会でティンカンメールの話が一段落しましたら、定番の長崎手帖です。
今回も、No.7・8(合作号)を少しずつ音読していきます。昭和30年代を生きた方々のこぼれ話をご紹介しましょう。
長崎一番帳の90からビスケットの始まり
ビスケットの始まりは、いつの頃かビスケー湾で英国船が遭難し食料に欠乏した時、塩水に浸った小麦粉やバターなどの残り物を練り合わせて焼き、辛うじて船員が飢えをしのいだので、湾名にちなんでビスケットとよぶようになったそうであるが、長崎で一番始めにビスケットを作ったのは山ノ口の福砂屋である。 明治初年のことで、その頃はまだ機械はなく手でこねて作られたものであった。
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第十五回は、バラの言葉を借りて〜長崎一番帳・第六集〜長崎というところ〜特集:長崎っ子診断 善意の人たち〜長崎言葉〜長崎なまりまででした。