さいきん、武満徹の「◯と△の歌」をうたっています。
歌詞がステキな歌です。のびのび、ほがらかにうたうのです。
地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ 砂漠ハヒロイゼ ピラミッドハ三角ダゼ
空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ
空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ
地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ ロシアハヒロイゼ バラライカハ三角ダゼ
そんな時、かわいいアオイ林檎を一個もらました。
きれか〜(長崎弁:美しい!!)
「林檎ハアカイゼ」ばかりじゃないゼ、とあまのじゃく。

たべるのがもったいない!! こぶりで手にすっぽりはいります。
はじめてみる林檎、しばらくながめていよう。
小型ながら世界で一番多目的なカメラ、GoProがすごいです。
ヘッド装着ベルトにつけてスポーツ全般、サーフィン、スノボーするのを撮ったりもできるカメラ。
GoProで撮った動画がダイナミックで美しいんです。
ハワイの夜景。海でサーフィンをしている女の人、女の子もカッコイイ!!
ワイド画面でどうぞ。
球体レンズでワイドな撮影ができて、防水なので水中もOKです。
実物を見せてもらって、手にとるとその小ささにビックリでした。
カメラの大きさを身近なiPhone4と比べると、約3分の1強のサイズです。厚さは約3倍、コンパクトでスマートでした。
GoProイイぞ、ハワイにもまた行きたいなぁ!!
製品特徴:amazonより
GoPro HD HERO2 アウトドアエディション[CHDOH-002]
本体サイズ:約60mm×42mm×36mm(レンズ球面部含まず)
ハウジングサイズ:約72mm×66mm×41mm(※レンズ球面部およびステー部含まず)
本体重量:約169g(本体:約97g ハジング:約72g)
先月、めずらしい珍味が北海道の礼文島から届きました。
美味でした。長崎にはありません。周りに食べた人も一人もいません。
それを勧めたいのが人情です。
ぬかホッケを味見してもらったら、アイルランドの黒ビールがでました。
はじめて飲むギネス・エクストラ・スタウトです。

これが、ぬかホッケにピッタリだったんですよ。
生のぬかホッケに泡フワフワ黒ビールです。これはいけます!!
バリっと身を剥いでは噛む、ゴクリと黒ビールを飲む。ヤッホ〜。
最高の取り合わせでした。シアワセきぶん。
1945年8月9日は、ソ連が旧満州に侵攻した日です。
その日、家族と離ればなれになってしまった少年。日本人の父とロシア人の母を持ちコサック少年として育った波瀾万丈がはじまります。
北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独りで歩き続けた10歳の少年。

コサックの生き残り、ビクトル少年の知恵を教えてもらいます。
虫について。
<いちばん効果があるのは、馬糞を利用する方法だ。ズタ袋の中には折りたたみの布製バケツが入っていたから、それに水を汲んで拾った馬糞を落とし込む。しばらくして水が黄色っぽくなったら、その上澄みを首筋に塗りたくるんだ。帽子の内側にも塗ってそいつをかぶると、さすがに虫たちも全然寄ってこないんだよ。だから虫で苦労したことはほとんどなかったね。>(219P)食べ物について。
コサックの子どもたちは、小さいころから機会あるごとに草の知識を与えられる。・・よくわからないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても多分大丈夫。すぐしおれるものは、あぶない。匂いも嗅いで判断した。・・・でも、いちばんビクトルを支えた食べ物はクルミだった。(237P)水について。
大人の身長より高い木が生えているところを流れているのはいい水だ。岸辺に木が生えて流れはゆるやか、川を覆う木の影に魚の姿がいっぱい見えるところならそれはもう素晴らしい。ブルーベリーも大事なことを伝えてくれたよ。上流から下ってくるブルーベリーが草むらに流れつく直前の水はとてもいいんだ。(233P)コサックの人間について。
コサックは、追いつめられても途方に暮れない。満州時代、川の氾濫のため、家も開墾した農地も流されてしまったコサック村があった。すべてを失った村の人々は声をあげて嘆き悲しんだ。そのうち一人の男がかろうじて手元に残ったバラライカを弾き始めた。一人二人の歌声がやがて全員の合唱となって響き渡り、全壊した村を前に踊りの輪ができあがった。そばでそれを見ていた特務機関員は「日本人にはありえないこと」と半ば呆れ、半ば戦慄を覚えたという。 彼らの不敵さと不屈さは、ビクトルのなかにも生きていた。(253P)

どんな苦境にあっても、顔をあげ、太陽に感謝し、歌をうたい歩き続けた。驚くべき不屈な姿です。
自然とともにあるコサック人の魂がビクトル少年に宿っていたと思います。
想像するのも悲惨で残忍な事実もありましたが勇気がわく本でした。
ビクトル少年は、日本に統治されていた満州国のソ連国境に近いハイラルという軍都で1935年に生まれました。
父親は日本人の毛皮商人、母親はロシア人のコサック娘の長男として。
満州に亡命したコサック人の祖父から日本人として唯一、コサックの伝統を受け継ぐ少年は、ハイラル育って10歳で敗戦をむかえます。
後年、大人になってからはサンボ(格闘技)で世界的に有名になりました。

でも、ロシア国技サンボの覇者として認められることより、独りで満州国から引き揚げた少年時代が人生のハイライトだったと語っています。
それは、母や祖父からコサックの伝統、生き抜くサバイバルのし方を授かって、あきらめず満州の大地を踏破したからでしょう。
少年は、ナイフを持ち、馬に乗り、木の実をとり、川を渡り、自由闊達でした。
悲惨な場面にいくども遭っても、慎重にサバイバル力を活かし乗り越えてゆく。暗くない話、逆に明るい話なのです。

コサック少年が極限におちいった日本人について言ったことばです。
日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちしてパニックになる。(272ページ)
私のことを言われたようで、頭をガンと殴られた気がします。
日本人の本質をついていることば。かみしめなくては!!
後編に続きます。
最近、一番おもしろかった本です。
1935年生まれ77歳のビクトル古賀さん、当時10歳の時のお話です。
終戦直後の満州動乱の中、ビクトル少年は北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独り完歩したそうです。
太陽をあおぎ、食糧、水、マッチも持たずズタ袋にナイフ1本で。
その驚愕の体験記が基になった本です。すざましい生きざまに感動でした。

1000Kmとは、車で長崎ー東京間(高速で約1200Km)子どもがとうてい歩ける距離ではありません。
コサック最後の少年は、自然への洞察力、人間の極限を観る、生命力がハンパではありませんでした。
このビクトル少年の語るコサック人の知恵を学びたいとおもいます。
次回から紹介してみます。
ずぼらなぬか漬けをつくっています。
一夜といわず三夜ぐらい漬けた古漬け、とくに茄子が大好きです。
こまめに每日かきまわし、手入れをするのではありません。

冷蔵庫に入れているので、気がむいた時だけかきまわす。
忘れている間は、寝かせているのよ!!というアバウトなぬか漬けです。
ぬか床の表面が白く変色しようが、手が臭くなろうが構いません。
さすがに、一週間もおくと色もわるく、酸っぱくなりますがよく漬かってて美味しいんです。
気にせずパクパクたべてます。

白いご飯、ぬか漬け、味噌汁、煮魚の献立はおごちそうです。
定番はきゅうりですが、かぶ、大根、キャベツも美味しいですよ。
母のところから帰り、飽の浦を通りました。
この方角から長崎の港を見ると、海が凪でおだやかです。
すーっとした海と港にほっとします。

旭大橋のてっぺんを通る時、左は長崎駅、右は大波止が一望できます。ちょっとしたパノラマ風景にであいます。
橋の上は車を止められないので、この風景は一瞬でモッタイナカ!!
ちょうど、橋から山のほうで花火が上がっているのが見えました。港からでない花火は長崎ではめずらしい。

長崎はすり鉢状になっていて、小高い山の上まで家がビッシリです。
せせこましい。でも、下ると港に続いているので開放感があります。
きょうは、この凪の港に充電させてもらいました。
甥が帰って来るのを待って、妹の家のマーチは亡くなりました。
心臓に腫瘍ができてどうしようもない状態。よくがんばった!!
むかしのマーチの写真や動画をみていたら、凛々しい姿がありました。
2010年の元旦の朝、稲佐山。

マーチは、散歩の気配がすると、庭中を駆けまわりしっぽを振って喜びをあらあわします。
若い頃、筋肉モリモリで先に稲佐山に登っては、まだ、来ないのか!!という顔で待っていました。この元旦の日の姿と同じでした。
ビーグルと秋田犬の雑種。ハンサムで、けなげな犬でした。

この夏は、散歩もきつかっただろうに、、と妹はふびんがります。
でも、甥たちの懸命な酸素吸入の手当を受けて苦しまずにいったそうです。
カラフルな花がマーチには似合うと供花しました。
妹の家の犬、マーチが心臓病でぐわいがわるくなりました。
けなげな84歳の犬。先日から病院かよいです。
義弟が今年の夏から散歩にいっても、元気がないと言っていたのですが。

もう、散歩に行こうにも体力がありません。
私が行くと車の音で解かって吠えなかったのに、最近はワンワンと吠えては怒られて、バツがわるい顔をしていました。
若い時は元気で筋肉モリモリ、やんちゃな犬。マーチ!!かわいかった。

昨日までは薬もやっと飲めていたのに、それもできなくなってお父さんの帰りを玄関で 待っている姿に涙がでます。
妹家にも我家にも、いろんな出来事がこのマーチが拾われてきた14年間にありました。マーチといっしょに育ち、過ぎてゆきました。
さいごに会いたいと甥は、東京から急ぎ飛行機にのりました。
マンガ本「ペゴロスの母に会いに行く」につられて母の古写真を探しました。
私の母は、ペゴロスさんのおかあさん・みつえさんより1歳上の90歳です。
幼い時に樺島をでて長崎へ越境入学し、叔母の所から長崎の活水学院の英文科に通っていました。
後列右から二人目、母18歳・1940年ころ。

後ろにいらっしゃるティア先生は、太平洋戦争がはじまったらすぐアメリカに帰国されたそうです。
勉強好きの母は英語はバッチリ。私は今も教えを請うありさまです。
若い頃のとしこさんは、樺島で「靴のかかとも理想も高い、モダンガールの売れ残り!!」とはやされていたそう。
むかしの写真をみながら、娘の私もやっぱりね。とうなずきます。

母は理が勝つ気性。父から「もっと、ふんわりとならんとか!!」といわれていたそうです。
でも、和裁、洋裁もできて細かい針仕事は丁寧。母に太刀打ち出来ないです。
母の気性と父の強い影響を受け継ぐ私は、やわらかくはならないはずです。
ふたりで英語をしていると認知症でもシャンとなるとしこさんです。
東京FMのHonda Smile Missionにでている車のプチェコ。
そのおしゃべりをする車のサイト、あのねプチェコを見ていたら、突然お菓子の「五家寶(ごかぼ)が出てきてびっくり!!
それが、熊谷の「五家寶(ごかぼ)」を食べたばかり。シンクロです。
プチェコのサイトは全国のおいしいものめぐりもしていました。

五家寶は、お土産のおすそ分けで素朴な味がおいしかったのです。
お菓子の中身は、白いやわらかいおこしみたい。外がわにきなこをまぶしてありました。懐かしい味です。

プチェコのおしゃべりは、声のトーン、速さ、目の動かし方が変わっていくみたい。かわいいです。
ねむたそうな目で、かったるそうにしゃべってる時が好きだなぁ。「前のことだから、おもいだせないなぁ〜」と天然ボケしてる。
プチェコのサイトで「長崎の皿うどんは、うどんじゃなかけんね!!」といったら。
「長崎県はもぐもぐしたいものがたくさんあって決められない」との返答だった。
もっと、天然ボケのプチェコになってほしいなぁ。
長崎在住のマンガ家ペンネーム・ペゴロス、岡野雄一さんの本です。
この本は映画化が決定し、岡野さんは時の人。長崎の本屋で一番売れています。
マンガ本には、89歳の認知症のおかあさん・みつえさんとのホンワカとした会話やむかし話が描かれていて、昭和30年代の長崎がしのばれます。

会話は、もちろん長崎弁。「そう、そう、そげん言いよった!!」となつかしい。標準語の注釈もあって絵も温かいタッチです。
当時、三菱の造船所から船が着く大波止は、夕方、大勢の人がど〜っと下船してラッシュでした。そんな大波止が思い出されます。
私の母・としこさんも90歳。みつえさんと同じ認知症もでて、読んでいるとジ〜ンとしてきます。
戦争前後をたくましく生きてきた母たちの背景がうかがえるマンガ本です。
レモンの種を植えてみたら、さわやかな若葉がでてきました。
若葉がスクスクと育つように每日水やりをしています。
その鉢にバッタが飛んできました。若葉とまちがえそうなかわいいバッタ。

後知恵ですが、ショウリョウバッタモドキでしょうか?
ピョ〜ンと元気よくはねて葉っばの上に一休み。緑色で見分けがつかない!!
ちょっと、待っててね。するとチョコンと待っててくれましたよ。

こんな小さな生き物にもきもちが通じるなんてうれしい。急ぎカメラをとりだしパチリとおさめて、やったぁ!!
単に、タイミングがあっただけですが。勝手によろこぶのです。
若者バッタ君!! 武者姿にみえますよ。
10ヶ月ぶりに釣りをまた始めました。
久しぶりのエギングです。とうぜん釣果なしです。
先日、イカの手応えがあったのですが逃げられてしまった!!
今日は小ぶりのエギでやること40分。当たりもありませんでした。

その後、メタルジグに替えて魚だったらなんでも釣ろうとするも。
あらぁ、、ネガカリしてお気に入りの「撃投」を無くしてしまった!!
オルブライトノットの結び方も忘れて、これではまずいのです。
また、一からのショアジギングです。釣り合宿ばせんばかも。