長崎の出島で酒屋さんをされていた酒井美子さんに会いに行ってきました。
昭和30年ごろ、長崎ではお正月用のお餅を搗く職人さんたちが町内をまわっていたんです。
出島では、暮れになると酒井酒屋さんの土間で餅つきがあっていたのです。
その酒井美子さんの餅つき思い出をお聴きしてきました。
美子さんのお母さんは、餅つきの行事などがお好きだったそうです。
戦前から出島で酒屋さんをされ、美子さんの餅つきのお思い出は、苦いそうです。
うちでは、立ち飲み酒屋もしていて、たくさんの職人さんたちが集まって・・と。
安倍川餅などにして、その人達に食べさせる為にたくさん餅を搗いていたそうです。
でも、残ったカビ臭い水餅をお正月越して3月の春まで食べさせられて・・・と。
そうです、そうです!! うちもカビ臭い鏡餅を食べていました。
我が家は、餅つきの日は、朝早くからあんこ餅用の餡をたくさんつくって置くのです。
寒い明け方に母と一緒に持って行き順番を待つ、丸めた餡を餅で包む。楽しみでしたよ!!
あんこ餅は一人5個とか決められてて、すぐ食べてしまって無くなるのですが。
鏡餅や机やピアノの上に飾られた白餅は残るのです。
白餅のカビが広がらないように黄色い大きなアルマイトのバケツに水を入れて保存です。
当時は、カビが少々生えていても当然食べる。 勿体無い!!という昭和30時代ですね。
そんな、出島の餅つきとか、当時の幼い弟の話も出たりして・・・。
お世話になった酒井さんにお会いで良かったです。