わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)


長与のまなび野クラスに新しいお友だちをさそっています。

まなび野クラスは、おかあさんから少しづつ離れつつ、あそべる、順番が待てる、うたえる和やかなクラスです。

11月中、ここの2歳、3歳クラスを体験したい方を募集中です。

子育てを楽しむわらべうたを体験してみませんか?

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まなび野わらべうたの無料体験
日時:2012年11月2日(金)、9日(金)、30日(金)
   AM 11:30~12:30 
対象:2歳、3歳、4歳のお子さんとおかあさん
会費:無料体験・予約です。(月3回わらべうたのうち1回です)
場所:長崎県西彼杵郡長与町まなび野2-13-5 まなび野西集会所
連絡先:Tel:095-846-1642   携:090-9797-3709 山田ゆかり
    e-mail:

まなび野西集会所

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アクロバットというvilac社のおもちゃです。

元気いっぱいのクリクリした顔がかわいい。

色は、5色で積み上げていくあそびが8通りのっています。

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このおもちゃは古いものなので、vilac社ではもう売っていないようです。

しっかり指先に集中して、そ〜っと積み上げます。なかなか難しい!!

上に組体操みたいにアクロバットさせていきます。

でも、ドミノたおしにしてコケさせるのもおもしろいです。

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Introduction of Vilacより

ジュラ山脈の真ん中で山と湖と森に囲まれ、 シャンパニョールとサンクロードの間に位置する、Moirans-en-montagne(モワラン・ザン・モンターニュ)で VILACは80年以上も木製玩具を作り続けています。

VILAC玩具はユニークで、流行から取り残される事無く、 あらゆる年代から人気の玩具ブランドです。



長崎の米どころ・諫早市の小長井の田んぼです。

梅雨どきの田植えから3ヶ月がたちました。

国道207号線から登るとすぐ田んぼ。稲が育っていくのが楽しみです。

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6月20日 田んぼに水がたっぷりひかれて泥水が満々でした。

6月27日 田植えしたすぐのころ。雨がポツポツ、梅雨まっさかりでした。

7月19日 梅雨のぬけそうなころ、たまたま青空に白雲がくっきりでした。

8月22日 台風の影響で夕方からビュービュー風に稲がゆすられていました。

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一ヶ月で穂がたれていました。こんなにはやく成長していてビックリです。

これから、最後の実りまであと一息。ひろい田んぼでは、カカシがたくさん立って睨みをつけていました。

収穫までに台風が来ませんように!!




1945年8月9日は、ソ連が旧満州に侵攻した日です。

その日、家族と離ればなれになってしまった少年。日本人の父とロシア人の母を持ちコサック少年として育った波瀾万丈がはじまります。

北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独りで歩き続けた10歳の少年。

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コサックの生き残り、ビクトル少年の知恵を教えてもらいます。

虫について。
<いちばん効果があるのは、馬糞を利用する方法だ。ズタ袋の中には折りたたみの布製バケツが入っていたから、それに水を汲んで拾った馬糞を落とし込む。しばらくして水が黄色っぽくなったら、その上澄みを首筋に塗りたくるんだ。帽子の内側にも塗ってそいつをかぶると、さすがに虫たちも全然寄ってこないんだよ。だから虫で苦労したことはほとんどなかったね。>(219P)
食べ物について。
コサックの子どもたちは、小さいころから機会あるごとに草の知識を与えられる。・・よくわからないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても多分大丈夫。すぐしおれるものは、あぶない。匂いも嗅いで判断した。・・・でも、いちばんビクトルを支えた食べ物はクルミだった。(237P)
水について。
大人の身長より高い木が生えているところを流れているのはいい水だ。岸辺に木が生えて流れはゆるやか、川を覆う木の影に魚の姿がいっぱい見えるところならそれはもう素晴らしい。ブルーベリーも大事なことを伝えてくれたよ。上流から下ってくるブルーベリーが草むらに流れつく直前の水はとてもいいんだ。(233P)
コサックの人間について。
コサックは、追いつめられても途方に暮れない。満州時代、川の氾濫のため、家も開墾した農地も流されてしまったコサック村があった。すべてを失った村の人々は声をあげて嘆き悲しんだ。そのうち一人の男がかろうじて手元に残ったバラライカを弾き始めた。一人二人の歌声がやがて全員の合唱となって響き渡り、全壊した村を前に踊りの輪ができあがった。そばでそれを見ていた特務機関員は「日本人にはありえないこと」と半ば呆れ、半ば戦慄を覚えたという。 彼らの不敵さと不屈さは、ビクトルのなかにも生きていた。(253P)


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どんな苦境にあっても、顔をあげ、太陽に感謝し、歌をうたい歩き続けた。驚くべき不屈な姿です。

自然とともにあるコサック人の魂がビクトル少年に宿っていたと思います。

想像するのも悲惨で残忍な事実もありましたが勇気がわく本でした。




ビクトル少年は、日本に統治されていた満州国のソ連国境に近いハイラルという軍都で1935年に生まれました。

父親は日本人の毛皮商人、母親はロシア人のコサック娘の長男として。

満州に亡命したコサック人の祖父から日本人として唯一、コサックの伝統を受け継ぐ少年は、ハイラル育って10歳で敗戦をむかえます。

後年、大人になってからはサンボ(格闘技)で世界的に有名になりました。

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でも、ロシア国技サンボの覇者として認められることより、独りで満州国から引き揚げた少年時代が人生のハイライトだったと語っています。

それは、母や祖父からコサックの伝統、生き抜くサバイバルのし方を授かって、あきらめず満州の大地を踏破したからでしょう。

少年は、ナイフを持ち、馬に乗り、木の実をとり、川を渡り、自由闊達でした。

悲惨な場面にいくども遭っても、慎重にサバイバル力を活かし乗り越えてゆく。暗くない話、逆に明るい話なのです。

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コサック少年が極限におちいった日本人について言ったことばです。

日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちしてパニックになる。(272ページ)

私のことを言われたようで、頭をガンと殴られた気がします。

日本人の本質をついていることば。かみしめなくては!!

後編に続きます。




最近、一番おもしろかった本です。

1935年生まれ77歳のビクトル古賀さん、当時10歳の時のお話です。

終戦直後の満州動乱の中、ビクトル少年は北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独り完歩したそうです。

太陽をあおぎ、食糧、水、マッチも持たずズタ袋にナイフ1本で。

その驚愕の体験記が基になった本です。すざましい生きざまに感動でした。

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1000Kmとは、車で長崎ー東京間(高速で約1200Km)子どもがとうてい歩ける距離ではありません。

コサック最後の少年は、自然への洞察力、人間の極限を観る、生命力がハンパではありませんでした。

このビクトル少年の語るコサック人の知恵を学びたいとおもいます。

次回から紹介してみます。




甥が帰って来るのを待って、妹の家のマーチは亡くなりました。

心臓に腫瘍ができてどうしようもない状態。よくがんばった!!

むかしのマーチの写真や動画をみていたら、凛々しい姿がありました。

2010年の元旦の朝、稲佐山。
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マーチは、散歩の気配がすると、庭中を駆けまわりしっぽを振って喜びをあらあわします。

若い頃、筋肉モリモリで先に稲佐山に登っては、まだ、来ないのか!!という顔で待っていました。この元旦の日の姿と同じでした。

ビーグルと秋田犬の雑種。ハンサムで、けなげな犬でした。

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この夏は、散歩もきつかっただろうに、、と妹はふびんがります。

でも、甥たちの懸命な酸素吸入の手当を受けて苦しまずにいったそうです。

カラフルな花がマーチには似合うと供花しました。




妹の家の犬、マーチが心臓病でぐわいがわるくなりました。

けなげな84歳の犬。先日から病院かよいです。

義弟が今年の夏から散歩にいっても、元気がないと言っていたのですが。

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もう、散歩に行こうにも体力がありません。

私が行くと車の音で解かって吠えなかったのに、最近はワンワンと吠えては怒られて、バツがわるい顔をしていました。

若い時は元気で筋肉モリモリ、やんちゃな犬。マーチ!!かわいかった。

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昨日までは薬もやっと飲めていたのに、それもできなくなってお父さんの帰りを玄関で 待っている姿に涙がでます。

妹家にも我家にも、いろんな出来事がこのマーチが拾われてきた14年間にありました。マーチといっしょに育ち、過ぎてゆきました。

さいごに会いたいと甥は、東京から急ぎ飛行機にのりました。




「子どもとたのしくわらべうた」長崎・浜の町
        2012年9月27日(木)に参加する親子を募集します。


子どもは、おかあさんの声を聴く、ふれあい、だっこが大好きです。

わらべうたは、長崎のでんでらりゅうばのほかに、こもりうた・手あそびなどがたくさんあります。それをご紹介してあそびます。

クラスは、2つ。毎月1回。お友だちをさそって浜の町に出かけませんか?

前回、8月24日のようすはここです。

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「子どもとたのしくわらべうた」 
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日時:2012年9月27日(木)
   1)0歳〜1歳クラス 10:00~ (マタニティーの方もどうぞ)
   2)2歳〜4歳クラス 11:00~
会費:1000円(親子一組・1回)
場所:すぺーす気楽・ 長崎市東古川町4-15 (コロッケさんの近く)
申込:9月24日まで、予約です
問い合わせ:e-mail 
   Tel 095-846-1642  090-9797-3709  山田ゆかり  Facebook

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すぺーす気楽さんの場所です。


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マンガ本「ペゴロスの母に会いに行く」につられて母の古写真を探しました。

私の母は、ペゴロスさんのおかあさん・みつえさんより1歳上の90歳です。

幼い時に樺島をでて長崎へ越境入学し、叔母の所から長崎の活水学院の英文科に通っていました。

後列右から二人目、母18歳・1940年ころ。
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後ろにいらっしゃるティア先生は、太平洋戦争がはじまったらすぐアメリカに帰国されたそうです。

勉強好きの母は英語はバッチリ。私は今も教えを請うありさまです。

若い頃のとしこさんは、樺島で「靴のかかとも理想も高い、モダンガールの売れ残り!!」とはやされていたそう。

むかしの写真をみながら、娘の私もやっぱりね。とうなずきます。

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母は理が勝つ気性。父から「もっと、ふんわりとならんとか!!」といわれていたそうです。

でも、和裁、洋裁もできて細かい針仕事は丁寧。母に太刀打ち出来ないです。

母の気性と父の強い影響を受け継ぐ私は、やわらかくはならないはずです。

ふたりで英語をしていると認知症でもシャンとなるとしこさんです。




長崎在住のマンガ家ペンネーム・ペゴロス、岡野雄一さんの本です。

この本は映画化が決定し、岡野さんは時の人。長崎の本屋で一番売れています。

マンガ本には、89歳の認知症のおかあさん・みつえさんとのホンワカとした会話やむかし話が描かれていて、昭和30年代の長崎がしのばれます。

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会話は、もちろん長崎弁。「そう、そう、そげん言いよった!!」となつかしい。標準語の注釈もあって絵も温かいタッチです。

当時、三菱の造船所から船が着く大波止は、夕方、大勢の人がど〜っと下船してラッシュでした。そんな大波止が思い出されます。

私の母・としこさんも90歳。みつえさんと同じ認知症もでて、読んでいるとジ〜ンとしてきます。

戦争前後をたくましく生きてきた母たちの背景がうかがえるマンガ本です。




レモンの種を植えてみたら、さわやかな若葉がでてきました。

若葉がスクスクと育つように每日水やりをしています。

その鉢にバッタが飛んできました。若葉とまちがえそうなかわいいバッタ。

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後知恵ですが、ショウリョウバッタモドキでしょうか?

ピョ〜ンと元気よくはねて葉っばの上に一休み。緑色で見分けがつかない!!

ちょっと、待っててね。するとチョコンと待っててくれましたよ。

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こんな小さな生き物にもきもちが通じるなんてうれしい。急ぎカメラをとりだしパチリとおさめて、やったぁ!!

単に、タイミングがあっただけですが。勝手によろこぶのです。

若者バッタ君!! 武者姿にみえますよ。




浜の町・あかちゃんクラスのおかあさんは、便利なものを使っていました。

若いおかあさんが、ペタリ、ペタリとシールをべビー服に貼って・・それは、何??

今どきの虫よけのシール。ハーブの虫よけスプレーは、知っていたけれどこれははじめてでした。

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いろんな虫よけのシールタイプのグッズがあるのですね。

でも、便利なグッズが増えたけれど、あれこれ買うとけっこうな値段になるそうです。

私の子育てころは、汗疹(あせも)ができて、トビヒになった足に白い薬をテンテンと塗ったりしていました。

「掻いてはダメ!!」とキンカンを塗ってガマンさせて、無理な話ですが。

近ごろは、あせもがおでこにいっぱいの子どもも見かけませんね。

モモの葉があせもには効果的といわれていますよ。




長崎の米どころ・諫早市の小長井の田んぼです。

梅雨どきの田植えから2ヶ月がたちました。

国道207号線から登るとすぐ田んぼ。稲が育っていくのが楽しみです。

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6月20日 田んぼに水がたっぷりひかれて泥水が満々でした。

6月27日 田植えしたすぐのころ。雨がポツポツ、梅雨まっさかりでした。

7月19日 梅雨のぬけそうなころ、たまたま青空に白雲がくっきりでした。

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8月22日は、夕方から雲行きがあやしくなって、ビュービュー風に稲がゆすられています。

突風で木の葉が渦を巻いてまいあがり、海も白い波がたっていました。

これから、台風もやってきます。ガンバッテ育ってね。




叔父の初盆に樺島へ行って来ました。

子どものころ夏休みになると樺島で暮らしていました。

昭和30年ころは、野母崎までバス。それから樺島へは渡し舟でした。

渡し船のゆれ、におい、エンジン音、波しぶき、ワクワクしながら渡った。

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お米をもたされて、まるで疎開のように親からはなれた生活は新鮮。

同じ年の従姉妹もいて每日がゆかい。叔母も、叔父もやさしかった。

島では、だいじなお客さんのように、美味しい料理をつくってもらった。

叔父の家には魚の絵がかかっていて、なんとなく守り神のような絵を見上げ、土間にはカマドがあり、五右衛門風呂に入っていた。

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ある時、新鮮なサバを煮つけにしてくれたが、ジンマシンがでて叔母をあわてさせた。

叔母は、せっせとツワの根をせんじて飲ませてくれて治った。

夏いっぱいの子ども思い出は、肌身にしみている。樺島にはそれがあった。

嫌な顔もみせず、ほがらかに世話してくれた叔母、叔父。大人になってその温かさに深謝している。

ありがとうございました。


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