わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

第十一回は、2013年初めての2月10日でした。

長崎の出島内にある内外倶楽部で4名が参加です。

月1回、つたない私の音読で長崎手帖を少しづつすすみます。

昭和30年代の長崎の庶民の生活が、写真もあって面白い小冊子集なのです。

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写真を見てみなさんから?がでました。

1)浜の町でのアケードはいつできたんだろうか?
2)鈴蘭燈は銅座にあったのだろうか?

それから、本の卓袱(しっぽく)料理 のおひれにまつわる話や、昔の漢字が読めないのをアレコレ調べたりもします。

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気張らず、よもやま話が広がって語らうのが楽しい。ほのぼのとしていますよ。

どうぞ、興味のある方は参加されて下さい。

次回は3月10日予定です。



長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。

参加できるのは、出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方です。

テーマは、「長崎手帖」と出島をめぐってです。

どうぞ、気軽にお誘いあわせご参加下さい。会費は無料です。

第十一回「出島集い」
日時:2013年 2月10日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(2月7日迄)

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出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。

元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。

昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。

当日は、近くの新地中華街会場、中央公園会場にて、20周年を迎える長崎ランタンフェスティバルの点灯式も行われます。(2月10日(日) 17:30~18:00 )



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長崎出島オランダ商館跡地で、今年最後の出島の集いでした。

師走になって寒い日でしたが、内外倶楽部に5名がお集まり下さいました。

ここ出島に橋がかかるのを皆さん楽しみにしていらっしゃいます。

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まずは、前回長崎手帖「山里町の雀」の調べ物でした。

宮田さんから、解らなかったことば「椽」(たるき=屋根を支えるために棟から軒先に渡す長い材木)を教えて頂きました。

今回は、長崎手帖のNo.7・8から。「あら、お菓子」渡辺庫輔さんは、長崎のお菓子の指南文を書いていらっしゃいます。

長崎の菓子は、過去に於いては、確かに日本の菓子の先頭に立つものであった。
高松の唐饅頭、仙台の柚べし、佐賀の丸ボウロ、熊本のカセイタ、松山のタルト、博多の鶏卵素麺、平戸のカスドウス、鹿児島の文旦漬など、今日、その土地を代表する菓子はいづれも長崎から製法を伝えてのであった。

それらの菓子は、長崎の町には極めてありふれた菓子であった。それだけに、長崎の菓子屋は、その一つ一つに力こぶを入れなかったのであろう。

長崎には、わずかに、カステラだけが名物として残された。かつて、長崎が天下に誇った砂糖漬けも忘れられた。・・・(長崎手帖・「あら、お菓子」より抜粋)

ここ、オランダ屋敷のお隣さんだった松本さんと宮田さん。
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鶏卵素麺、丸ボウロ、文旦漬。それにもちろんカステラ、鶴の子、饅頭は大好きです。

安土桃山時代に南蛮菓子として長崎から広まったお菓子たちです。

みなさん、和菓子を食べましょう!!




長崎出島オランダ商館跡地で、2ヶ月ぶりに集まりました。

手引きは、長崎手帖。No.6「山里町の雀」から、昭和30年ころの長崎の暮らしぶりがおもしろいんです。

長崎一番の切手コレクターの話では、海江田さんから面白いお話がでました。さすがに有名な切手コレクターでいらっしゃったわけです。

それは、”ティンカンメール” ブリキの缶に入った手紙のお話です。

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むかし、メールなどない時代、イギリス本国から植民地に手紙を船で運ぶ時につかった運送方法だそうです。

船が浅瀬で船着場まで着岸できない時は、ブリキ缶に入れた手紙をポーンと海に投げる。それを現地の人が泳いで取りにいったそうです。

そのティンカンメールの缶を海江田さんは持っていて、次回、見せて下さることになりました。

”ティンカンメール”は知らなかったなぁ。楽しみです!!




ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。

出島は、1951年から50年で全て公有化完了。集いの方々の年齢は、50代から80代です。

出島に縁のある方々が中心ですが、どなたでも参加できます。

場所は、いつもの長崎出島オランダ商館跡地の内外クラブです。

テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。

第九回「出島集い」
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日時:2012年 11月18日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(11月13日迄)

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久しぶりに6名が参加された「出島の集い」です。

カラリと晴れた9月23日(日)まつくら茶屋でした。松庫さんも出島に海産物のお店があったそうです。

集いの方々の年齢は、50代から80代。出島に縁のある方々が中心ですがどなたでも参加できます。

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今回は、長崎手帖の”ビールの飲み方”と”あまから履歴書”でした。

なにせ、昭和30年代の長崎手帖です。半世紀も前だとガラリと長崎のようすもちがって昔のお話は面白い。古地図を広げながらです。

”あまから履歴書”には、お酒、ビール、懐かしいお菓子が書いてあって、「東郷せんべい」の名前がありました。

東郷さんにまつわるものは、切手、東郷煎餅、東郷ストリート(トルコ)もあるそうです。

長崎の今博多町は昔、あめがた町と言われていたらしい・・。

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昭和30年ころの長崎の庶民の生活ぶりを、こむずかしい歴史でなくホホ〜と覗いて楽しむ。その手引きには長崎手帖はピッタリです。

昼食は生からすみ丼を頂き、集いの会は終わりました。

次回は、出島の旧長崎内外クラブで11月18日の予定です。


からすみ茶屋 まつくら
長崎市東古川町3-11-201
Tel:095-827-1023
営業時間11:30~15:00(火~土)日・月曜休み




長崎在住のマンガ家ペンネーム・ペゴロス、岡野雄一さんの本です。

この本は映画化が決定し、岡野さんは時の人。長崎の本屋で一番売れています。

マンガ本には、89歳の認知症のおかあさん・みつえさんとのホンワカとした会話やむかし話が描かれていて、昭和30年代の長崎がしのばれます。

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会話は、もちろん長崎弁。「そう、そう、そげん言いよった!!」となつかしい。標準語の注釈もあって絵も温かいタッチです。

当時、三菱の造船所から船が着く大波止は、夕方、大勢の人がど〜っと下船してラッシュでした。そんな大波止が思い出されます。

私の母・としこさんも90歳。みつえさんと同じ認知症もでて、読んでいるとジ〜ンとしてきます。

戦争前後をたくましく生きてきた母たちの背景がうかがえるマンガ本です。




叔父の初盆に樺島へ行って来ました。

子どものころ夏休みになると樺島で暮らしていました。

昭和30年ころは、野母崎までバス。それから樺島へは渡し舟でした。

渡し船のゆれ、におい、エンジン音、波しぶき、ワクワクしながら渡った。

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お米をもたされて、まるで疎開のように親からはなれた生活は新鮮。

同じ年の従姉妹もいて每日がゆかい。叔母も、叔父もやさしかった。

島では、だいじなお客さんのように、美味しい料理をつくってもらった。

叔父の家には魚の絵がかかっていて、なんとなく守り神のような絵を見上げ、土間にはカマドがあり、五右衛門風呂に入っていた。

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ある時、新鮮なサバを煮つけにしてくれたが、ジンマシンがでて叔母をあわてさせた。

叔母は、せっせとツワの根をせんじて飲ませてくれて治った。

夏いっぱいの子ども思い出は、肌身にしみている。樺島にはそれがあった。

嫌な顔もみせず、ほがらかに世話してくれた叔母、叔父。大人になってその温かさに深謝している。

ありがとうございました。




第七回は、7月15日に出島内外倶楽部で開きました。

長崎手帖は昭和30年ごろの長崎の面白い道案内の本です。

その原本を貸して下さったIさんが新しく参加されました。

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今回は、橋問答(田栗奎作氏の文)から始まりました。

橋問答より抜粋 (田栗奎作氏)
今ある橋で粋なのは、大浦川の松ヶ枝橋。銅座川には日露戦争戦役記念の出師橋、新川筋には古風だが小味な扇橋。珍しいところでは、愛宕町に千畳橋、城山の皿焼橋。中島川には一覧橋に袋橋、風流な網笠橋、韓国趣味の高麗橋、線香臭い阿彌陀橋。まだある。水のない川に桜橋、丸尾町の小川に紅葉橋、旭町の川に黄金橋。


他に、長崎のめずらしい橋の話を宮田さんから教えてもらいました。

長崎の東小島にかかっている鬻(ひさぐ)橋という橋です。

鬻(ひさぐ)とは、その日一日の商いをするという意味だそうです。

今、この漢字を書ける人読める人もあまりいないかも?と。

こんど、その鬻橋を見に行ってみたいです。




ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。

出島は、1951年から50年で全て公有化完了。さらに11年経った「集い会」です。

場所は、いつもの長崎出島オランダ商館跡地の内外クラブに集いです。

テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。

第七回「出島集い」
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日時:2012年 7月15日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(7月13日迄)

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今回は、出島にお店があった松庫さんや吉田染料店の吉田さんもお誘いしています。

おもしろい昭和20年、30年代の出島や長崎のお話が聴けるかもしれません。

どうぞ、楽しみにしていらして下さい。



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活版印刷のお宝をみせていただいた第六回「出島集い」の続きです。

集いのテーマは、みんなで長崎手帖をよむことですが、この本も活版印刷だったとわかっておどろきました。

この後は、ゆかいにからすみ茶屋で酒宴をひらこう!!という池田さんのおもてなしをうけ、とくべつ企画がつづきます。

2)からすみと立山

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昼間っから富山の銘酒・立山とからすみが食べられるなんて!! 

生からすみ丼のほかに、たくさんのお料理。とくべつにからすみも登場です。 

ワァオ〜です。立山もす〜っと呑める甘くないお酒がおいしい。

日本酒にからすみはバッチリでした。遠慮なくいただきましたよ。

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こんな、日曜日はごくらく、ごくらく。バスできてよかったです。

池田さん、ありがとうございました!!




ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。

出島は、1951年から50年で全て公有化完了。さらに11年経った「集い会」です。

今回は、生からすみの松庫さんの出店:からすみ茶屋 まつくらで開きます。

テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。

第六回「出島集い」
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日時:2012年 6月10日(日)12:00~14:00
場所:長崎市東古川町3-11-201 からすみ茶屋 まつくら:095-827-1023
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の暮らしぶり、思い出など・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(6月9日迄)

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今回は、出島にお店があった松庫さんや吉田染料店の吉田さんもお誘いしています。

おもしろい昭和20年、30年代の出島や長崎のお話が聴けるかもしれません。

どうぞ、生からすみ丼もお楽しみにしていらして下さい。




久しぶりに「出島の集い」の5回目を2012年4月8日(日)を開きました。

場所は、いつもの長崎出島オランダ商館跡地の内外クラブに集いです。

内容は、長崎手帖にそって。今回は、長崎一番帳と新地の昔話やこぼれ話です。

昭和30年代の長崎の様々な事柄の一番帳を読みながら古地図を見て、今の時代と地図と比べて話しました。

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長崎手帖/長崎一番帳から・・昭和31年(1956)算定です。

*長崎で一番古いクリーニング店は、大浦相生町の青田クリーニング店。創業は明治6年で83年になる。
初代青田嘉吉氏は当時はロシヤ艦隊その他外国船舶の御用達だったこと。当主青田梶郎氏は二代目。

*長崎で一番水を使う所は、三菱長崎造船所。昭和30年10月は使用量69,268立方米、料金は1,658,152円であった。


大浦のクリーニング店はたくさんあってお得意様は大浦のお隣、南山手に住んでいる居留地の外国人が多かったそうです。

当時は日本人でクリーニングに出す人は稀だったでしょう。今も青田クリーニング店さんは大浦にあります。

三菱長崎造船所の水道料は、今に換算すれば1ヶ月に約1660万円。エエッ、すごい水道料です。(約10倍に見積もって)

この長崎手帖が昭和33年再販価格が1部20円、郵便切手代8円。現在と比較して約10倍にしてみたのですが。

次回「出島の集い6」は2012年5月20日(日)の予定です。

興味のある方は、どうぞご連絡ください。

連絡先:Tel&Fax :095-846-1642   山田ゆかり
    e-mail:




第四回「出島の集い」。今回から読みすすめる『長崎手帖』ができました。

『長崎手帖』は、田栗奎作(たぐり けいさく)さんと真木満さんの写真つき小冊子。昭和30年〜40年ころの長崎の風景写真や人の声が聴けます。

赤の表紙で原册の2倍のサイズにすると大きな字になって分厚い。少し重くなったけれど、老眼ですから大きい字がいいんです。

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さっそく田栗さんご本人の「銅座町の生態」を音読しながら。銅座川は明治の末頃までは水もきれいで夏は、銅座の子どもたちの天国だったらしい。

石橋(大正橋)の上から飛びこんだり、どんぽ泳ぎでパチャパチャやっていると、橋を通る異人さんが人力車の上から小銭を投げていたそうです。

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銅座の釜屋小路は古くは川端通りと言われてたらしい。「長崎おもいで散歩」の写真集に『醉族館』の看板を見つけ、「あぁ!! 今もアル 、アル。」と松本さん。

こんど、通ったらお店と看板を探すのが楽しみです。




ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。

出島は、1951年から50年かかって全て公有化完了。さらに10年経った2011年に「集い会」です。

今回からは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って行ったら面白そう!! のテーマに沿って。どうぞ、お出かけ下さい。

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「第四回 出島集い」

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日時:2011年 12月4日(日)午前11時~13時
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室 095-821-7200
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の暮らしぶり、思い出など・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(12月3日迄)

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