うた
ひとふた ちょうろくさん なんぼがとおよ(十)とおよが二十 二十が三十 三十が四十 四十が五十
五十が六十 六十が七十 七十が八十 八十が九十 九十が百ヨー
とこいっかん かしました
あそびかた
歌に合わせお手玉を投げ上げ、受けとったり、拾ったりする。いろんなやり方がある。
きろく
対馬のお手玉歌のご紹介です。最近はお手玉で遊ぶ光景を見かけなくなりましたが、世界のお手玉の歴史は古く
紀元前からトルコの城壁には羊のかかとの骨でお手玉遊びをしている姿が彫られているそうです。
日本では、奈良時代に中国から伝わり、それが江戸時代になって布のお手玉に変わり
俵形や座布団形になっていったようです。
昔、お手玉はみな手作りで、おばあちゃんから孫へと伝承していました。
中味は大豆やヒエ、数珠玉(じゅずだま)(河原に生える野草)など。
特に数珠玉お手玉は素朴な風合いで、 握り具合や音が最高でした。
しかし、コンクリート護岸になった現在、数珠玉はなかなか手に入らなくなりました。
また、長崎の類歌として「ひとふた/ちょうろくさん/なんぼがとうふ/とうふがにんじん/
にんじんがさんしょ/さんしょがしいたけ/しいたけがごぼう/ごぼうがろうそく/
ろうそくがしちりん/しちりんがはがま/はがまがくじら/くじらが百かんめ」
という面白い歌があります。
遊びには歌がつきものですが、これには節(ふし)が伝わってなく残念です。
私たちはこの半世紀、既製の物を安易に買うことができる一見便利な社会を手に入れた半面
家族の在り方、自然環境の大切さをおざなりにしてきました。
素朴な遊びを伝えないのは、非常に残念なことだと思います。
今こそ遊びや生活を見直す時期に来ているのではないでしょうか。
(2005年8月14日長崎新聞 掲載)
うた
おじいさん おばあさん なにくって かがんだ えびくって かがんだ2歳位から、杖(つえ)をつきながら親子でいっしょにうたい歩き始めます。
2、3回うたったら後続の親子に杖を渡し、しっぽにつきます。
4、5歳になったら、杖をつくおじいさんの役を一人決め、
数人の子が外輪になり杖がくるのをうたいながら待ちます。
つえは好きな子に杖を渡していきます。
役交代と場所とりのルールのあるあそびです。
きろく
このあそびは、杖をつくしぐさを交代してリレーする面白さがあります。うたが途切れないように、すばやく杖を渡せるようになること。
渡し終えたら、その場所にいて次の杖が来るまで待つこと。
次に ことばをかえて「えび」を「きゅうり」「なずび」「バナナ」などに
替えうたしていきましょう。
ことばや杖が、変わっていきながらでも あそびとうたとが途切れないで
流れていくようになると楽しくなります。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
らかんさんが そろたら そろそろ まわそじゃ ないかいなヨイヤサノ ヨイヤサ ヨイヤサノ ヨイヤサ …
数人で丸くなって座る。おのおの自分のしぐさを決め「ヨイヤサ」の掛け声に合わせて まず自分のしぐさをして、次に右隣の人がするしぐさをまね、次々と回していきます。
そうやってしぐさリレーを何回まわすか競う。
きろく
五島のわらべうたのご紹介です。「らかん」とは阿羅漢、仏教で最高の修行者のこと。
佐々町立図書館の末永嘉代子館長に教えてもらった「しぐさ回し」あそびは 地域の集まりの時などにあそんでいたそうです。
館長は、高校生の遠足のときに、クラスのみんなと五社神社でワイワイ笑いなが あそんだ楽しい光景が思い出されると言われました。
このあそびは、子どもから大人まで楽しめ、人数が多いほど難しくなりますが リズミカルになり面白くなっていきます。
しかし、最初コツが分からないうちはしぐさが途切れて、一回も回すことが できないでしょう。
人は最初におのおののしぐさを頭で覚えてしまおうとしがちです。
これが失敗のもと。
しぐさを覚えるのではなく、ただ隣の子のしぐさを流していけば スムーズに回りだします。
そうなるとスピードも速くなり、全員が「ヨイヤサ」の掛け声で一体となります。
まさに、神輿(みこし)を担ぐような感じです。
わらべうたは、あかちゃんへの語りかけうたや顔あそびに始まります。
一人あそびから段々にあそび仲間が増え、手をつなぎ、声を合わせ歩いたり 追いかけっこしたりなど、人と人の触れ合いであそびが広がっていくのです。
子どもがコミュニケーションをはぐくむのに欠かせないあそびだと思います。
(長崎新聞 掲載)(2004年4月5日 佐々町立図書館にて取材)
うた
せんべ せんべ やけた どの せんべ やけたこのせんべ やけた
数人で、せんべに見立てたおはじきやお手玉などを順々に取っていく。
きろく
このあそびは、どのせんべを取れるかが面白いのです。もしも、遊び仲間に幼い子がいると、好きなせんべにこだわります。
そんな時は、すきなせんべだけを指したままで先に進みません。
”あっかとばい”では、「今は、小さいからかんべんしようね!」と言って
こだわりを通して上げます。
すると、何回もあそぶうちに順番があることや嫌いなせんべでも
取るのがわかってきます。
特に、仲間に新しい子どもが入ってきた時など、あそびながらお互いが
わかりあえるあそびになります。
次の段階では、”あっかとばい”では、「交換しましょ、そうしましょ」で
せんべを換えるあそびをします。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
ぴーぴー ぐ さ ぴーとな れ なら んと あたまを ちょん ぎる ぞカラスノエンドウ(ピーピー草)のさやで笛をつくり
ピーピー吹いてあそびます。
きろく
このわらべうたは、春の楽しいあそびです。長崎では、4月下旬から5月中旬までに咲くかわいい豆科の
カラスノエンドウでピーピー笛ができます。
作り方は、ピーピー草はさやの茎のほうを少しちぎります。
さやの片方だけさいて中の種子をきれいに取り出し
唇(くちびる)ではさみ、ピーピー鳴らします。
なかなか、吹くのに唇と息の使い方のこつがいりますが
最初はピッ、ピッと短くても力まないで吹くとピィーーーと
長く吹けるようになります。
上手になると、唇に3.4本もはさんで大きな音で吹けたりします。
カラスノエンドウで、ままごとあそびをしたりもできます。
春の素朴なあそびです。
うた
1・イギリス イギリス イギリス2・日本 日本 イギリス 日本
3・上海 上海 イギリス 日本 上海
4・横浜 横浜 イギリス 日本 上海 横浜
5・五島 五島 イギリス 日本 上海 横浜 五島
6・武蔵 武蔵 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵
7・名古屋 名古屋 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋
8・八幡 八幡 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋 八幡
9・九州 九州 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋 八幡 九州
10・東京 東京 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋 八幡 九州 東京
あそびかた
1から10の数の地名を歌いながらまりをつき、歌詞の最後の言葉(イギリスのス)で
まりを足掛けしたり、片腕に片足を掛けたまままりをついたりしてあそぶ。
途中で失敗したら交代する。
きろく
昭和にはやったまりつきうたのご紹介です。このうたは主に女の子の遊びで、数に合わせて一番のイギリスから十番の
東京までの地名を反復しながらまりをついていきます。
私は、このうたで小学生のころゴムまりあそびをしました。
最後の東京までいくのは、なかなか難しかったものでした。
当時の女の子の服装はまりつきに欠かせないプリーツスカート。
最後にまりを股(また)の間にくぐらせて後ろのスカートで丸め込むのに
ちょうどよかった思いがあります。 長崎でも冬にはつららが下がり、スカートに
タイツ姿。ズボン姿やカイロはなく、しもやけをつくりながらあそんでいました。
歌詞に、一つだけ地名でない戦艦武蔵の武蔵が入っているのは、戦後の名残でしょうか。
八幡といえば、当時は八幡製鉄所が大きな会社として子ども心に印象深くあります。
わらべうたは、子どもたちがその時代背景や、風土に影響を受けて語呂の良いリズムや
音に合わせてあそんで伝承してきたものです。
ですので、大人がまず意味を考えてしまう思考のパターンを取るのではなく
直感的な言葉で自由自在にあそんでいきます。
このうたは、戦後の混沌(こんとん)とした時代が安定してきて、日本中が
東京オリンピック(昭和三十九年)を目指し急成長の渦の中だったような気がします。
うたが時代を背負っていたというのでしょうか。
(2005年5月1日長崎新聞 掲載)
うた
たけんこが はえた たけんこが はえた ぶらんこ ぶらんこ さるがえり子どもが木の棒をしゃがんだままで両手でつかみます。
大人がその棒の両端を持ち、子どもが立ち上がり宙ぶらさがりができる
まで上げて、最後にブランコをさせます。
きろく
”あっかとばい”では、このわらべうたは春のブランコあそびにしています。子どもが鉄棒であそべるのは、4、5歳からですがこのうたですと
2歳ぐらいからあそべます。
つかむ力がまだ足りない時は、その子の身長、握力にあわせて親が
手を添えかげんしてあげましょう。
幼い時期からこの宙ぶらさがりであそぶと、ブランコを嫌がらないで
公園にある鉄棒などに自然とぶらさがったりできるのではないでしょうか。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
いなさんやまから かぜもらおう
いなさんやまから かぜもらおう
いーんま かーぜ もどー そー
たこ(ハタ)あげのうたです。 布を風に見立ててふり、もどそーで布を放ちます。
他に大布を数人で持ち、うたに合わせて上下させてその大布の 風の中をくぐりぬけてあそびます。 最後に布を放ちます。
きろく
ハタ揚げに欠かせない風を呼ぶわらべうたのご紹介です。 長崎では凧(たこ)のことを「ハタ」といいます。
今年も三日に長崎市の唐八景公園で長崎ハタ揚げ大会がありました。 強風が吹き、参加した家族連れの人たちはそれぞれのハタを揚げて競いました。
うたにあるように、稲佐山からの春風が吹き込んでハタはあっという間に 空高く揚がりまるで空中に泳ぐ魚のエイのようでした。
それをたぐって右や左にスーイスイ、まるで生き物のように縦横無尽に動かします。 そして相手のハタをビードロヨマ(ガラス粉をつけた揚げ糸)で合戦させて 切って落としていくのです。
負けたハタはふらりふらりと空中に落ち、「ヨイヤー」という掛け声が 掛けられます。
港から吹き上げる稲佐山からの風は、絶品ならぬ「絶風」。 また、近くの「愛宕ん山から風もらおう」ともうたわれていたそうで 切に風を呼びたい気持ちの表れたうたでしょう。
そもそも、この祭りは長崎三大行事(長崎くんち、精霊流し)の一つで 江戸時代から伝わるものです。
昔は春の季節のお金持ちの道楽で、ハタ揚げを見物しながら芸者衆を呼び 酒宴を開く大人のあそびだったようです。
今ではブラスバンドの演奏や長崎検番の舞などがあり、家族連れで楽しめます。 サークル”あっかとばい”では、大きな布を風に見立ててうたってあそんでいます。
(長崎新聞 掲載)
うた
ずく ぼんじょ ずく ぼんじょ ずっきん かぶって でてこらさい四角の綿布をひろげます。布の真ん中をつまみ、うたにあわせて上下します。
「でてこらさい」で布をそっと置き、三角塔(ずくぼんじょ)を作ってあそびます。
きろく
佐賀のわらべうたです。春になるとあちこちの野原にずくぼんじょ(つくし)が芽吹き始めます。
昨今は、野原につくしが消えてしまいましたが長崎では
まだまだ探せば見られます。
つくし自体は地味な土黄色ですが、あそびではカラフルな綿布で
ずくぼんじょ畑を作っては遠目にながめます。
次は、かごを持ってずくぼんじょ摘みをしてあそびます。
(参考資料: 佐賀のわらべうた 音楽の友社)
うた
ケン パ ケン パ ケンケン パ外あそびです。
子どもの足が入る程度のまるい輪を1つ作り、縦上に2つ
次に1つ、2つ、1つ、1つ、2つと作っていきます。
輪を縦長に並べ、ことばの順々どうりにケンは片足とび
パは両足で輪の中を跳んであそびます。
次に、並んだ輪の中の1つに石を入れると、そこはとばして
跳んでいきます。
きろく
昔、私がよくあそんだ外あそびです。道路にチョークなどで輪を書き、跳んであそんでいました。
近ごろは、道路が車で危険な場所になりました。
本来は、屋外であそぶ時のわらべうたですが、広ければ体育館や
講堂などの屋内でもおもしろいと思います。
石のなげた場所によっては、ケンケンが続き、片足とびが
連続するとかなりの運動力がいります。
年長ぐらいからあそべますが、3、4歳は ケン パ だけの
短いうたにしたら良いと思います。
うた
もぐらうちゃ こんやまで もぐらうちゃ こんやまで ・・・(しばらくしてから)
こんくらいうっも てぶらにかえすは おんごもて じゃごもて
あそびかた
「もぐら打ち」の行事をまねるしぐさあそびです。
二枚の布を結んだ物や、新聞紙を丸めて藁のバットに見立てて 地面をたたきながらうたいます。
きろく
南高来郡の有明町に伝わるわらべうたのご紹介です。
同町にお住まいの松本信子さんに「もぐら打ち」の行事についてお聞きしました。
ここでは、一月十四日の日に、子どもたちが集まり町内の家々を回るそうです。農作物に害を与えるモグラを追い払い、豊作や無病息災などを願います。
訪れる家は、新婚のお嫁さんが初めてお正月を迎えた家。その家の軒下の地面をバット状にした藁(わら)を振りかざして打っていくそうです。
藁といっても一メートルくらいの竹を藁でまいて縄できびったものです。 たたいて回ると、その家主から子どもたちにお菓子が振る舞われます。
もしも、お菓子など何も振る舞ってもらえなかったときは、うたの最後に憎まれことばを言うそうです。「おんごもて」とは鬼の子をもて、「じゃごもて」とは蛇の子をもて、とも言われ何とも強烈な物言いです。
また、松浦市星鹿地区では、今年も一月六日に正月行事「もぐら打ち」が行われたそうです。
ここでは「祝いましょ 祝い餅(もち)くれたなら 末も繁盛 世も繁盛」「どーんとどっさり福の神」などという歌詞で、青竹を藁でくるんだ棒で玄関先の地面をたたいたそうです。
わらべうたのことばには、このような福を呼ぶものや、ドキッとするようなことばを大っぴらにうたうあそびが他にもたくさんあります。
いずれにせよ、子どもたちにとってみんなで大声を出して元気にうたうことはストレスがなくなり、その上お菓子までもらえる面白い行事なのです。
こういう行事は残し伝えたいものです。
(長崎新聞 掲載)(2005年1月10日 東向保育園にて取材)
うた
ゆきは いっしょう あられは ごんごうしぐさ遊びです。
昔の枡(ます)の五合枡と一升枡で計りくらべをするあそびにしています。
きろく
冬の雪の季節にあそびたいうたです。五合(ごんごう)、一升(いっしょう)ということばもあまり聞き
慣れなくなりましたが美しいことばです。
家庭で日常に、お米を炊く時に2合とか3合とかいうことばはよく耳にします。
しかし、子どもは実際に計ってみて、どれくらいのご飯が炊きあがるのかという
ことがつかみにくいものです。
そこで、”あっかとばい”では計るというあそびにしています。
うたいながら計るあそびは、うたがあるからこそ何度もあきずにできます。
今は計量カップがありますが、昔の計り方であそぶのも楽しいものです。
もちろん、枡にこだわらず雪の降る庭で雪ダルマなどをつくりながら
うたうのも楽しいでしょう。
(参考資料 わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
コドモ カゼノコ ジジババ ヒノコ数人で、輪になりしぐさをしながら行進して元気にうたいます。
しぐさは、「コドモ カゼノコ」で両手をのばしパンチを4回します。
「ジジババ ヒノコ」で火鉢で手を温めるしぐさを4回します。
きろく
冬の寒い時期に、みんなであそびます。おおぜいで、元気にかけ声して、しぐさあそびをしていくと体が
ぽかぽかしてきます。
おしくらまんじゅうより動きが大きいので、子どもの気持ちが
かけ声といっしょに外に出ていきます。
小さい時から体を動かしながら大声をだすうたは、冬の寒さにまけないぞ!
という気合い入った楽しいわらべうたです。
(参考資料 わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
あっかとバイ カナキンバイ あっかとバーイ カナキンバイオランダさんから もろたとバーイバイ
あそびかた
No.1 と同じうたですが5歳位から、役交代のあそびにもできます。
一人が赤い布を持つ役になり、ほかの子どもは、その子を中心に外の輪をつくって
うたいながら時計回りに歩きます。
赤布役は布を高く持ち、外輪の内側を逆回りに歩き、うたの最後の「バーイバイ」で
すれ違いざまに赤布を外輪の子に渡していきます。
きろく
長崎に伝わるお正月のうたです。昔は「赤っとばい、のんのかばい、オランダさんから、もろたとばい」
とうたわれていたこともあります。
のんのか(美しい)と言うことばが金巾(カナキン)にいつしか変わっていったのでしょう。
金巾とは、昔舶来の赤や白の綿布で着物の裏地や、卓上ナプキンに使っていたようです。
日本は、お正月が現在の太陽暦に変わる明治六年までは、月の満ち欠けを基準とした
太陰暦(旧暦)で年中行事を行っていました。
しかし、長崎には江戸時代から太陽暦の一月一日に新年を祝う人達がいました。
人々が、オランダ人と呼でいた外国人達です。
この「おらんだ正月」には新年の宴会が開かれ、オランダ商館に出入りできた人達が
招かれました。
招かれた人はめいめい、白金巾のナプキンをひざの上に広げ、目を丸くして卓上に
次々出てくるフルコースの洋食を、お皿で頂く貴重なお正月の宴を楽しんでいたようです。
そこには、晴れ着を着た丸山の遊女や禿(かむろ・遊女に仕える少女)らのお酌に踊りと
賑やかな宴が、元旦中行われ長崎の人たちは、羨望のまなざしでオランダ人からもった物や
宴会の事を うわさした事でしょう。
このうたは、そんなオランダさんからもった赤い金巾を子ども達が見せびらかしたり
ひやかしたりしてあそんでいたころのうたでしょうか。
私は、小学校の時期に出島のオランダ商館跡地で育ちました。
このうたは、古(いにしえ)の長崎出島の歴史を深く感じさせるわらべうたです。
(2005年2月12日長崎新聞 掲載)
うた
オクヤマ二 キジト キツネト コイヌト ネコトガ アツマッテ ドウユウテナイタ キジハケンケン コンコンニャンニャン ワンケンコン
ことばあそびのうたです 。 うたう時、一定のテンポの中に、ことばがうまっていくように唱えていきます。
きろく
このうたは、ことばのリズム感がおもしろいので子どもはすぐに覚えてしまいます。 ”あっかとばい”では棒つき人形で演じながら、劇あそびにしています。
劇あそびは、お手本をみながら始めるのが良いと思います。
子どもが、てらいのない小さいときから、人の前でうたったり演じたり、 交代でお客さんになったりするのは、 一人一人の特性が育つあそびだと思います。
(参考資料 わらべうたであそぼう 明治図書)