2014年になって初めての「出島の集い」です。
長崎手帖 No.9の碑をたずねて4の「まよい子志らせ石」です。
電話のなかった明治初年の警察では迷い子がでると非常にこまった。そして思いついたのがこの石である。「迷い子」を見つけた人はこの石の南側「おしゆる方」に連れて行くとよい。たずねる人は北側の「たづぬる方」に立っているとよい。この石は明治十八年長崎警察署の人達によって建てられた。(所在地諏訪神社入り口)尚この石と同種のものが清水寺の境内にもある。 解説 越中哲也さっそく、諏訪神社に行くとあった、ありました!!
電話、ましてや携帯電話など想像もつかなかっただろう146年前の明治初年(1868年)のころの事です。
迷い子をさがすのに苦労して、有志が考えて碑を建てたのですね。
今は便利になった分、人は工夫をしなくなって情けないのかもしれない。
第二十回は、No.9号の長崎なまり〜浪花節と長崎〜新長崎地図4三つの川口〜碑をたずねて4「まよい子志らせ石」〜長崎町づくしの歌まででした。
次回は、2月11日建国記念日です。
どなたでも参加できます。気軽にいらっしゃいませんか?
冬の晴れた空の下、鈍色(にびいろ)の家壁が佇んでいる。
長崎ココウオークの近く。教室までの道すがらに建っています。
この墨をぼかしたような壁面はずっとここに居てほしい。昭和を感じます。
いつも、パッキリとあざやかな色ばかりを好んではいませんよ。
昭和30年ごろの混沌とした街風景、出島〜中央橋までの中島川沿い。雑然としたボロ家並み。原風景です。
子どもの頃の街の姿がこの壁にある。ほっとします。
第十九回は、左端の宮田さんが広められた唐人菜からです。
唐人菜(長崎白菜)は、長崎伝統野菜です。お正月の雑煮に入れ、鉄分はほうれん草の3倍あります。
その唐人菜の「ぶらぶら漬け」㈱ミヤタは、酸っぱさと甘さとが絶妙にミックス。浜勝で美味しいと評判のお漬物、長崎名物です。
ミヤタでは、唐人菜を雲仙で長崎公会堂15倍の畑に栽培しているそうですよ。宮田さんが尽力されて名物になったんですね。
昭和30年ころ、オランダ商館跡地に松本漬物屋さんがありました。
出島の集いには、その松本さんや宮田さんが参加されて、長崎の昔話が聞けます。
楽しい語らいです。お気軽にいらっしゃいませんか?
第十九回は、長崎手帖No.9号の初恋びと〜長崎の音〜長崎の新しさと古さ〜長崎あれこれ。その9~長崎の珍木・珍草まででした。
次回は、2014年1月12日(日)の予定です。
くっきりと赤いポストが小路に立っていました。
長崎の上西山町にある懐かしい昔の形のポストです。
しかもペンキが剥げていない。どうも塗ったばかりの感じがする。
四角いポストは、機能的には合格でしょうが味気ない。
朱赤の色が元気で「お手紙まってま〜す」って言っているようです。
このどっしりした帽子姿に惚れ惚れしました。
この電停で降りて、出島オランダ商館の正面に通じます。
さて「出島の集い」のトピックス、どん山からです。
どん山:長崎の日の出町に時を刻んでいた午砲台があります。
明治36年から昭和16年3月まで、午砲(12時)に空砲を鳴らしていた。
「ドーン」という音が38年間長崎の街に響き、「どん山」と親しまれていたそうです。
今は、どんの山公園にあります。一度、聴いてみたかった音ですね。
水師橋(すいしばし):銅座川下流が埋め立てられて廃橋となった鉄橋です。
この橋は、日露戦争が起こった明治37年・1904年に架橋されました。
ここより兵将が出発したのを因んで名付けられたそうです。
この電停の先、長崎市民病院の付近だったでしょう。水師橋の上を電車が通過している写真がのっています。
当時の写真つきなので長崎手帖はおもしろいですよ。
第十七回は、長崎手帖No.7・8合冊号の長崎の山の俗称〜出島〜復元したオランダ商館跡〜水師橋〜すすき塚〜郷愁〜あまから履歴書まででした。
定番の長崎手帖は、明治・大正・昭和のこぼれ話がたくさん書かれています。
その中から一つ。外浦町(ほかうらまち)は、長崎県庁の付近のむかしの町名です。
明治18年にコレラが流行した時、死者の棺は二人でかつぎで、五社山の下の焼き場まで運んでいたのですが、その棺が通る町内では、町ごとに音火矢をポンポン鳴らしていました。子どもの頃のことなので、盆が来たように喜びましたが、実はコレラがその町に侵入してくるのを防ぐためのマジナイであったそうです。(外浦町 中村清治)
長崎のお盆の時の花火、爆竹、音火矢(ヤビヤ)は、お墓まいりや精霊流しにかかせません。
びっくりするほどの派手な爆竹音や、ヒュ〜っと音を出して上る音火矢は、魔除けのためです。私もお盆の時だけだと思っていました。
でも、明治の長崎には、棺を二人でかついで通るなど疫病が流行り、死者と隣合わせの危うい暮らしがあったんですね。
第十六回は、長崎手帖No.7・8合冊号のかながしら〜茶のみ話〜長崎の雨〜長崎の匂いまででした。
長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。
出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方の参加をお誘いします。
テーマは「長崎手帖」、気軽にお誘いあわせていらっしゃいませんか。
会費は無料。第十五回のようす①、②です。
第十六回「出島集い」
日時:2013年8月25日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(8月22日迄)
出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。
元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。
昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。
大きな地図で見る
会でティンカンメールの話が一段落しましたら、定番の長崎手帖です。
今回も、No.7・8(合作号)を少しずつ音読していきます。昭和30年代を生きた方々のこぼれ話をご紹介しましょう。
長崎一番帳の90からビスケットの始まり
ビスケットの始まりは、いつの頃かビスケー湾で英国船が遭難し食料に欠乏した時、塩水に浸った小麦粉やバターなどの残り物を練り合わせて焼き、辛うじて船員が飢えをしのいだので、湾名にちなんでビスケットとよぶようになったそうであるが、長崎で一番始めにビスケットを作ったのは山ノ口の福砂屋である。 明治初年のことで、その頃はまだ機械はなく手でこねて作られたものであった。
「出島の集い」に興味のある方は、参加されてみませんか? 参加は無料です。
詳しくは、ここです。
第十五回は、バラの言葉を借りて〜長崎一番帳・第六集〜長崎というところ〜特集:長崎っ子診断 善意の人たち〜長崎言葉〜長崎なまりまででした。
今回のメインは、第九回「出島の集い」での話題だったTIN CAN MAIL。
待ち望んでいたティンカンメール(ブリキ缶郵便)を見せて頂きました。
海江田さんが持っていらっしゃる貴重な封筒です。
船付きが困難なニウアフォオウ島はトンガにある火山島。
島民が、船から投げられた手紙の入ったビスケット缶を海を泳いで拾い、帰島する通信手段から名付けられました。マニアにはお宝です。
この現物の封筒の絵をよくご覧ください!!
原住民が、ヤシの木のある島から海に浮かぶ樽を拾いに泳いでいます。
遠くに太陽。カモメが飛び、樽を投げた母船も沖合に停泊中です。
情景が目に浮かぶ封筒ではないでしょうか!! トンガの切手が貼ってあります。
海江田さん、ありがとうございました。
長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。
出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方の参加をお誘いします。
テーマは、「長崎手帖」と出島をめぐってです。会費は無料。
どうぞ、気軽にお誘いあわせていらっしゃいませんか。
第十五回「出島集い」
日時:2013年 7月28日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(7月25日迄)
出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。
元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。
昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。
第十四回のようすはここです。
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長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。
参加は、出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方をお誘いします。
テーマは、「長崎手帖」と出島をめぐってです。会費は無料。
どうぞ、気軽にお誘いあわせご参加下さい。
第十四回「出島集い」
日時:2013年 6月30日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(6月27日迄)
出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。
元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。
昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。
第十三回のようすはここです。
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母は、5月28日で92歳になりました。
彼女は、自分の年を70歳ぐらいと自覚しています。
先日も「本当に92歳? 戸籍謄本をとってきて調べて見ようと思うとさ!! 」と言います。
歳をとるごとに、自覚と実年が乖離していくそうです。わかるなぁ。
たまには運動にとホームの下の店まで散歩に誘いました。とちゅうで、柵に手をかけ、ジャスミンの花の香りをかぐ母の姿。
あぁ、92歳の母の手!! しわくちゃで小さくなったこの手で育ててもらった。
細かく丁寧で縫い物、編み物は得意。着物やセンスの良い服を作ってもらった。
いろいろあったけれど、見慣れた母の小さな手が愛おしいです。
昭和30年、母と一緒の姿。ありがたいと想います。
ながさき紫陽花まつり中の5月26日に、長崎出島の内外クラブで集まりました。
Yさんが「長崎手帖」の?宿題を調べて来てくださった!!
1)浜市アケードはいつ建てられた?
昭和32年に初めて→昭和52年に9000万円かけてリニューアル。
会長は、田中直一さん(タナカヤ)だった。
2)松山町(元、駒場町)の運動場 元は、競輪場だった。
朝帰りの魚市の人たちで賑わっていたそうです。
3)小川町の読み方→コガワ町です。
定番の「長崎手帖」No.7の途中から始まりました。
順は、カステラ茶話〜鉄砲ん玉〜長崎のあれこれ、その7〜新田次郎のことなど〜夜明けの丘まで。
Yさんの京都のお土産をいただいて、第十二回は終わりました。
6月は、30日(日)の予定です。
興味のある方は、参加されてみませんか?詳しくはここです。
長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。
参加は、出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方をお誘いします。
テーマは、「長崎手帖」と出島をめぐってです。会費は無料。
どうぞ、気軽にお誘いあわせご参加下さい。
第十三回「出島集い」
日時:2013年 5月26日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(5月23日迄)
出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。
元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。
昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。
第十二回のようすはここです。
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長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。
参加できるのは、出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方です。
テーマは、「長崎手帖」と出島をめぐってです。
どうぞ、気軽にお誘いあわせご参加下さい。会費は無料です。
第十ニ回「出島集い」
日時:2013年 3月10日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(3月7日迄)
出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。
元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。
昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。
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