わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)


久しぶりに6名が参加された「出島の集い」です。

カラリと晴れた9月23日(日)まつくら茶屋でした。松庫さんも出島に海産物のお店があったそうです。

集いの方々の年齢は、50代から80代。出島に縁のある方々が中心ですがどなたでも参加できます。

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今回は、長崎手帖の”ビールの飲み方”と”あまから履歴書”でした。

なにせ、昭和30年代の長崎手帖です。半世紀も前だとガラリと長崎のようすもちがって昔のお話は面白い。古地図を広げながらです。

”あまから履歴書”には、お酒、ビール、懐かしいお菓子が書いてあって、「東郷せんべい」の名前がありました。

東郷さんにまつわるものは、切手、東郷煎餅、東郷ストリート(トルコ)もあるそうです。

長崎の今博多町は昔、あめがた町と言われていたらしい・・。

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昭和30年ころの長崎の庶民の生活ぶりを、こむずかしい歴史でなくホホ〜と覗いて楽しむ。その手引きには長崎手帖はピッタリです。

昼食は生からすみ丼を頂き、集いの会は終わりました。

次回は、出島の旧長崎内外クラブで11月18日の予定です。


からすみ茶屋 まつくら
長崎市東古川町3-11-201
Tel:095-827-1023
営業時間11:30~15:00(火~土)日・月曜休み




第七回は、7月15日に出島内外倶楽部で開きました。

長崎手帖は昭和30年ごろの長崎の面白い道案内の本です。

その原本を貸して下さったIさんが新しく参加されました。

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今回は、橋問答(田栗奎作氏の文)から始まりました。

橋問答より抜粋 (田栗奎作氏)
今ある橋で粋なのは、大浦川の松ヶ枝橋。銅座川には日露戦争戦役記念の出師橋、新川筋には古風だが小味な扇橋。珍しいところでは、愛宕町に千畳橋、城山の皿焼橋。中島川には一覧橋に袋橋、風流な網笠橋、韓国趣味の高麗橋、線香臭い阿彌陀橋。まだある。水のない川に桜橋、丸尾町の小川に紅葉橋、旭町の川に黄金橋。


他に、長崎のめずらしい橋の話を宮田さんから教えてもらいました。

長崎の東小島にかかっている鬻(ひさぐ)橋という橋です。

鬻(ひさぐ)とは、その日一日の商いをするという意味だそうです。

今、この漢字を書ける人読める人もあまりいないかも?と。

こんど、その鬻橋を見に行ってみたいです。




ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。

出島は、1951年から50年で全て公有化完了。さらに11年経った「集い会」です。

場所は、いつもの長崎出島オランダ商館跡地の内外クラブに集いです。

テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。

第七回「出島集い」
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日時:2012年 7月15日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(7月13日迄)

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今回は、出島にお店があった松庫さんや吉田染料店の吉田さんもお誘いしています。

おもしろい昭和20年、30年代の出島や長崎のお話が聴けるかもしれません。

どうぞ、楽しみにしていらして下さい。



大きな地図で見る




お古の棚をペンキ塗りで再利用することにしました。

このペンキは、カンペハピオカラー・クリーム、水性つやあり。

10年前のペンキだったけど、これも再利用です。

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今は、ホームセンターでなくても楽天で650円。送料無料です。

一回塗りとかいてあるのだけれど、3回もぬりました。

上下に分かれた棚は、ピッタリにプリンターが収まりウレシイ。

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イヤイヤながらペンキを塗った中学生のころ思い出があります。

そのころ、長崎出島のオランダ商館・内外倶楽部に住んでいたのです。

西洋式の壁やドアを白塗りしたけれどアレは広すぎ!!でした。

今はそのせいで、ペンキを塗りは好きになりましたよ。

                                                                                              


活版印刷のお宝をみせていただいた第六回「出島集い」の続きです。

集いのテーマは、みんなで長崎手帖をよむことですが、この本も活版印刷だったとわかっておどろきました。

この後は、ゆかいにからすみ茶屋で酒宴をひらこう!!という池田さんのおもてなしをうけ、とくべつ企画がつづきます。

2)からすみと立山

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昼間っから富山の銘酒・立山とからすみが食べられるなんて!! 

生からすみ丼のほかに、たくさんのお料理。とくべつにからすみも登場です。 

ワァオ〜です。立山もす〜っと呑める甘くないお酒がおいしい。

日本酒にからすみはバッチリでした。遠慮なくいただきましたよ。

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こんな、日曜日はごくらく、ごくらく。バスできてよかったです。

池田さん、ありがとうございました!!




ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。

出島は、1951年から50年で全て公有化完了。さらに11年経った「集い会」です。

今回は、生からすみの松庫さんの出店:からすみ茶屋 まつくらで開きます。

テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。

第六回「出島集い」
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日時:2012年 6月10日(日)12:00~14:00
場所:長崎市東古川町3-11-201 からすみ茶屋 まつくら:095-827-1023
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の暮らしぶり、思い出など・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(6月9日迄)

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今回は、出島にお店があった松庫さんや吉田染料店の吉田さんもお誘いしています。

おもしろい昭和20年、30年代の出島や長崎のお話が聴けるかもしれません。

どうぞ、生からすみ丼もお楽しみにしていらして下さい。




久しぶりに「出島の集い」の5回目を2012年4月8日(日)を開きました。

場所は、いつもの長崎出島オランダ商館跡地の内外クラブに集いです。

内容は、長崎手帖にそって。今回は、長崎一番帳と新地の昔話やこぼれ話です。

昭和30年代の長崎の様々な事柄の一番帳を読みながら古地図を見て、今の時代と地図と比べて話しました。

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長崎手帖/長崎一番帳から・・昭和31年(1956)算定です。

*長崎で一番古いクリーニング店は、大浦相生町の青田クリーニング店。創業は明治6年で83年になる。
初代青田嘉吉氏は当時はロシヤ艦隊その他外国船舶の御用達だったこと。当主青田梶郎氏は二代目。

*長崎で一番水を使う所は、三菱長崎造船所。昭和30年10月は使用量69,268立方米、料金は1,658,152円であった。


大浦のクリーニング店はたくさんあってお得意様は大浦のお隣、南山手に住んでいる居留地の外国人が多かったそうです。

当時は日本人でクリーニングに出す人は稀だったでしょう。今も青田クリーニング店さんは大浦にあります。

三菱長崎造船所の水道料は、今に換算すれば1ヶ月に約1660万円。エエッ、すごい水道料です。(約10倍に見積もって)

この長崎手帖が昭和33年再販価格が1部20円、郵便切手代8円。現在と比較して約10倍にしてみたのですが。

次回「出島の集い6」は2012年5月20日(日)の予定です。

興味のある方は、どうぞご連絡ください。

連絡先:Tel&Fax :095-846-1642   山田ゆかり
    e-mail:




長崎の出島オランダ商館跡地に、からすみの松庫さんもお住まいでした。そこで「出島の集い」にお誘いにと、出店『まつくら』に伺いました。

松庫のご当主、上野順さんの妹さんの生からすみ丼のお店です。ほほう!! 生からすみ丼とは? 

妹の池田照さんは、「ここは、松庫の生からすみ出店・宣伝食事部なのよ」と。大きいテーブルに10個程の椅子、家庭的なマンション一室でした。

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池田さんは、長崎で生まれ育ち。その後、30年間東京に住み阿佐ヶ谷で「子どもの本や」をされ帰崎された方でした。

『まつくら』さんは、絵本があり、生からすみ丼が食べられる居心地のよいお店でした。

つづく。


からすみ茶屋 『まつくら』さん
長崎市東古川町3-11-201 
電話:095-827-1023 




第四回「出島の集い」。今回から読みすすめる『長崎手帖』ができました。

『長崎手帖』は、田栗奎作(たぐり けいさく)さんと真木満さんの写真つき小冊子。昭和30年〜40年ころの長崎の風景写真や人の声が聴けます。

赤の表紙で原册の2倍のサイズにすると大きな字になって分厚い。少し重くなったけれど、老眼ですから大きい字がいいんです。

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さっそく田栗さんご本人の「銅座町の生態」を音読しながら。銅座川は明治の末頃までは水もきれいで夏は、銅座の子どもたちの天国だったらしい。

石橋(大正橋)の上から飛びこんだり、どんぽ泳ぎでパチャパチャやっていると、橋を通る異人さんが人力車の上から小銭を投げていたそうです。

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銅座の釜屋小路は古くは川端通りと言われてたらしい。「長崎おもいで散歩」の写真集に『醉族館』の看板を見つけ、「あぁ!! 今もアル 、アル。」と松本さん。

こんど、通ったらお店と看板を探すのが楽しみです。




ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。

出島は、1951年から50年かかって全て公有化完了。さらに10年経った2011年に「集い会」です。

今回からは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って行ったら面白そう!! のテーマに沿って。どうぞ、お出かけ下さい。

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「第四回 出島集い」

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日時:2011年 12月4日(日)午前11時~13時
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室 095-821-7200
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の暮らしぶり、思い出など・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(12月3日迄)

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「長崎手帖」を読みながら語りましょう・・「出島の集い」の方針がつきました。小册ながら昭和30年代の長崎人の息づかいが聞こえて面白そうと。

故田栗奎作(たぐりけいさく)氏が発行された昭和30年〜42年までの小冊で全40冊。
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「長崎手帖」創刊の言葉


こんど、こんな小さい手帖をだすことにしました。長崎のさまざまな味と色と匂を、こぼれるようにもりたいと思っています。

世の中が、つまればつまる程、なぜかユーモアがほしくなり、カサカサした生活に、すこしでもうるおいを持たせることが出来たらというのが、私のささやかな願いです。

薄っぺらなものですが、毎月出して行きたいと思っています。

もし、この手帖の中のどこかが微笑をさそい、ひとつの話題となり、そしてひとときの憩いとなることが出来れば、この上もないことです。



このやさしい言葉が、ジ〜ンと心をうちます。あたたかい眼差しで長崎を見つめた方がいらっしゃったのですね。

半世紀をすぎて「出島の集い」の場で、微笑をさそう憩いの小册にさせて頂きます。感謝いたします。




今回は、平日の開催です。皆さんがご高齢になってきたので体調や季節にも気をつけてです。

内外クラブは外装の修理の為テントに覆われていましたが、内外クラブのレストランで4名が参加されました。

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出島復元整備室長の馬見塚さん交えて、これから出島オランダ商館跡地復元計画を聞きました。

発掘調査が終わった後、5、6 年で乙名詰所、14、15、16番蔵、筆者部屋、番書などが復元。中島川に橋を架けて橋から出島に入場の構想もあるそうです。

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その構想を聞いて「それは、橋が架かると出島らしくなって嬉しいですね。」と皆さんは期待。次に、これからの会のテーマ決めにかかりました。

坂井さんが紹介して下さった「長崎手帖」を見ながら「ニュー洋装店」の話しに。出島は浜の町とすぐ近い。昭和30年頃の記憶もよみがえります。

そうそう、「長崎手帖」を土台にして出島と当時を探って行ったら面白そう!! とテーマが見えて来ました。



ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー

長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。長崎市内に点在していらっしゃいるのです。私も小学校から高校卒業まで育ちました。当時は・・あたり前として。

出島は、1951年から50年かかって全て公有化完了。さらに10年経った2011年に「集い会」です。2011年7月24日が第一回。9月4日に第二回。今回は、第三回のお誘いです。

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「第三回 出島集い」

日時:2011年 11月10日(木)午前11時~13時
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F 喫茶・レストラン室 095-821-7200
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の暮らしぶり、思い出など・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709  山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com  要連絡(11月6日迄)


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「第一回 出島の集い」その2では、宮田さんの面白いお話。戦後間もないころの情景が目に浮かびます。今は、出島オランダ商館跡地に住民は無く、当時を語りつぐ方々もわずかです。

長崎で最も特別な場所、出島。その最後の暮らしぶりを伝えたいです。



10月3日は、長崎くんちの前に行われる庭見世(にわみせ)です。

庭見世には、出島町と樺島町に行きました。長崎一のお祭り・くんちは、10月7、8、9日三日間。今年の踊り町は紺屋町、出島町、東古川町、小川町、本古川町、大黒町、樺島町。

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出島町は、阿蘭陀船(おらんだぶね)がド〜ンと・・・子供の頃、「そうこ」にあったのを思い出します。傘鉾、衣装、「花」、お祝いの品々が豪華絢爛。復元されたオランダ商館跡地に展示してあって雰囲気がピッタリです。

樺島町は、一番人気のコッコデショに長蛇の列。携帯カメラのカシャ、カシャ音と人の多さにびっくりしました。回転台にのった傘鉾は青天狗、赤天狗がぐるりと廻っててまた、人集り。

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2006年は、桶屋町の庭先回りお手伝い。去年は、お菓子・海老糖や宮城野を頂き懐かしいです。

長崎っ子は、シャギリの音がするとソワソワ。この一週間は浮かれっぱなしです。



8月は「長崎学」は夏休みでしたので、9月に入って長崎歴史文化協会の講座に行ってきました。それから、越中先生に、先日の出島の集いで海江田さんがチラリと話された事をお聴きしたかったのです。

海江田さんも宮田修二さんも出島の集い参加される方で、今日の講座は、宮田さんの「吉村昭と長崎・戦艦武蔵」でした。 とても面白くて、吉村昭「戦艦武蔵ノート」を読みたくなりましたよ。

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さて、海江田さんのお話です。
数年前に、ある北海道にお住まいの方から、海江田さんが出島にまつわるNHK番組に出演されたTVを見て、問い合わせの電話がきたそうです。北海道の方は、実は、ご先祖が長崎出身で出島の最後のオランダカピタン?或いは領事?だった。というご一族のエピソードでした。

私は、果たして北海道の方のご先祖様はどなた?・・・ここが謎だったのです。そのカピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウスなのか?はたまた、領事だったのか?が知りたいと思ったのでした。

出島の最後カピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウス。嘉永5年(1852年)にカピタン就任し、安政5年(1858年)に出島のオランダ商館は閉鎖され、1860年に離日しています。

越中先生に明治期の文献を見せて頂いたのですが、明治に入って長崎在住のカピタンの名前がなかったのですよ。明治期には長崎にはカピタンは居ず、もしかすると長崎で領事を兼務する商人だった?かも・・と。

幕末の嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応・明治期の動乱は興味があるところです。これからの海江田さんや宮田さんのお話も興味津々。また、詳しくお聴きしましょう!! この時期は・・謎が多いですね。

越中先生、海江田さん、宮田さん、面白いお話を聴かせて頂いて、有難うございます。


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