うた
イッチク タッチク タエモンサン タエモハ イクラデ ゴーワンスイッセン ゴリンデ ゴーワンス モウチット モウチット
スカラカ マカラカ スッテンドン
しぐさあそびです。
軍手の指先にそれぞれ違う人形をつくり、うたにあわせて順に指して行く。
最後の「どん」で当たった指をまげ、最後は五本すべて折り曲げるまでする。
きろく
指あそびです。子どもは大変な集中力で魅せられたような目つきで聴き入ります。
このあそびは、何回も繰り返さず特別な時にと、一回きりにしたほうが良い
ように思います。
演じる人は、うたい時間がかかるので指を曲げた状態がきつくなってきます。
どの指からうたい始めにするのか工夫をしましょう。
私はこのうたで子どもの時に紙芝居を夢中になって見ていた姿を思い出します。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
がんがんじみゃ ふねきゃあぎゃ ふねはかわでな うまこうて
うまはどこへんに つなでたな さんぼんまつの きのしたに
ないどんば くれて つなでたな きょねんのあわがらと
ことしのひえがらと じっぱばかり とりくれて つなで ええたとばい
あそびうた
子もりうたです。ゆっくりうたってあげます。
きろく
長崎の川棚の子もりです。
私たちは、子もりうたをうたわないで久しく、せわしない日々を過ごしています。
ゆったりとしたうたは、聴き手もうたい手をも気持ちを落ち着かせ 昔の時間や情景を思い出させるものです。
好きな子もりうたを一つは持っていたいものです。
(参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)
うた
やんばらのふねが たきぎこつんで ぎしてぎし ぎしてぎしおおなみこなみ いりふねでふね しくてしく しくてしく
しぐさあそびです。
二人が向かいあって座り、腕を伸ばし手をつなぎ舟こぎを
しながらうたう。
きろく
舟こぎ遊びはたくさんありますが、これは沖縄のうたです。沖縄では、沖縄本島の北部の地方の山原(やんばら又は、やんばるという)
山のたきぎを船につんで、海辺の人に売ってたそうです。
昔、焚き木を海産物や塩と交換したのかもしれませんね。
”あっかとばい”では竿を数人で一列に座り持ち舟こぎあそびにしています。
うたの節が「やんばらの」の「の」で急に下がり「ふねが」の「が」で
急に上がります。子どもはうたえなくてもかまわないのですが聞いてて
声が裏声になる落差がとても面白いらしく子どもは大好きです。
(参考資料: 目あそび 手あそび 足あそび 草土文化)
うた
じょうりげんじょ げんじょ どどんま どんまあしのひら しょうぶに さいたか さかぬか まださき そもない どーどー
ぶつぶつ てにとって みれば ひどろか まどろか じょんじょの じょ
聴かせるわらべうたです。
布をふりながらや、人形を使ってうたう。
きろく
このうたは、きわめて古くから歌われことばの意味は殆ど不明だそうです。もともとは、鬼きめ、ぞうりかぞえに使われていたそうですが、”あっかとばい”では
ひざのせうたにしたり、人形を使ってうたっています。
大人は、意味不明のことばに違和感を持ちますが、子どもはすっぽり全部を取り込みます。
リズムにのった、なぞなぞことばのおもちゃかもしれません。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
ばんの べには おおひの もと あさの べにに かわわたり すんな聴かせるわらべうたです。
布をゆっくりふりながらうたう。
きろく
昔から私たちは、夕暮れ、お月様、山、海、川などが大好きで、その自然から先祖の言い伝えとか、知恵を聞き、体の感覚を研ぎすまして暮らしていました。
昔の人の知恵で、『夕がたに紅の時は、明日は天気でしょう、でも朝に紅の時は
天気に気をつけて川は渡らないように。』ということでしょうか。
最近は正確な情報が瞬時に得られる半面、残念ながら体感覚は鈍ってきました。
景色を子どもと一緒に見ながらうたって昔の知恵を話してあげましょう。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
”うた”
おつきさま えらいの かがみのように なったり くしのように なったり
はる、なつ、あき、ふゆ にほんじゅうを てらす
”あそびかた”
大人が聴かせるわらべうたです。
お月様を見あげるようにゆったりとうたいます。
”きろく”
お月様をうたうわらべうたは各地にたくさんあります。 昔から、日本人はお月様をよく愛でて、楽しむ民族なのでしょう。
中秋とは、旧暦(太陰暦)で、春夏秋冬を三ヶ月ごとに区切り、
それぞれの月の最初を初、真ん中を中、最後を晩とつけて言い表したので 秋(七、八、九月)の中月で八月十五日のことです。
よく聞く初夏や晩秋などの言葉はここからきています。
今年、2006年の中秋は西暦2006年10月6日です。
今年の長崎の中秋の名月は、雲に隠れず美しく見えました。
この日にちかくなると”あっかとばい”ではお月様のうたをうたったり あそんだりします。No.74
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
ねんね ねんね ねんねよ ねんね ねんね こんぼうよねんね さんせ とこさんせ あした はよう おけさんせ
ぼっちん ついて くわしゅうで ついて いやなら やいて くわしゅ
やいて いやなら たいて くわしゅ たいて いやなら なまで くわしゅ
ほうりゃ ほうりゃ ほうりゃよ おうおう おうおう おうおうよ
子もりうたです。
ゆったりと抱っこしたり、おぶったり、添い寝しながら聴かせます。
きろく
壱州とは長崎県の壱岐島のことで、ぼっちんとは餅、たいてとは煮ることです。現代は、何かと気ぜわしい、不安な時代になりました。
子どもに、子もりうたで寝かしつけることもしなくなってきましたが
母の声でゆっくりした歌を聴かせる時間は、親子ともに安心を与えると思います。
全国的な有名な子もりもありますが、できれば地元長崎の素朴な子もりうたを
うたい伝えていきたいと思っています。
(参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)
うた
1・ともさん ともさん花つみゆこや お手てつないで かご下げて
2・つんだ花々 小束になして 御母(みはは)マリアにささげましょう
3・花は我(われ)らの お手本様よ 人の心のいましめよ
4・ユリは潔白 ボタンは愛よ 派手な桜は信徳よ
5・憎しうらめし 山おろし風 咲ける桜を吹き散らす
6・咲ける花さん いくらもあれど 実る花さんいくらです
7・友よ我らも この世の花よ 徳のみのりに うまれきた
8・いかに嵐の 吹きすさぶとも 心引きしめ 気を強め
9・神の御園(みその)に 楽しむまでは しゃばの嵐に 散るまいぞ
あかちゃんをひざの上に乗せ 手を振ってあげながらうたってあげる。
また、子どもたちで輪になり 手をつなぎ、右回りや輪を縮めたり広げたり 手をかざして踊る。
きろく
長崎新聞連載の最終回となりました。
外海のド・ロ神父記念館のシスター橋口さんに教えてもらった、人の生きていく道しるべを 示すわらべうたです。
外海ではあかちゃんをひざの上に乗せ、手を振ってあげながらうたってあげていたそうです。
長崎は仏教やキリスト教が、その時代の権力に翻弄(ほんろう)され迫害された歴史があります。 その中にあって、他県にないカトリックの教えを、わらべうたの節でうたっています。
歌詞が外海の美しい風景、マリア像のある教会の風土にふさわしく、この世が徳(善の世)であること。 その徳の実りに生まれてきた私たち花は、つらいことにめげず、それぞれ心引きしめ しっかり生きましょう、と。
わらべうたは古く、もうなくなってしまったと思われる方が多いかと思います。 つい二十年くらい前まで子どもたちは、その地の風土、生活、社会状況を映しながら わらべうたやあそびをしていました。
しかし、最近は通りで友達とあそぶより一人ゲームの時代です。 心配なのは子どもの成長に、人とつながるという経験が少なくなること。
わらべうたは人とつながることでしかあそべない貴重な子どもの文化だと思います。 長崎のわらべうた、昔の人の知恵の詰まったうたを、これからも伝え続けていきたいと思います。
(長崎新聞 2005年9月掲載 2004年10月16日 ド・ロ神父記念館にて取材)
うた
ねったか ねらん かあ と まくらに きけば よ お まくら もの ゆう にゃあ ねた と ゆうた
長崎の外海の子もりうたです。ゆっくりとうたってあげましょう。
きろく
長崎の外海の森ユキさん、山口オキさんから伝えて頂いた子もりうたです。
昔、外海の人々は貧しく生活に追われていたそうです。
子どもがぐずって寝ないと、別のうたで「ねんねした子の かわいさ みぞさ 起きて泣く子の
面(つら)憎さ 面憎い子は 茶釜に入れて 松葉おりくべて ゆで殺せ」があったそうです。
現在のように子どもに、かまっていられなかった時代をうかがわせます。
当時の子どもは、夜早く寝ないと大変なことになるぞ!という
おどかしみたいなものがあったのでしょうね。
コンビニやテレビなど無かった時代は、親も子も早寝、早起きだった事でしょう。
そんな背景があった頃のうたですので、枕がものを申すとは何とも面白い詞ですし
節も美しいと思います。
ぜひ、長崎の子もりうたとして伝えていきたいと思います。
(2004年10月16日 黒崎にて取材)
うた
うちの せんだんのき せびがちいて なくよ 「★ドンドンシャンシャン ドンシャンシャン」せびがちいて なかんときゃ びっきがちいて なくよ「★」
うちのくぐりどは くぐりよかところ 「★」
うちのくぐりどは くぐりにくかところ 「★」
1)操り人形をうたにあわせて踊らせる。
2)めいめい好きな太鼓やドラ、鈴、マラカスなどの鳴り物を持ち、うたいながら行進する。
それぞれのうたの「★ドンドンシャンシャン・・」で足踏みしながら鳴らします。
きろく
佐賀県のわらべうたで門くぐりあそびです。手をつないだ隊列の一番端の門役2人を、反対の端の子がくぐっていきます。
他に”あっかとばい”では、2)のように賑々しくあそびます。
これだと2歳ぐらいから始められていろんな楽器が楽しめます。
子どもは、お祭りらしくいろんな楽器を「★ドンドンシャンシャン・・・」
鳴らし騒ぐのが好きです。
あたりかまわずドラや太鼓をがんがん鳴らすと、普段は耳を塞ぎたくなりますが
このうたでお祭りのようにはしゃぎ、踊ると楽しいです。
(参考資料: 佐賀のわらべうた 音楽の友社)
うた
ひとふた ちょうろくさん なんぼがとおよ(十)とおよが二十 二十が三十 三十が四十 四十が五十
五十が六十 六十が七十 七十が八十 八十が九十 九十が百ヨー
とこいっかん かしました
あそびかた
歌に合わせお手玉を投げ上げ、受けとったり、拾ったりする。いろんなやり方がある。
きろく
対馬のお手玉歌のご紹介です。最近はお手玉で遊ぶ光景を見かけなくなりましたが、世界のお手玉の歴史は古く
紀元前からトルコの城壁には羊のかかとの骨でお手玉遊びをしている姿が彫られているそうです。
日本では、奈良時代に中国から伝わり、それが江戸時代になって布のお手玉に変わり
俵形や座布団形になっていったようです。
昔、お手玉はみな手作りで、おばあちゃんから孫へと伝承していました。
中味は大豆やヒエ、数珠玉(じゅずだま)(河原に生える野草)など。
特に数珠玉お手玉は素朴な風合いで、 握り具合や音が最高でした。
しかし、コンクリート護岸になった現在、数珠玉はなかなか手に入らなくなりました。
また、長崎の類歌として「ひとふた/ちょうろくさん/なんぼがとうふ/とうふがにんじん/
にんじんがさんしょ/さんしょがしいたけ/しいたけがごぼう/ごぼうがろうそく/
ろうそくがしちりん/しちりんがはがま/はがまがくじら/くじらが百かんめ」
という面白い歌があります。
遊びには歌がつきものですが、これには節(ふし)が伝わってなく残念です。
私たちはこの半世紀、既製の物を安易に買うことができる一見便利な社会を手に入れた半面
家族の在り方、自然環境の大切さをおざなりにしてきました。
素朴な遊びを伝えないのは、非常に残念なことだと思います。
今こそ遊びや生活を見直す時期に来ているのではないでしょうか。
(2005年8月14日長崎新聞 掲載)
うた
しろきやの おこまさんを てぶねにのせて ゆりがながるる このはがしずむごんち ごんちょ ごんちょな
あかちゃんなどに、布、人形 などをゆっくりふりながら歌って聴かせる。
きろく
この歌は、あかちゃんや1、2歳の子どもの手をとってゆすりながら、ゆったりとうたってあげましょう。私は、チャイムなどの優しい音を聴かせながら歌っています。
「手舟に」とか、「ごんち、ごんちょ、ごんちょな」の言葉からしても
ゆられる子守歌のような感じがします。
「白木屋の、、」とは、背景に文楽の『恋娘昔八丈』の影響を受けた歌かもしれません。
うた
ひい、ふう、三四の うぐいすが 梅の小枝に巣をかけて十二の卵をうみそろえ うみそろえてたつときは
一つふわどり 二つふわどり 三つみわどり 四つよわどり 五つ医者さん
六ちゃむこどん 七つなんぎのおもちゃんが コレラの病気をわずらって 石炭酸をふりかけられて
うちのおっかさんな血のなみだ 血じゃなかった紅(べん)じゃった
太郎さん 次郎さん タバコ一きんかいなされ タバコかおよりゃ寺まいり
寺はどこかと本願寺 本願寺のうしろはよいところ そのよいところにこができた
そのこが六つになったなら 金のきんちゃく さげさせて むこから学校の生徒が五人づれ
一でよいのが糸屋の娘 二でよいのが人形屋の娘 三でよいのが酒屋の娘 四でよいのが塩屋の娘
五でよいのが呉服屋の娘 呉服かたげて ヤサッサ ヤサッサ ハヤハヤ イッコ
手まりを足をかけながらではなく、つくだけの時のうたです。
まりをつくのは、四、五歳では難しいあそびです。
幼い子は、手始めに、なるだけ長い間つける様にがんばる。
それが上手くできたら、足掛け、股掛け、スカート拾い、背中のせ
などの上の技の段階がありました。
きろく
長崎の島原半島の西有馬の安達フイマさんから聞いた手まりうたです。単純につきながらうたったそうです。
複雑なつき方が難しい四、五歳のころはひたすら長くつくよう熱中したものです。
そして、足掛け、また掛け、スカート拾い、背中乗せなどの難しい技に
挑戦していくのです。
最近、まりつき遊びが少なくなったのは、あそびの時にうたうことを
無くしてしまったからでしょうか。 何かさみしい気がします。
歌の中でコレラの病気に触れているのは驚きです。
昔はコロリと言われ、江戸時代の「安政コレラ」では数万人が死亡したそうです。
明治時代にも西日本一帯で流行し、人々を震え上がらせたといいます。
そんなうたでも、とんちゃくなくうたうのが、まさに子どもの文化ですね。
このコレラの文言の入った類歌が、同じ長崎県ですが、遠く離れた離島の
新上五島町に残っています。
どのようにして、わらべうたという文化の交流が行われていたのでしょうか。
西有馬は、「手延べそうめん」の産地で知られています。
昔、ここから「そうめん船」と呼ばれた商い船が天草や五島、壱岐
対馬まで風に乗って行き来していたそうです。
その帆船は、そうめんや米、みそ、しょうゆ、酒などを積み込み
各地の庶民の生活を支えていたようです。
うたもまた、船に乗り広がったのでしょうね。
小さい船が離島に伝えた素朴な手まりうたでした。
(西日本新聞 掲載)(2004年9月19日 西有馬にて取材)
うた
ひっちょこ はっちょこ 酒屋ごご 酒屋がいやなら 嫁にやろ
たんす長持 はさみ箱 鼈甲(べっこ)の小櫛(こぐし)も十二本
長崎雪駄(せきだ)も十二足 こうして世話して やるからは 二番に帰ると 思うなよ
父(とと)さん何を 言わしゃんす 千石積んだ船さえも 万石積んだ船さえも
向こうの港が 悪いなら もとの港へ帰ります 私もそれと同じこと
向こうの亭主が 悪いなら もとの我が家へ 帰ります
あそび
子もりうたです。あかちゃんを抱っこしたり、おんぶしながら、ゆったりとうたいます。
きろく
佐世保の木原町に残る子もりうたです。
子もりうたは、あかちゃんにとってゆったりした落ち着きのある母のうたです。そのうたを聴きながら、心地よい波に揺られるように眠りに誘われて いきます。
このうたは昔、全国各地から、皿山・三川内焼を買い付けにきた人が木原町に伝えたのでしょう。「向こうの港が」とは、佐世保港を指しているのでしょうか。佐世保は明治時代の初めに、海軍の鎮守府が置かれ、 一漁村から人口が急に増えた軍港都市です。
又は、皿山の近くには、波佐見や有田などの有名な陶芸の里もあります。その陶器はヨーロッパや、中国に輸出されていた歴史があり、その港、長崎 の出島のことでしょうか。
三川内焼は、青絵の具の染め付けによる唐子絵(中国の子ども達の姿絵)で知られ、この里は平戸藩の御用窯として江戸時代から幕府や、朝廷に手厚く保護され陶芸で栄えた町でした。
その皿山で、親のいうまま、お嫁に行かねばならない娘の言い分。または、嫁いだ先の若いお母さんの気持ちを表している様にも思えます。
子もりうたというのは、親が子どもを寝かしつける時に、うたった「寝させうた」。昔、仕事で忙しい親に代わって、幼い妹弟を子守りし、おんぶしたまま遊んだり、学校に行っていた兄姉がうたった「あそばせうた」。子守奉公に出てきた人が子どもを背負ってうたった「子もりうた」などがあります。
どのような背景でうたわれたにしても、人の思い入れがは入ったゆったりとした子もりうたは、子どもの心に染みわたります。
(長崎新聞 掲載:参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)
ひとりでさびし ふたりでまいりましょう
みわたすかぎり よめなにたんぽ いもとのすきな
むらさきすみれ なのはなさいた やさしいちょうちょ
ここのつこめや とうまでまねく
あそび
お人形やペープサートを使って、ゆっくりうたって聴かせます。
お手玉歌にうたう時は、リズミカルにお手玉のテンポに合わせ 速くうたいます。
きろく
このうたは、仙台地方のお手玉うたです。
お手玉うたとしてうたうと、テンポが変わって元気な歌になり おもしろいと思います。
私はことばのもつ雰囲気が、子もりうたのように思えるので 菜の花の咲くころに、ゆっくりうたっています。
(参考資料:わらべうた 岩波文庫)