付けにきた人が木原町に伝えたのでしょう。「向こうの港が」とは、佐世保港を指しているのでしょうか。佐世保は明治時代の初めに、海軍の鎮守府が置かれ、 一漁村から人口が急に増えた軍港都市です。
又は、皿山の近くには、波佐見や有田などの有名な陶芸の里もあります。その陶器はヨーロッパや、中国に輸出されていた歴史があり、その港、長崎 の出島のことでしょうか。
三川内焼は、青絵の具の染め付けによる唐子絵(中国の子ども達の姿絵)で知られ、この里は平戸藩の御用窯として江戸時代から幕府や、朝廷に手厚く保護され陶芸で栄えた町でした。
その皿山で、親のいうまま、お嫁に行かねばならない娘の言い分。または、嫁いだ先の若いお母さんの気持ちを表している様にも思えます。
子もりうたというのは、親が子どもを寝かしつける時に、うたった「寝させうた」。昔、仕事で忙しい親に代わって、幼い妹弟を子守りし、おんぶしたまま遊んだり、学校に行っていた兄姉がうたった「あそばせうた」。子守奉公に出てきた人が子どもを背負ってうたった「子もりうた」などがあります。
どのような背景でうたわれたにしても、人の思い入れがは入ったゆったりとした子もりうたは、子どもの心に染みわたります。
(長崎新聞 掲載:参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)