わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

うた

あっかとバイ カナキンバイ あっかとバーイ カナキンバイ
オランダさんから もろたとバーイバイ



あそびかた
No.1 と同じうたですが5歳位から、役交代のあそびにもできます。

一人が赤い布を持つ役になり、ほかの子どもは、その子を中心に外の輪をつくって
うたいながら時計回りに歩きます。
赤布役は布を高く持ち、外輪の内側を逆回りに歩き、うたの最後の「バーイバイ」で
すれ違いざまに赤布を外輪の子に渡していきます。

きろく

長崎に伝わるお正月のうたです。

昔は「赤っとばい、のんのかばい、オランダさんから、もろたとばい」
とうたわれていたこともあります。
のんのか(美しい)と言うことばが金巾(カナキン)にいつしか変わっていったのでしょう。
金巾とは、昔舶来の赤や白の綿布で着物の裏地や、卓上ナプキンに使っていたようです。

日本は、お正月が現在の太陽暦に変わる明治六年までは、月の満ち欠けを基準とした
太陰暦(旧暦)で年中行事を行っていました。
しかし、長崎には江戸時代から太陽暦の一月一日に新年を祝う人達がいました。
人々が、オランダ人と呼でいた外国人達です。

この「おらんだ正月」には新年の宴会が開かれ、オランダ商館に出入りできた人達が
招かれました。
招かれた人はめいめい、白金巾のナプキンをひざの上に広げ、目を丸くして卓上に
次々出てくるフルコースの洋食を、お皿で頂く貴重なお正月の宴を楽しんでいたようです。

そこには、晴れ着を着た丸山の遊女や禿(かむろ・遊女に仕える少女)らのお酌に踊りと
賑やかな宴が、元旦中行われ長崎の人たちは、羨望のまなざしでオランダ人からもった物や
宴会の事を うわさした事でしょう。

このうたは、そんなオランダさんからもった赤い金巾を子ども達が見せびらかしたり
ひやかしたりしてあそんでいたころのうたでしょうか。

私は、小学校の時期に出島のオランダ商館跡地で育ちました。
このうたは、古(いにしえ)の長崎出島の歴史を深く感じさせるわらべうたです。
(2005年2月12日長崎新聞 掲載)


うた

オクヤマ二 キジト キツネト コイヌト ネコトガ アツマッテ ドウユウテナイタ キジハケンケン コンコンニャンニャン ワンケンコン



ことばあそびのうたです 。 うたう時、一定のテンポの中に、ことばがうまっていくように唱えていきます。

きろく

このうたは、ことばのリズム感がおもしろいので子どもはすぐに覚えてしまいます。 ”あっかとばい”では棒つき人形で演じながら、劇あそびにしています。

劇あそびは、お手本をみながら始めるのが良いと思います。

子どもが、てらいのない小さいときから、人の前でうたったり演じたり、 交代でお客さんになったりするのは、 一人一人の特性が育つあそびだと思います。

(参考資料 わらべうたであそぼう 明治図書)



うた

ひふてんぼ ひかねば なんぼ たけんさきの つんまがって そのてを ひきゃれ



手あそびうたです。
「ひふ〜なんぼ」まで手首を8回つかむ。「竹ん」から指先全部をつまみ
最後の「れ」でつまんだ後に、軽くひきます。
ひいた指は、飛ばしながら、最後の指まで束ねていきます。

きろく

もともとは、長崎の加津佐に伝わる鬼きめうたらしいのですが、”あっかとばい”では
指あそびとしてあそんでいます。
ゆっくりとした時間に、子どもをひざに抱き一つ一つの指をつまんであげましょう。

指先をつままれるのは心地よいものでうたも1本、1本の指に語りかけるように
ゆっくりとした テンポでうたってあげましょう。
じかに体と接したうたは、子どもと親に落ち着きを与えます。
(参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)

うた

イキナガ ショウモン ショウクラベ コウサン ノ セイ!



佐世保独楽のヒモをかたく巻きます。 独楽の剣を上に向けたまま・逆持ちします。
ボウリングをするように腕をふり、独楽を前方へふり出します。

きろく

お正月の遊びとして、佐世保独楽(こま)のご紹介です。

佐世保市立図書館の森山高昭館長に教えてもらった独楽の店は 繁華街の四ヶ町にほど近い所にありました。
店は、通りから急勾配の坂の上にあり、店の上には鉄道が走っていました。

さまざまな型の独楽が並ぶ店内は、まるでレトロのにぎやかなおもちゃ箱のような空間です。 ガタンガタンと列車が、天井の上を走るその時、独楽は震え、戸は揺れました。

独楽を手に取ってみると丁度、らっきょう型。驚いた事に、持ち方が、剣を上に向けて、 普通とは逆なのが特長らしい。

なるほど、翌日、図書館の館長室で森山館長は、背広姿で独楽にひもを
クルクルと素早く巻き逆つかみで、掛け声ととも独楽を振り出された。
しばらくすると独楽は、一点に止まって高速回転を始めました。

「こいば、澄むというばい。」と館長は幼い頃の少年に戻られたよう。
独楽の回転が緩くなると、すぐひもで独楽をたたかれた。

この光景は中国を旅した時、山東省の煙台の公園で見かけたのと同じでした。 公園で朝早く仕事前の大人が大勢、太極拳やジョギングをしていました。 そんな中、派手な音がピシャリ、ピシャリ。
気を取られ近づいて見ると、子どもは一人もいません。

大人の男女が円筒形の独楽を棒つきのむちでたたきながら遊んでいる音でした。 中国では独楽は、大人の遊びなのでしょうか。

昔、佐世保独楽は、唐船によって長崎に渡来してきたものらしく ケンカごまの異名もあるとのことです。

独楽の歌というよりは、気合いの入った、掛け声のわらべうたという感じがしました。
(長崎新聞 掲載)(2004年11月16日 佐世保図書館にて取材)


うた

ひい、ふう、三四の うぐいすが 梅の小枝に巣をかけて
十二の卵をうみそろえ うみそろえてたつときは
一つふわどり 二つふわどり 三つみわどり 四つよわどり 五つ医者さん
六ちゃむこどん 七つなんぎのおもちゃんが コレラの病気をわずらって 石炭酸をふりかけられて
うちのおっかさんな血のなみだ 血じゃなかった紅(べん)じゃった
太郎さん 次郎さん タバコ一きんかいなされ タバコかおよりゃ寺まいり
寺はどこかと本願寺 本願寺のうしろはよいところ そのよいところにこができた
そのこが六つになったなら 金のきんちゃく さげさせて むこから学校の生徒が五人づれ
一でよいのが糸屋の娘 二でよいのが人形屋の娘 三でよいのが酒屋の娘 四でよいのが塩屋の娘
五でよいのが呉服屋の娘 呉服かたげて ヤサッサ ヤサッサ ハヤハヤ イッコ




手まりを足をかけながらではなく、つくだけの時のうたです。
まりをつくのは、四、五歳では難しいあそびです。

幼い子は、手始めに、なるだけ長い間つける様にがんばる。
それが上手くできたら、足掛け、股掛け、スカート拾い、背中のせ
などの上の技の段階がありました。

きろく

長崎の島原半島の西有馬の安達フイマさんから聞いた手まりうたです。
単純につきながらうたったそうです。

複雑なつき方が難しい四、五歳のころはひたすら長くつくよう熱中したものです。
そして、足掛け、また掛け、スカート拾い、背中乗せなどの難しい技に
挑戦していくのです。

最近、まりつき遊びが少なくなったのは、あそびの時にうたうことを
無くしてしまったからでしょうか。 何かさみしい気がします。

歌の中でコレラの病気に触れているのは驚きです。
昔はコロリと言われ、江戸時代の「安政コレラ」では数万人が死亡したそうです。
明治時代にも西日本一帯で流行し、人々を震え上がらせたといいます。
そんなうたでも、とんちゃくなくうたうのが、まさに子どもの文化ですね。

このコレラの文言の入った類歌が、同じ長崎県ですが、遠く離れた離島の
新上五島町に残っています。
どのようにして、わらべうたという文化の交流が行われていたのでしょうか。

西有馬は、「手延べそうめん」の産地で知られています。
昔、ここから「そうめん船」と呼ばれた商い船が天草や五島、壱岐
対馬まで風に乗って行き来していたそうです。
その帆船は、そうめんや米、みそ、しょうゆ、酒などを積み込み
各地の庶民の生活を支えていたようです。

うたもまた、船に乗り広がったのでしょうね。
小さい船が離島に伝えた素朴な手まりうたでした。
(西日本新聞 掲載)(2004年9月19日 西有馬にて取材)


うた

ひっちょこ はっちょこ 酒屋ごご 酒屋がいやなら 嫁にやろ
たんす長持 はさみ箱 鼈甲(べっこ)の小櫛(こぐし)も十二本
長崎雪駄(せきだ)も十二足 こうして世話して やるからは 二番に帰ると 思うなよ
父(とと)さん何を 言わしゃんす 千石積んだ船さえも 万石積んだ船さえも
向こうの港が 悪いなら もとの港へ帰ります 私もそれと同じこと
向こうの亭主が 悪いなら もとの我が家へ 帰ります



あそび
子もりうたです。あかちゃんを抱っこしたり、おんぶしながら、ゆったりとうたいます。

きろく
佐世保の木原町に残る子もりうたです。
子もりうたは、あかちゃんにとってゆったりした落ち着きのある母のうたです。そのうたを聴きながら、心地よい波に揺られるように眠りに誘われて いきます。

このうたは昔、全国各地から、皿山・三川内焼を買い付けにきた人が木原町に伝えたのでしょう。「向こうの港が」とは、佐世保港を指しているのでしょうか。佐世保は明治時代の初めに、海軍の鎮守府が置かれ、 一漁村から人口が急に増えた軍港都市です。

又は、皿山の近くには、波佐見や有田などの有名な陶芸の里もあります。その陶器はヨーロッパや、中国に輸出されていた歴史があり、その港、長崎 の出島のことでしょうか。

三川内焼は、青絵の具の染め付けによる唐子絵(中国の子ども達の姿絵)で知られ、この里は平戸藩の御用窯として江戸時代から幕府や、朝廷に手厚く保護され陶芸で栄えた町でした。

その皿山で、親のいうまま、お嫁に行かねばならない娘の言い分。または、嫁いだ先の若いお嫁さんの気持ちを表している様にも思えます。

子もりうたというのは、親が子どもを寝かしつける時に、うたった「寝させうた」。昔、仕事で忙しい親に代わって、幼い妹弟を子守りし、おんぶしたまま遊んだり、学校に行っていた兄姉がうたった「あそばせうた」。子守奉公に出てきた人が子どもを背負ってうたった「子もりうた」などがあります。

どのような背景でうたわれたにしても、人の思い入れがは入ったゆったりとした子もりうたは、子どもの心に染みわたります。

(長崎新聞 掲載:参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)



うた

コノベル ナラシタ  コノドア アイタ コノカギ ハズシタ
サアサア ナカヘ ハイリマショウ




このベルならしたで、こどもの髪を4回ひっぱり
このドアでおでこを4回ノック
ガキで鼻をつまみまわし
さあさあで口びるにふれる。

きろく

あかちゃんにしてあげたい顔あそびです。(イギリスのマザーグースより)

日本にも、たくさんの顔あそびうたがありますが、このうたは西洋らしい
ベル、ドアなど出てきます。
昨今は、西洋化されている生活なのでこのうたは違和感がありません。

日本語の顔あそびは、別うたですが眉毛のことを毛虫という代えことばに
したりしてどちらかといえば、ことばをあそび動きは静かなような気がします。

それに引き換え、このうたはベルはひっぱり、ドアはノックしたり
ガギはねじると 日本にはない接し方が面白いと思います。

あそぶ適齢時期としては、あかちゃんが自由にハイハイできるようになると
急に顔あそびを 嫌うようになったりしますので、それまでの幼い時期に
ゆっうたりとうたってしてあげましょう。

他に、3.4歳になったら子供どうしとか、自分で演じるのも面白いでしょう。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)


うた

1. ともさん ともさん はなつみゆこうや おててつないで かごさげて
2. つんだはなばな こたばになして みははマリアに ささげましょう
3. はなはわれらの おてほんさまよ ひとのこころの いましめよ
4. ゆりはけっぱく ぼたんはあいで はでなさくらは しんとくよ
5. にくしうらめし やまおろしかぜ さけるさくらを ふきちらす
6. さけるはなさん いくらもあれど みのるはなさん いくらです
7. ともよわれらも このよのはなよ とくのみのりに うまれきた
8. いかにあらしの ふきすさぶとも こころひきしめきをつよめ
9. かみのみそのに たのしむまでは しゃばのあらしに ちるまいぞ



あそび

子どもを、ひざの上に抱っこして手を取り、振りながらあそぶ。

きろく

長崎市から車で45分ほど、広々とした五島灘を左手に見ながら西彼杵半島を ゆっくりと北上して長崎県外海町出津・黒崎地区へ。

遠藤周作 の「沈黙」の舞台となった黒崎教会を過ぎると、遺跡や歴史的建築物が集まり出津文化村 と呼ばれる一帯です。

文化村には、明治時代にこの地に功績を残したフランス人宣教師のド・ロ神父の 記念館があります。この記念館のシスターから教わったのがこのうたです。

ほほえみが印象的なシスターは、 ミサ用のオルガンの椅子に座り昔を思い出す ようにゆっくりとうたってくれました。

「この辺りでは、母親たちはみな、子どもをひざに抱っこして手を振りながら キリシタンの教えをわらべうたに託してあそんでくれたの。」とシスター は語ります。

外海町にも、禁教時代に過酷な迫害の中で、生きてきたキリシタンたちがいました。 入り組んだ地形が、キリシタンの里を守ったのでしょうか。

その貧しく質素な町にやってきたド・ロ神父は、産業や教育の発展に寄与しました。 住民たちは、今もキリシタンの教えを守り続けているのです。

子ども達はこうしたわらべうたをうたいながら、その分かち合いの精神を身に つけたのでしょう。

「旬もおいしい物が手に入ると、まず教会に持って行き、そしておとなりへ 最後に残った物を自分の家で食べたものです」と地元の人が話してくれました。

地域の助け合い精神は、今の時代にもうたい継がれているのですね。

(西日本新聞2004年12月12日掲載)
(2004年10月16日 ド・ロ神父記念館にて取材)


うた

ぞうり かんづれ かたらん もな つしのこの かみさしこうて
いとぶや ぶうつき ぶうつき しょうない しょうない
またごて のおのお またごての



鬼ごっこあそびです。
草履を並べ、歌の最後の「の」に当たった草履の子が鬼になって
追いかけっこしながらあそびます。
次に、捕まった子どもが草履をうたい数えます。


きろく

長崎の外海町のド・ロ神父記念館にいらしゃるシスター橋口ハセさんから
教えていただいたうたです。

86歳になられるシスター橋口ハセさんが幼い時にあそばれたうたです。
その時代は、おもちゃなどではなく、身近なものであそんだと言われました。

今もシスターは、来館者にド・ロ神父が約130年前にがフランスから
取り寄せた教会オルガン(ハルモニウム)で、賛美歌をうたって聴かせておられます。
(2004年10月16日 ド・ロ神父記念館にて取材)

うた

いちり にり さんり しり しり しり しり・・・・・

itiri niri sanri siri siri siri siri・・・・


いちりで、あかちゃんの両足の親指をつまみ上げます。にりで、両足の足首をつかみ、さんりで両膝をつかみます。 しり しり しり しりで、おしりをくすぐります。

きろく

この遊びは、赤ちゃんに限らず、子どもが大きくなってもしてあげたい『わらべうた』です。 歌はテンポ通りにうたうのではなく、両足の親指や足首をキュッキュッとつぼを刺激するように 、緩急自在につまんであげましょう。


うた

ぎっこん ばったん ちゃんぽろりん じいにいったん おってきしゅ んべへいったん おってきしゅ ぎっこんばったん ちゃんぽろりん



両足をのばしてひざの上に子どもを乗せ、手を取りうたに合わせて 前後にはた織りをするよう紡ぐ。
または、舟こぎのようなしぐさでこぐ。

きろく

昔、長崎の外海で歌われあそばれていたていた、わらべうたです。

外海町は、かつてキリシタンの信仰が迫害を受けた時代も隠れながら 奥深い山々や、 入り組んだ海岸に守られ信仰が生き続けている地方です。

ドロ神父様の教えを守り、人と人が助け合い分かち合う精神は このうたにもうたわれています。

爺に一反、んべ(お婆さん)へ一反と歌っているのは、そのやさしさでしょう。

”あっかとばい”では、一歳のあかちゃんのグループから大切な身近な お父さん、お母さん、 兄妹、お友達の名前を入れてうたっています。

ひざの上に乗せたり、手を取り合いながらあそぶわらべうたは たくさんありますが、子どもはうたの中に 自分の知っている人の 名前が出ると思わずにっこり微笑みます。

うたが自分のものになるからでしょう。 これは大切な事で、親と体を添わせて一体となり、反物をおりながら プレゼントする人のことを想像するのです。 そして、くり返し、くり返し何人にもに織ってあげるのです。

今の時代は、物が溢れていますが素朴なうたは子どものイマジネーションを 豊かにします。
(長崎新聞 掲載:参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)


うた

にわとり いちわが  いちもんめ
コッケ一  コッケ二  コッケ三  コッケ四・・・



あそびかた

うたのなかの、コッケ一から紙風船をついて落とさないように長く続ける。

きろく

このうたは、数少ない揚げまりうたで風船をつくようにまりを つき上につき揚げ、どれだけつけるか数を競うそうです。

“あっかとばい”では大きな紙風船であそびます。
つきあげて落ちるまでの間もゆっくりなのでお母さんと一緒だと 2歳位からあそべます。

大きい紙風船だとつく時に、ばあ〜んと豪快な音がしますし はねかたがゴムとちがって楽しいです。

(参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)




うた

じゅうがつよー じゅう がつよ  じゅうがつ  いのひにゃ  もちをつ く
「アー エンヤラ ヤッサ」
もちを ついても きゃくがな い 「アー エンヤラ ヤッサ」
えびすさんと だこくさんを きゃくにし て 「アー エンヤラ ヤッサ」
わたしも しょうばん いたしましょ 「アー エンヤラ ヤッサ」



あそびかた

丸太や、石、杵、わらなどに縄を巻きそれに綱を付けて 数人の子どもたちで引き、落としうたう。

きろく

このうたは、長崎の口之津のうたです。
旧暦の十月初めの「亥(い)の日」に行われる収穫祭でうたわれていました。

子どもたちはザルを持ち、各家の前で石や杵(きね)、わらなどをついて回り お餅やお菓子、お金をもらっていました。

『長崎のわらべ歌』を採譜された黒島宏泰先生のお話によると 子どもが杵を一人で引くには重過ぎるので、杵に綱を付けて両端から 数人がかりで引いて回ったそうです。

”あっかとばい”のみんなで力を出し合い引く綱は、かなりの重さの 石や丸太でも背丈ほど上げることができます。

運動場など広い広場でつくと、「とーん、とーん」と土音が響き まるで花火の音の反響のようで趣があります。

平安時代ごろ、中国から日本に伝わった祭りらしく、西日本で 行われていましたが、時代と共に風習も変わり今では あまり見られなくなりました。

(長崎新聞 掲載:参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)


うた

コマンカ コマンカ コマンカ ナミ マチット フト ナアレ 



四人が、波にみたてた大布を地面に広げ、四すみをしっかり持ちます。
子供たちは、静かな波布に呪文をとなえます。

大きな声で呪文がとなえられると、波はだんだん大波になっていき
その大波の下を子どもたちは魚になってくぐりあそびます。

きろく

このあそびは、波が段々大きくなるのを待って海の中をくぐりぬける
スリルがたまりません。
しかし、くぐりぬける時ぶつかるので、あそびの前にくぐる時のルール
(右回り)をしっかり教えなければ危ないと思います。

私は、右回り=時計回りということを2歳ぐらいから教えます。
長崎は海に近い所ですが、最近は夏でもプールには行っても海には
なかなか出かけません。

”あっかとばい”では、夏 に”磯あそび”をします。
磯でみなをとり、波をかぶり海水おにぎりや海水雑炊をつくり
海を楽しむ一日でした。
(参考資料 わらべうたであそぼう 明治図書)


うた

おちょうず  おちょず  ねんねつぼ  ねんねつぼ
かいぐりかいぐり  かいぐりこ おつーむ てんてん
アワワワワアー



あそびかた

あかちゃんにしてあげるしぐさあそびです。

おちょず =4回、両手を合わせる。
ねんねつぼ=4回、片手のひら人差し指でつく。
かいぐり=両腕を糸巻きの様にまわす。
おつむてんてん=4回、両手で頭をさわる。
アワワワワアー=数回手のひらを口びるにあてる。

きろく

まず、お母さんがあかちゃんにして見せましょう。

首がすわったら、あかちゃんをひざにのせ、手をとり一緒に
しぐさをあそんで下さい。
そうすると、あかちゃんはお母さんのうたに合わせて
かいぐりこやおつむんてん、アワワワワアーなどを自らし始めます。

一緒にからだや喃語であそぶとことは、あかちゃんの発達に欠かせないこと
だと思います。
(参考資料 わらべうたであそぼう 明治書店)

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