長崎歴史文化協会であった長崎くんち考の講座にいきました。
くんちが近いので越中哲也先生の講座でした。
講座は、本や資料では伝わらない越中先生の人間味のある解説が楽しかったです。
ほんとうに、詳しく頭脳明晰で元気でいらっしゃいました。
長崎くんち考
1くんちの語源
重陽(旧暦)
2,京都祇園会(ギオンの語源)の行列
山笠(ダシ) 傘鉾(長刀鉾) 行列、前夜祭
3,博多と対外貿易 大内氏文化と京都
4,キリシタン時代の長崎開港(1571)
イエズス会に長崎寄進(大村純忠) 浦上寄進(有馬氏)
5,豊臣秀吉のキリシタン政策と交易
1587年6月7日(天正15)秀吉博多へ(九州経路)
6月17日 キリスト教禁制
6月18日 コエリヨ博多にて秀吉に面接
長崎領人発令(高木、高島、後藤、町田の四人)
1588年4月 鍋島直義 長崎代官(イエズス会領)
5月 浅野長政、戸田勝隆 長崎支配
1592年(文禄元) 朝鮮役 4月 秀吉、唐津名護屋着
須川主人 他、秀吉に会う
長崎奉行として 寺沢広高(唐津の城主) 代官 村山等安
1596年(慶長元) 26聖人殉教
1598年(慶長3) 悟真寺(浄土宗筑後久留米)建立、唐船入港
1604年 正覚寺(真宗) 1615年 大阪夏の陣、1620年(興福寺ー寺町)
1610年(慶長15) 有馬氏とマドレ・デウス号事件
1621年(元和7) 長崎甚左衛門 死(時津?)
1622年(元和8) 元和大殉教
1625年(寛永2) 青木賢清 長崎に来る(?)
1626年(寛永3) キリシタン禁教(水野河内守)
1634年(寛永11年) 諏訪神社、西山郷に創設
諏訪祭礼開始
はやいもので父の十三回忌を迎えました。
越中先生にお話したら、光源寺で法要の準備を整えて下さった。
法要の後、父が光源寺の鐘つき堂や越中先生の家を建てた時のエピソードなど 懐かしい話が出て法要はおわりました。
光源寺からお墓にもいっしょに行ってくださってお経をあげて下さった。
母と越中先生は一歳ちがい。あれこれ昔のことを話して母も楽しそう。
みんなで写真を撮ろうとタイマーをオンに、でも設定ミスでボツ。ざんねん!!
越中先生から「あんたは、いつもオッチョコチョイね!!」といわれました。
ほんとうにそう。もっと落ちつかんばイケマセン!!
お墓参りも無事おわって、今年のくんち庭みせをする玉園町の迎陽亭(こうようてい)にお送りしました。
あの世の父も喜んでいるでしょう。よかった、よかった。
越中先生、ありがとうございました。
さいきん、武満徹の「◯と△の歌」をうたっています。
歌詞がステキな歌です。のびのび、ほがらかにうたうのです。
地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ 砂漠ハヒロイゼ ピラミッドハ三角ダゼ
空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ
空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ
地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ ロシアハヒロイゼ バラライカハ三角ダゼ
そんな時、かわいいアオイ林檎を一個もらました。
きれか〜(長崎弁:美しい!!)
「林檎ハアカイゼ」ばかりじゃないゼ、とあまのじゃく。
たべるのがもったいない!! こぶりで手にすっぽりはいります。
はじめてみる林檎、しばらくながめていよう。
1945年8月9日は、ソ連が旧満州に侵攻した日です。
その日、家族と離ればなれになってしまった少年。日本人の父とロシア人の母を持ちコサック少年として育った波瀾万丈がはじまります。
北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独りで歩き続けた10歳の少年。
コサックの生き残り、ビクトル少年の知恵を教えてもらいます。
虫について。
<いちばん効果があるのは、馬糞を利用する方法だ。ズタ袋の中には折りたたみの布製バケツが入っていたから、それに水を汲んで拾った馬糞を落とし込む。しばらくして水が黄色っぽくなったら、その上澄みを首筋に塗りたくるんだ。帽子の内側にも塗ってそいつをかぶると、さすがに虫たちも全然寄ってこないんだよ。だから虫で苦労したことはほとんどなかったね。>(219P)食べ物について。
コサックの子どもたちは、小さいころから機会あるごとに草の知識を与えられる。・・よくわからないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても多分大丈夫。すぐしおれるものは、あぶない。匂いも嗅いで判断した。・・・でも、いちばんビクトルを支えた食べ物はクルミだった。(237P)水について。
大人の身長より高い木が生えているところを流れているのはいい水だ。岸辺に木が生えて流れはゆるやか、川を覆う木の影に魚の姿がいっぱい見えるところならそれはもう素晴らしい。ブルーベリーも大事なことを伝えてくれたよ。上流から下ってくるブルーベリーが草むらに流れつく直前の水はとてもいいんだ。(233P)コサックの人間について。
コサックは、追いつめられても途方に暮れない。満州時代、川の氾濫のため、家も開墾した農地も流されてしまったコサック村があった。すべてを失った村の人々は声をあげて嘆き悲しんだ。そのうち一人の男がかろうじて手元に残ったバラライカを弾き始めた。一人二人の歌声がやがて全員の合唱となって響き渡り、全壊した村を前に踊りの輪ができあがった。そばでそれを見ていた特務機関員は「日本人にはありえないこと」と半ば呆れ、半ば戦慄を覚えたという。 彼らの不敵さと不屈さは、ビクトルのなかにも生きていた。(253P)
どんな苦境にあっても、顔をあげ、太陽に感謝し、歌をうたい歩き続けた。驚くべき不屈な姿です。
自然とともにあるコサック人の魂がビクトル少年に宿っていたと思います。
想像するのも悲惨で残忍な事実もありましたが勇気がわく本でした。
ビクトル少年は、日本に統治されていた満州国のソ連国境に近いハイラルという軍都で1935年に生まれました。
父親は日本人の毛皮商人、母親はロシア人のコサック娘の長男として。
満州に亡命したコサック人の祖父から日本人として唯一、コサックの伝統を受け継ぐ少年は、ハイラル育って10歳で敗戦をむかえます。
後年、大人になってからはサンボ(格闘技)で世界的に有名になりました。
でも、ロシア国技サンボの覇者として認められることより、独りで満州国から引き揚げた少年時代が人生のハイライトだったと語っています。
それは、母や祖父からコサックの伝統、生き抜くサバイバルのし方を授かって、あきらめず満州の大地を踏破したからでしょう。
少年は、ナイフを持ち、馬に乗り、木の実をとり、川を渡り、自由闊達でした。
悲惨な場面にいくども遭っても、慎重にサバイバル力を活かし乗り越えてゆく。暗くない話、逆に明るい話なのです。
コサック少年が極限におちいった日本人について言ったことばです。
日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちしてパニックになる。(272ページ)
私のことを言われたようで、頭をガンと殴られた気がします。
日本人の本質をついていることば。かみしめなくては!!
後編に続きます。
最近、一番おもしろかった本です。
1935年生まれ77歳のビクトル古賀さん、当時10歳の時のお話です。
終戦直後の満州動乱の中、ビクトル少年は北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独り完歩したそうです。
太陽をあおぎ、食糧、水、マッチも持たずズタ袋にナイフ1本で。
その驚愕の体験記が基になった本です。すざましい生きざまに感動でした。
1000Kmとは、車で長崎ー東京間(高速で約1200Km)子どもがとうてい歩ける距離ではありません。
コサック最後の少年は、自然への洞察力、人間の極限を観る、生命力がハンパではありませんでした。
このビクトル少年の語るコサック人の知恵を学びたいとおもいます。
次回から紹介してみます。
甥が帰って来るのを待って、妹の家のマーチは亡くなりました。
心臓に腫瘍ができてどうしようもない状態。よくがんばった!!
むかしのマーチの写真や動画をみていたら、凛々しい姿がありました。
2010年の元旦の朝、稲佐山。
マーチは、散歩の気配がすると、庭中を駆けまわりしっぽを振って喜びをあらあわします。
若い頃、筋肉モリモリで先に稲佐山に登っては、まだ、来ないのか!!という顔で待っていました。この元旦の日の姿と同じでした。
ビーグルと秋田犬の雑種。ハンサムで、けなげな犬でした。
この夏は、散歩もきつかっただろうに、、と妹はふびんがります。
でも、甥たちの懸命な酸素吸入の手当を受けて苦しまずにいったそうです。
カラフルな花がマーチには似合うと供花しました。
妹の家の犬、マーチが心臓病でぐわいがわるくなりました。
けなげな84歳の犬。先日から病院かよいです。
義弟が今年の夏から散歩にいっても、元気がないと言っていたのですが。
もう、散歩に行こうにも体力がありません。
私が行くと車の音で解かって吠えなかったのに、最近はワンワンと吠えては怒られて、バツがわるい顔をしていました。
若い時は元気で筋肉モリモリ、やんちゃな犬。マーチ!!かわいかった。
昨日までは薬もやっと飲めていたのに、それもできなくなってお父さんの帰りを玄関で 待っている姿に涙がでます。
妹家にも我家にも、いろんな出来事がこのマーチが拾われてきた14年間にありました。マーチといっしょに育ち、過ぎてゆきました。
さいごに会いたいと甥は、東京から急ぎ飛行機にのりました。
マンガ本「ペゴロスの母に会いに行く」につられて母の古写真を探しました。
私の母は、ペゴロスさんのおかあさん・みつえさんより1歳上の90歳です。
幼い時に樺島をでて長崎へ越境入学し、叔母の所から長崎の活水学院の英文科に通っていました。
後列右から二人目、母18歳・1940年ころ。
後ろにいらっしゃるティア先生は、太平洋戦争がはじまったらすぐアメリカに帰国されたそうです。
勉強好きの母は英語はバッチリ。私は今も教えを請うありさまです。
若い頃のとしこさんは、樺島で「靴のかかとも理想も高い、モダンガールの売れ残り!!」とはやされていたそう。
むかしの写真をみながら、娘の私もやっぱりね。とうなずきます。
母は理が勝つ気性。父から「もっと、ふんわりとならんとか!!」といわれていたそうです。
でも、和裁、洋裁もできて細かい針仕事は丁寧。母に太刀打ち出来ないです。
母の気性と父の強い影響を受け継ぐ私は、やわらかくはならないはずです。
ふたりで英語をしていると認知症でもシャンとなるとしこさんです。
長崎在住のマンガ家ペンネーム・ペゴロス、岡野雄一さんの本です。
この本は映画化が決定し、岡野さんは時の人。長崎の本屋で一番売れています。
マンガ本には、89歳の認知症のおかあさん・みつえさんとのホンワカとした会話やむかし話が描かれていて、昭和30年代の長崎がしのばれます。
会話は、もちろん長崎弁。「そう、そう、そげん言いよった!!」となつかしい。標準語の注釈もあって絵も温かいタッチです。
当時、三菱の造船所から船が着く大波止は、夕方、大勢の人がど〜っと下船してラッシュでした。そんな大波止が思い出されます。
私の母・としこさんも90歳。みつえさんと同じ認知症もでて、読んでいるとジ〜ンとしてきます。
戦争前後をたくましく生きてきた母たちの背景がうかがえるマンガ本です。
町内掃除の時に、グミの木を切ることなりました。
グミは、サクランボを細長くしたような赤い実をつけます。
赤い実は、ちょっと渋いけれどたべれますよ。
でも、低木で枝に棘(トゲ)があってあぶない!! 要注意です。
トゲに注意しながら枝を片付けていると「それは、杖にできます!!」とお隣さんがいわれました。
山登りをする方から「グミの枝は、良い杖になる」と聞いたそうなのです。
お隣さんは、さっそくトゲを落とし、メリメリと皮を剥いで白い杖にしました。
手際よく子ども用の杖一本。陰干して完成だそうです。
20年ほど前に買った木のカラーブロックパズルです。
教室で人気なあそび。でも、子どもがチャレンジしできなかった。
どら?どら?と大人もやってはみても、できない!!と降参してばかり。
でも、このパズルが得意なSちゃんがあらわれました。
Sちゃんは、小学5年生。お姉ちゃんと一緒にピアノに来ています。
饅頭ツアーには、自分でお弁当をつくってくる明るい元気な女の子です。
No.1
答えがあったのだけれど、無くなってしまったので完成例を写真で残すことにしました。
順次、できた日、人の名前、かかった時間を記録することにしました。
No.1は、2012年7月14日(土)・Sちゃん(1)・30分で完成。
やったぜ!! Sちゃん。上出来でしたね。
最近、お二人の方から葉書と封書が届きました。
よく見ると、古い切手がはってある。美しい切手です。
雪中を郵便屋さんが配達しているのは、郵便創業100年記念切手。
1971年・昭和46年発行です。わぁ、日本万国博覧会の次の年だ、味がある!!
打ち出のこづち(一寸法師)の切手は、原画・滝平二郎で絵本のモチモチの木と同じ人です。
熊野古道、汽車の62円切手は、封書が60円で消費税3%のころのもの。
こんな、古い切手で送ってもらってうれしかったです。
ありがとうございました。
今年も長崎は、精霊流しの日がやってきました。
去年は、雨にみまわれ、初盆の人たち泣かせでした。今年は、晴れ。
夕方にお墓参りをすませて帰りに、茂里町で大きな精霊船にあいました。
早瀬家の精霊流しでした。船は3艘にわけて大きい、大きい。
総勢50人以上、そろいのハッピ、手ぬぐい、提灯です。大きなお家なんでしょう。
交差点の信号が青になって、あっという間に駆けるようにぬけていった。 もっとゆっくり見たかったのに!! ザンネン。
去年は、ワンビースの精霊船にであったのでした。かわいかった!!
長崎は今夜中、爆竹、矢びやなどで大騒ぎになります。
耳栓が要るほどなので、県外からきた人はビックリでしょうね。
数年前からディプスリーというベットパットを使っていました。
それを一枚だけ畳に上に敷いて寝ていたら、いつも起きぬけに腰が痛かった。
敷ふとんは硬いほうが良いなら、それでは、いっそのこと敷ふとんなしで、これだけでと早合点したツケがきたのでしょうか。
ず〜っとそれで寝ていて、とうとう、起きぬけの腰痛ががまんできなくなった。
ディプスリーが活きていなのかも?とふとんを調べて見ることに。
敷ふとんは、からだの重心が分散して、おしりのところが凹まないのがベストらしい。ふむふむと考えなおす。
そこで、試しに凹凸マットに腰部分を工夫して、その上にディプスリーをしいて寝てみました。
朝になって、あらら、、腰がいたくない!!
やっとデープスリープになったのです。ぐっすり寝れてヨカッタ、ヨカッタ。
やったぁ~!! バンザイしている、サザエさんみたいな気分です。
極端な性格のイケナイところ、改ためなくちゃです。