倉庫(現:考古館)を私たち三姉弟は「そうこ」と呼んでいました。
父が論文を書いているとはその当時の私は解らずに「勉強しに行っとる」と思っていました。
父は寒いガラ〜ンとした暗い「そうこ」に行く時、祖母から縫ってもらった泥大島の袢天を着ていました。
弟は生まれてからず〜と夕食だけ家族と一緒に食べて「そうこ」に通う父の姿を見てて、ぼくの父?ではなくどこかのおじさんと思ってました。
そうでしょう、私と8歳ちがいの弟はあかちゃんの目線でそんな父の姿を見ていたんですもの。
「そうこ」の重い鉄の窓をギ〜っと開けると明るい光が差し込んできた情景がありありと目に浮かびます。