父がお土産にくれた西洋人形。母手製の着物。
元来、父はお土産など買ってこない人で、58年前に長崎にこんなハイカラな人形は無かった。大阪で見つけてずいぶん高価だったそう。
昭和31年ごろ、長期出張の父のもとに、危ういひらがな字で5歳の私は手紙をだした。だからよと母。どんな手紙だったんだろう。
あまりのうれしさに、近所の子どもに見せびらかし、母にきせかえの服や着物を縫ってもらった。
西洋人形ながらバービー人形の前時代。母手製の着物は、西洋人形にしては八頭身ではなかったので着物が似合った。
目はパチパチと見開きし、ミルクを飲み、服はすべすべのサテンドレス、顔は白かった。近所の子たちに妬まれただろう。
半世紀過ぎて手垢で色黒の美人になり、髪の毛は縮れて絡んでいる。でも、父からもらった一番の宝物だった。
だからか、人形を身近に置くと落ちつく。いつも守ってもらっている。
これは、おばあさんになっても変わらないだろう。