わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

出島に住んでいたというと「うそ〜」と言われます。

いやいや、小学校から高校生までこの立っている場所に住んでいたんです。4歳ごろの写真もあります。

今回、KTNの取材をうけました。6月上旬に放映されるらしいです。

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毎日この場所から、新興善小学校→片渕中学校→長崎東高校へ通って育てられたと思っています。

子どものころは、嫌だったこともたくさんありました。

でも、私のだいじなルーツです。



4月19日にあった「出島の集い」のようすです。

長崎手帖の長崎歌・我長崎 其二は、歌で綴った明治33年前後の長崎の案内地図でした。

これに節を付けて、、のご要望ながら音読しながら節はちょっとかんべん願いました。

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124:長崎で、一番力が強いのは(ここでは起重力であるが)三菱造船所の扛重機。扛重機というよりも、長崎っ子には ジャイアント・グレーンといったほうがなじみ深い。このクレーンが港の空にそびえたのは、丁度五十年前の明治四十二年(1908)十二月十四日。英国製で、当時日本人は操作することを知らなかったので、英人技師のジャリー氏は鼻高々とでっかい物を吊り上げたり、向きを変えたりしていたそうである。 ところで、その力であるが、起重力一五0屯と言われるから、トラックなら三十台、特急さちかぜの機関車なら二輛半(石炭車を含まない)長崎料理に出る鯨(全長二十五米)なら一匹半を一度に吊上げる計算になる。なおクレーンには係員以外は登れないが、上からの眺めは市内を一望のうちにおさめて、石川五右衛門ではないが、絶景かなと思わずうなりたくなるそうである。

このクレーンは今、2015年でも使われていて、2003年に国有形文化財に登録されたものです。

4月18日放送の「ブラタモリ 長崎編2」にも取り上げられたそうですよ。

今回は、長崎手帖No.12 長崎歌・我長崎 其二〜長崎の漬物2〜長崎あれこれ11〜長崎一番帳125まで。

前回はここ。次回は5月31日の予定です。



3月14日は5名が参加されました。

今、話題の戦艦武蔵の発見が話題になり、宮田さんから勧めていただいた「戦艦武蔵ノート」も読まなくちゃです。

さて、集いはいつもの長崎手帖の音読の続きです。
慕情曼荼羅
私が、いつもうつくしく心をひかれるのは長崎の女性である。
顔かたちが、名産茂木びわに似ていて瓜実顔(うりざねがお)であるのも美人を思わせるが、あの果肉のように、水々しさが漂う小麦色の肌色は健康を思わせ、あるか無きかのうぶ毛が、いかにもういういしくて魅力的である。

それに先輩の女性が、悲話の持ち主で、今もなお語り伝えられている事は石段、石橋、石畳道の行きずりに見掛ける女性にも、何処かそんな風なものが秘そんでいる様に思われ、旅人の慕情をそそるのである。
ジャガタラお春は、才女で名文を書き送ったし、お菊さんはロチの心をゆさぶったし、蝶々夫人は、悲しくもまた晴れやかな舞台に蘇返っている。

ロマンの丘、ロマンの海、そして石畳の道までも。長崎は長崎の女性がここに三世紀に互って繰り広げたロマンの街である。  寺本春風氏の記事より抜粋。
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宮田さんがお元気になられたら、武蔵のお話を伺いましょう。

今回は、長崎手帖No.12 新長崎地図7 館内町〜碑をたずねて7 横山桜〜長崎を囲む樟樹(くすのき)〜慕情曼荼羅〜浦上廃墟〜長崎歌・我長崎まで。

前回は、ここです。次回は4月19日(日)の予定です。



今回は、集いの前に出島発掘調査現地説明会があり、参加しました。

いよいよ待望の架橋が現実になってきてうれしいことです。雨天を危ぶみましたが、江戸町側の説明会でした。

「出島の集い」は内外クラブで6名参加、長崎手帖からのご紹介です。

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長崎手帖No.12 唐人屋敷の思い出より 唐人屋敷に落付いたら門外には、一歩も出ることならんから、内から、豚屋、酒屋、と高ごえでよんで註文をする。
唐人屋敷の出入人は、何の商人でも定まって居て、仲居に至る迄外から入る事ならん。門を出入りする時は、遊女より仲居に至るまで、身体けんさして、一物も持ち出す事ならん。しかし遊女でも、下駄の歯に引き出しを付けて、サンゴジや、めずらしい物を持ち出して高く売るお客の支那人と話し合うて、持ち出す遊女も会った由。

唐人屋敷の品を一物でも密売した人は唐人屋敷の前でたたきばらいに合う。百たたき、二百たたきと云うで、つみの次第で数多くたたかれる。
密売すると利益が多いから、密売買をする。これを「バハン」と云うて、きもの太い人は唐人船が着くと、炭俵を頭にかぶって、炭俵のうかったように見せかけて、およいで内しょで船にのりこみ、商品を受け取ってあきないをする人さえあった。

炭俵を被って浮かせたように見せかけ、唐人船まで波間を数キロも泳ぐ、バハンの姿を想像してみなさんの大笑いです。

他に、長崎の方言「おめく」=叫ぶ。の文も笑いを呼びましたよ。

今回は、長崎手帖No.12 たのしきふるさと〜唐人屋敷の思い出まで。前回は、ここです。

次回は3月14日の予定です。



出島の発掘調査説明会に行ってきました。

これは、出島表門橋架橋に伴う江戸町側の発掘の説明会でした。

掘ったところに杭が何本も建っていたり、階段があったりと、明治期に埋めた様子が解っておもしろい。

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今の出島の扇型石造りの護岸は、明治20年に削られてしまったそうです。

削った理由は、中島川を広くすることで川の流れをスムーズにして、船などが行き来できる川幅にするためだった。

もっと、出島は江戸町よりだったのだ!! すると、今より江戸時代の出島はビッグだったということです。

参加者は各コース40名、でも50名位はいたかも?人々の関心が高いですよ。



第三十ニ回、長崎の出島オランダ商館跡地にお住いだった方々、昔の長崎に興味のある方々の交流会です。

テーマは「長崎手帖」に沿ってです。会費は無料。

第三十一回のようすはここです。いらっしゃってみませんか?

第三十ニ回「出島集い」
日時:2015年2月28日(土)11:00~13:00
場所:長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(昭和30年ごろの長崎のようす・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり 要連絡
e-mail : warabeutaアットgmail.com

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今回は、当日「出島発掘調査現地説明会」が開かれます。時間的に「出島集い」の前後に参加できます。(広報ながさき25P掲載)

参加ご希望の方は、申し込みますので上記の山田までご連絡下さい。


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2015年に入って出島は復元工事が大きく前進しそうです。

出島の集いには、5名の参加され、長崎手帖も少しづつ進んでいます。

長崎手帖No.12 茶のみ話より オランダナスビ
「おそろしか、あすこはオランダナスビば食べよるばい」と言って驚いたのは、明治三十年頃のことでしたか。オランダナスビは今でこそ珍しくありませんが、当時はいわゆる舶来物、まだ一般の家庭では余り食べていませんでした。無論、値段も高うございました。オランダナスビと言うのは、今のトマトのことですよ。オランダナスビと言ったり、ジャガイモのことをオランダイモとよんでいたのは、本当に長崎らしい言葉と思います。 本籠町 本田藤太郎氏

復元工事というのは、長崎県庁裏道りから架かる出島の表門橋。そのための建築現場がドドンと出現していました。

やはり、キーポイントの橋は欠かせません。2016年秋には出島の形が整うと思うと、今から楽しみです。

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今回は、長崎手帖No.12 茶のみ話〜私の長崎案内〜道富丈吉の墓〜写真と長崎まで。前回は、ここです。

次回は2月28日の予定です。



1月26日は、新年初の出島の集いでした。2ヶ月ぶりです。

出島は、2016年秋に架かる表門橋にむけて本格的な工事現場が建っていました。只今、旧石倉の前の庭園は閉鎖中。

旧石倉の前は、私が高校まで住んでいた場所で、また60年前と同じ工事現場が建っているのです。

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感慨深く、父が監督してる姿がでている新聞記事を出してみる。

あっという間に月日が経って不可思議です。時間の経過が実感なく、あぁ・・・・という感じになりました。

父が亡くなって15年。これを見て父はどう言うのだろう?

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どこからか「いよいよだな〜」と聞こえて来るように思う。



11月23日、出島の旧内外倶楽部で集まりました。

年に一度の写真をお配りして、5名で和気あいあいの小会です。

気負わずふらりと月1回集まり、長崎手帖を音読していくことが楽しみです。

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長崎一番帳113より
長崎市にただ一つしかないものの一つは、まず寺町晧台寺の正面の大仏殿に安置されている大仏さんである。金銅の鋳造で、高さは一尺六寸(蓮台を含む)作者は明らかでないが延宝五年(1677)の作。
「かまくらや御仏なれどしやかむにの美男におわす夏木立かな」鎌倉の大仏さんは与謝野晶子に礼賛されているが、ここの大仏さんの端厳微妙な美男ぶりもそれに劣らぬと言われている。また宝冠をかぶってあるのは晧台寺の大仏さんだけで、全国に一体しかないのではないかとも言われている。有名な奈良の大仏さんも鎌倉の大仏さんも無冠である。
なおこの大仏さんが祭られる前年(延宝四年)には「浜の町」が誕生し、翌年(延宝六年)には現存の諏訪神社が再建されている。

浜の町は、1676年には出来ていたんですね。古くからの町でした。

今回は、碑をたずねて6 歳旦塚〜長崎の漬物〜長崎一番帳113〜120まで。前回は、ここです。

次回は12月26日。忘年会も兼ねますので要連絡をお願いします。
携帯090-9797-3709 山田ゆかり (12月20日までに)



9月28日は晴天の秋空でした。出島には観光客が増えています。

2014年のくんち踊町の松本さん(西濵町)もお忙しい中参加されました。

Sさんは、庄内の駄菓子「からからせんべい」のおもちゃを持ってきて下さった。木製のちっちゃな組み立て犬でした。

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長崎手帖の面白い話、魚の箱書きから抜粋。
鮃(ヒラメ)も鰈(カレイ)も幼魚は両側別々に目が付いて居て、成長するに従って一方により集まるものであるそうな。(筆者 増田高彦 増田水産KK専務)
Yさんは、以前この様子をTVで見たことがあるそうです。ほほう、見てみたかったですね。

今回は、長崎手帖のNo.11 長崎町づくしの歌〜尺八と長崎〜魚の箱書き〜稲佐外人墓地〜長崎と竹下夢二まで。前回はここ

次回は10月26日(日)。注意点:会場は、東山手甲十三番館です。



長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での第二十七回、交流会です。

参加は、出島の最後の住民だった方、一般で興味のある方をお誘いします。

テーマは「長崎手帖」に沿って。お気軽にいらっしゃいませんか。

会費は無料。第二十六回のようすはここです。

第二十七回「出島集い」
日時:2014年8月24日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(昭和30年ごろの長崎のようす・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡

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出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。

元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。

昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。


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いつもの長崎手帖を音読です。集いは2014年6月22日

手帖の中の面白い文章をご紹介します。陸蒸気=昔の汽車です。

正式に汽車(当時の人は陸蒸気とよんでいた)が市中を走ったのは長崎と言われている。時は慶応元年(1865)のこと。走ったのは大浦海岸通りで、今でも地下には、一番下にグリを敷き、その上をあまかわでたたき、その上には小さなグリ、その上に温石を敷きつめ、その上に真砂と言ったレールの道床の後が残っていると言われる。

走った区間は、税関(今の市民病院)前から松ヶ枝橋間で、敷設はグラバー商会の手になったのだそうである。この汽車が走る前日、時の奉行は市中に、この意味の触れ書を回したそうだ。
「明日、大浦海岸にて火を吐きながら走る陸蒸気と言う車が運転されるから、立ちのぼる煙を見ても火事と間違えぬようにせよ」  長崎一番帳・112より抜粋

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1865年といえば、坂本龍馬が長崎に亀山社中をつくった年。そして2年後、1867年に京都で暗殺される。次年、1868年が明治元年です。

まさに、江戸時代から明治への激動の時代に陸蒸気は走ったんですね。

長崎で坂本龍馬は、陸蒸気を見たでしょうか?

第二十五回は、長崎手帖No.10の、蜀山人の恋文〜コーヒーの飲み方〜長崎一番帳107~112まで。第二十四回はここです。

次回は、7月27日(日)の予定です。どなたでも参加できます。気軽にいらっしゃいませんか?



長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での第二十五回、交流会です。

出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方の参加をお誘いします。

テーマは「長崎手帖」に沿って。気軽にお誘いあわせていらっしゃいませんか。

会費は無料。第二十四回のようすです。

第二十五回「出島集い」
日時:2014年6月22日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡

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出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。

元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。

昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。


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いつものように、長崎手帖を音読しながらの集いでした。

その中の「長崎闌秋」の下村ひろし氏の一文です。
私は永井隆博士揮毫(きごう)半折を一本所持している。それには「如己愛人」と書いてある。1951年新春と日附がしてあるから博士の最晩年の年のものだ。この辞句は、永井その人の象徴であるし、如己堂の名の由来にもなっているので真に意義が深い。私はこの書を見る度に心が洗われる想いがしている。・・・
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「闌」は読めなかった漢字です。調べると訓読みで「たけなわ」「た(ける)」「手すり」。「闌秋」は、「あきたけなわ」十月ごろのことだそうです。

ふむふむ、難しいなぁ。今回は松本さんのお祝いもいたしました。

第二十四回は、長崎手帖No.10の、その頃の音楽家たち〜長崎のあれこれ〜長崎相撲甚句〜長崎闌秋まで。第二十三回はここです。

次回は、6月22日(日)の予定です。どなたでも参加できます。気軽にいらっしゃいませんか?



長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での第二十四回、交流会です。

出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方の参加をお誘いします。

テーマは「長崎手帖」に沿って。気軽にお誘いあわせていらっしゃいませんか。

会費は無料。第二十三回のようすです。

第二十四回「出島集い」
日時:2014年5月24日(土)12:00~14:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡

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出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。

元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。

昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。


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