もうすぐお彼岸です。お墓そうじに妹とでかけました。
くもりはそうじ日和、用意万端ぬかりありません。
お墓のよこの土神に赤いものがチラリと見えます。
お盆のときのお供え花、ホオズキが透かしホオズキになっていました。
透かしホオズキは、葉脈をきれいにのこすのに手間がかかります。
40日間の雨風で透かしになっていました。よくぞ残っていてくれた!!
長崎では土神を「つちがみさま」といいます。
中国の風習が伝わり、家や土地、それに豊作を願い祀るそうです。
お墓に当然あるものだと思っていたら長崎だけらしい。
長崎は中国とも深くつながっています。
長崎の米どころ・諫早市の小長井の田んぼです。
梅雨どきの田植えから3ヶ月がたちました。
国道207号線から登るとすぐ田んぼ。稲が育っていくのが楽しみです。
6月20日 田んぼに水がたっぷりひかれて泥水が満々でした。
6月27日 田植えしたすぐのころ。雨がポツポツ、梅雨まっさかりでした。
7月19日 梅雨のぬけそうなころ、たまたま青空に白雲がくっきりでした。
8月22日 台風の影響で夕方からビュービュー風に稲がゆすられていました。
一ヶ月で穂がたれていました。こんなにはやく成長していてビックリです。
これから、最後の実りまであと一息。ひろい田んぼでは、カカシがたくさん立って睨みをつけていました。
収穫までに台風が来ませんように!!
さいきん、武満徹の「◯と△の歌」をうたっています。
歌詞がステキな歌です。のびのび、ほがらかにうたうのです。
地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ 砂漠ハヒロイゼ ピラミッドハ三角ダゼ
空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ
空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ
地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ ロシアハヒロイゼ バラライカハ三角ダゼ
そんな時、かわいいアオイ林檎を一個もらました。
きれか〜(長崎弁:美しい!!)
「林檎ハアカイゼ」ばかりじゃないゼ、とあまのじゃく。
たべるのがもったいない!! こぶりで手にすっぽりはいります。
はじめてみる林檎、しばらくながめていよう。
1945年8月9日は、ソ連が旧満州に侵攻した日です。
その日、家族と離ればなれになってしまった少年。日本人の父とロシア人の母を持ちコサック少年として育った波瀾万丈がはじまります。
北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独りで歩き続けた10歳の少年。
コサックの生き残り、ビクトル少年の知恵を教えてもらいます。
虫について。
<いちばん効果があるのは、馬糞を利用する方法だ。ズタ袋の中には折りたたみの布製バケツが入っていたから、それに水を汲んで拾った馬糞を落とし込む。しばらくして水が黄色っぽくなったら、その上澄みを首筋に塗りたくるんだ。帽子の内側にも塗ってそいつをかぶると、さすがに虫たちも全然寄ってこないんだよ。だから虫で苦労したことはほとんどなかったね。>(219P)食べ物について。
コサックの子どもたちは、小さいころから機会あるごとに草の知識を与えられる。・・よくわからないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても多分大丈夫。すぐしおれるものは、あぶない。匂いも嗅いで判断した。・・・でも、いちばんビクトルを支えた食べ物はクルミだった。(237P)水について。
大人の身長より高い木が生えているところを流れているのはいい水だ。岸辺に木が生えて流れはゆるやか、川を覆う木の影に魚の姿がいっぱい見えるところならそれはもう素晴らしい。ブルーベリーも大事なことを伝えてくれたよ。上流から下ってくるブルーベリーが草むらに流れつく直前の水はとてもいいんだ。(233P)コサックの人間について。
コサックは、追いつめられても途方に暮れない。満州時代、川の氾濫のため、家も開墾した農地も流されてしまったコサック村があった。すべてを失った村の人々は声をあげて嘆き悲しんだ。そのうち一人の男がかろうじて手元に残ったバラライカを弾き始めた。一人二人の歌声がやがて全員の合唱となって響き渡り、全壊した村を前に踊りの輪ができあがった。そばでそれを見ていた特務機関員は「日本人にはありえないこと」と半ば呆れ、半ば戦慄を覚えたという。 彼らの不敵さと不屈さは、ビクトルのなかにも生きていた。(253P)
どんな苦境にあっても、顔をあげ、太陽に感謝し、歌をうたい歩き続けた。驚くべき不屈な姿です。
自然とともにあるコサック人の魂がビクトル少年に宿っていたと思います。
想像するのも悲惨で残忍な事実もありましたが勇気がわく本でした。
ビクトル少年は、日本に統治されていた満州国のソ連国境に近いハイラルという軍都で1935年に生まれました。
父親は日本人の毛皮商人、母親はロシア人のコサック娘の長男として。
満州に亡命したコサック人の祖父から日本人として唯一、コサックの伝統を受け継ぐ少年は、ハイラル育って10歳で敗戦をむかえます。
後年、大人になってからはサンボ(格闘技)で世界的に有名になりました。
でも、ロシア国技サンボの覇者として認められることより、独りで満州国から引き揚げた少年時代が人生のハイライトだったと語っています。
それは、母や祖父からコサックの伝統、生き抜くサバイバルのし方を授かって、あきらめず満州の大地を踏破したからでしょう。
少年は、ナイフを持ち、馬に乗り、木の実をとり、川を渡り、自由闊達でした。
悲惨な場面にいくども遭っても、慎重にサバイバル力を活かし乗り越えてゆく。暗くない話、逆に明るい話なのです。
コサック少年が極限におちいった日本人について言ったことばです。
日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちしてパニックになる。(272ページ)
私のことを言われたようで、頭をガンと殴られた気がします。
日本人の本質をついていることば。かみしめなくては!!
後編に続きます。
最近、一番おもしろかった本です。
1935年生まれ77歳のビクトル古賀さん、当時10歳の時のお話です。
終戦直後の満州動乱の中、ビクトル少年は北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独り完歩したそうです。
太陽をあおぎ、食糧、水、マッチも持たずズタ袋にナイフ1本で。
その驚愕の体験記が基になった本です。すざましい生きざまに感動でした。
1000Kmとは、車で長崎ー東京間(高速で約1200Km)子どもがとうてい歩ける距離ではありません。
コサック最後の少年は、自然への洞察力、人間の極限を観る、生命力がハンパではありませんでした。
このビクトル少年の語るコサック人の知恵を学びたいとおもいます。
次回から紹介してみます。
ずぼらなぬか漬けをつくっています。
一夜といわず三夜ぐらい漬けた古漬け、とくに茄子が大好きです。
こまめに每日かきまわし、手入れをするのではありません。
冷蔵庫に入れているので、気がむいた時だけかきまわす。
忘れている間は、寝かせているのよ!!というアバウトなぬか漬けです。
ぬか床の表面が白く変色しようが、手が臭くなろうが構いません。
さすがに、一週間もおくと色もわるく、酸っぱくなりますがよく漬かってて美味しいんです。
気にせずパクパクたべてます。
白いご飯、ぬか漬け、味噌汁、煮魚の献立はおごちそうです。
定番はきゅうりですが、かぶ、大根、キャベツも美味しいですよ。
母のところから帰り、飽の浦を通りました。
この方角から長崎の港を見ると、海が凪でおだやかです。
すーっとした海と港にほっとします。
旭大橋のてっぺんを通る時、左は長崎駅、右は大波止が一望できます。ちょっとしたパノラマ風景にであいます。
橋の上は車を止められないので、この風景は一瞬でモッタイナカ!!
ちょうど、橋から山のほうで花火が上がっているのが見えました。港からでない花火は長崎ではめずらしい。
長崎はすり鉢状になっていて、小高い山の上まで家がビッシリです。
せせこましい。でも、下ると港に続いているので開放感があります。
きょうは、この凪の港に充電させてもらいました。
レモンの種を植えてみたら、さわやかな若葉がでてきました。
若葉がスクスクと育つように每日水やりをしています。
その鉢にバッタが飛んできました。若葉とまちがえそうなかわいいバッタ。
後知恵ですが、ショウリョウバッタモドキでしょうか?
ピョ〜ンと元気よくはねて葉っばの上に一休み。緑色で見分けがつかない!!
ちょっと、待っててね。するとチョコンと待っててくれましたよ。
こんな小さな生き物にもきもちが通じるなんてうれしい。急ぎカメラをとりだしパチリとおさめて、やったぁ!!
単に、タイミングがあっただけですが。勝手によろこぶのです。
若者バッタ君!! 武者姿にみえますよ。
町内掃除の時に、グミの木を切ることなりました。
グミは、サクランボを細長くしたような赤い実をつけます。
赤い実は、ちょっと渋いけれどたべれますよ。
でも、低木で枝に棘(トゲ)があってあぶない!! 要注意です。
トゲに注意しながら枝を片付けていると「それは、杖にできます!!」とお隣さんがいわれました。
山登りをする方から「グミの枝は、良い杖になる」と聞いたそうなのです。
お隣さんは、さっそくトゲを落とし、メリメリと皮を剥いで白い杖にしました。
手際よく子ども用の杖一本。陰干して完成だそうです。
長崎の米どころ・諫早市の小長井の田んぼです。
梅雨どきの田植えから2ヶ月がたちました。
国道207号線から登るとすぐ田んぼ。稲が育っていくのが楽しみです。
6月20日 田んぼに水がたっぷりひかれて泥水が満々でした。
6月27日 田植えしたすぐのころ。雨がポツポツ、梅雨まっさかりでした。
7月19日 梅雨のぬけそうなころ、たまたま青空に白雲がくっきりでした。
8月22日は、夕方から雲行きがあやしくなって、ビュービュー風に稲がゆすられています。
突風で木の葉が渦を巻いてまいあがり、海も白い波がたっていました。
これから、台風もやってきます。ガンバッテ育ってね。
お盆のころ、よく見かけるユリは、タカサゴユリでした。
野っ原に茎が細くにゅーっとのびて、白い花を咲かせています。
台湾からやってきたものらしく、雑草の中でも育ってて強い生命力です。
茎が、1.5mもあるのもあってテッポユリより葉っぱが細くなっています。
カラフルな花もよいけれど白は気品があって特別なものに思えます。
暑い夏に、白いタカサゴユリはさわやかです。
叔父の初盆に樺島へ行って来ました。
子どものころ夏休みになると樺島で暮らしていました。
昭和30年ころは、野母崎までバス。それから樺島へは渡し舟でした。
渡し船のゆれ、におい、エンジン音、波しぶき、ワクワクしながら渡った。
お米をもたされて、まるで疎開のように親からはなれた生活は新鮮。
同じ年の従姉妹もいて每日がゆかい。叔母も、叔父もやさしかった。
島では、だいじなお客さんのように、美味しい料理をつくってもらった。
叔父の家には魚の絵がかかっていて、なんとなく守り神のような絵を見上げ、土間にはカマドがあり、五右衛門風呂に入っていた。
ある時、新鮮なサバを煮つけにしてくれたが、ジンマシンがでて叔母をあわてさせた。
叔母は、せっせとツワの根をせんじて飲ませてくれて治った。
夏いっぱいの子ども思い出は、肌身にしみている。樺島にはそれがあった。
嫌な顔もみせず、ほがらかに世話してくれた叔母、叔父。大人になってその温かさに深謝している。
ありがとうございました。
料理されていく食材たちのVimeo動画。2分51秒です。
新鮮な食材が音楽のビートのノッて小気味良くハジケていきます。
スローモーション映像で撮ると美しさが際立ちますね。
トマト、アボガド、オニオン、マカロニ、肉、食材のぜんぶがみずみずしい。
カニをフォークで出しているのは、思わずゴクリ!!となります。
お腹がすいた時は、目の毒かもしれませんよ。
今日のわらべうたは、13時からで暑いさかりでした!!
Yちゃんとお兄ちゃんは、首にタオルをかけてきました。
あら? プールから帰ってきたようなイデタチです。
いやいや、クールタオルというものだそうです。
知らないのは、わたしだけだった!!
近くのスーパーでも買えるほどみなさんご存知のタオルでした。
クールコンフォートテクノロジーズという冷却生地をつかったタオルらしいです。
アメリカからやってきたもので、すでに、2010年から話題なっていた。
暑い時や野外活動につかえておもしろい商品ですね。