この電停で降りて、出島オランダ商館の正面に通じます。
さて「出島の集い」のトピックス、どん山からです。
どん山:長崎の日の出町に時を刻んでいた午砲台があります。
明治36年から昭和16年3月まで、午砲(12時)に空砲を鳴らしていた。
「ドーン」という音が38年間長崎の街に響き、「どん山」と親しまれていたそうです。
今は、どんの山公園にあります。一度、聴いてみたかった音ですね。
水師橋(すいしばし):銅座川下流が埋め立てられて廃橋となった鉄橋です。
この橋は、日露戦争が起こった明治37年・1904年に架橋されました。
ここより兵将が出発したのを因んで名付けられたそうです。
この電停の先、長崎市民病院の付近だったでしょう。水師橋の上を電車が通過している写真がのっています。
当時の写真つきなので長崎手帖はおもしろいですよ。
第十七回は、長崎手帖No.7・8合冊号の長崎の山の俗称〜出島〜復元したオランダ商館跡〜水師橋〜すすき塚〜郷愁〜あまから履歴書まででした。
第十一回は、2013年初めての2月10日でした。
長崎の出島内にある内外倶楽部で4名が参加です。
月1回、つたない私の音読で長崎手帖を少しづつすすみます。
昭和30年代の長崎の庶民の生活が、写真もあって面白い小冊子集なのです。
写真を見てみなさんから?がでました。
1)浜の町でのアケードはいつできたんだろうか?
2)鈴蘭燈は銅座にあったのだろうか?
それから、本の卓袱(しっぽく)料理 のおひれにまつわる話や、昔の漢字が読めないのをアレコレ調べたりもします。
気張らず、よもやま話が広がって語らうのが楽しい。ほのぼのとしていますよ。
どうぞ、興味のある方は参加されて下さい。
次回は3月10日予定です。
長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。
参加できるのは、出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方です。
テーマは、「長崎手帖」と出島をめぐってです。
どうぞ、気軽にお誘いあわせご参加下さい。会費は無料です。
第十一回「出島集い」
日時:2013年 2月10日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(2月7日迄)
出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。
元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。
昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。
当日は、近くの新地中華街会場、中央公園会場にて、20周年を迎える長崎ランタンフェスティバルの点灯式も行われます。(2月10日(日) 17:30~18:00 )
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ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー
長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。
出島は、1951年から50年で全て公有化完了。集いの方々の年齢は、50代から80代です。
出島に縁のある方々が中心ですが、どなたでも参加できます。
場所は、いつもの長崎出島オランダ商館跡地の内外クラブです。
テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。
第九回「出島集い」
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日時:2012年 11月18日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(11月13日迄)
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マンガ本「ペゴロスの母に会いに行く」につられて母の古写真を探しました。
私の母は、ペゴロスさんのおかあさん・みつえさんより1歳上の90歳です。
幼い時に樺島をでて長崎へ越境入学し、叔母の所から長崎の活水学院の英文科に通っていました。
後列右から二人目、母18歳・1940年ころ。
後ろにいらっしゃるティア先生は、太平洋戦争がはじまったらすぐアメリカに帰国されたそうです。
勉強好きの母は英語はバッチリ。私は今も教えを請うありさまです。
若い頃のとしこさんは、樺島で「靴のかかとも理想も高い、モダンガールの売れ残り!!」とはやされていたそう。
むかしの写真をみながら、娘の私もやっぱりね。とうなずきます。
母は理が勝つ気性。父から「もっと、ふんわりとならんとか!!」といわれていたそうです。
でも、和裁、洋裁もできて細かい針仕事は丁寧。母に太刀打ち出来ないです。
母の気性と父の強い影響を受け継ぐ私は、やわらかくはならないはずです。
ふたりで英語をしていると認知症でもシャンとなるとしこさんです。
長崎在住のマンガ家ペンネーム・ペゴロス、岡野雄一さんの本です。
この本は映画化が決定し、岡野さんは時の人。長崎の本屋で一番売れています。
マンガ本には、89歳の認知症のおかあさん・みつえさんとのホンワカとした会話やむかし話が描かれていて、昭和30年代の長崎がしのばれます。
会話は、もちろん長崎弁。「そう、そう、そげん言いよった!!」となつかしい。標準語の注釈もあって絵も温かいタッチです。
当時、三菱の造船所から船が着く大波止は、夕方、大勢の人がど〜っと下船してラッシュでした。そんな大波止が思い出されます。
私の母・としこさんも90歳。みつえさんと同じ認知症もでて、読んでいるとジ〜ンとしてきます。
戦争前後をたくましく生きてきた母たちの背景がうかがえるマンガ本です。
第七回は、7月15日に出島内外倶楽部で開きました。
長崎手帖は昭和30年ごろの長崎の面白い道案内の本です。
その原本を貸して下さったIさんが新しく参加されました。
今回は、橋問答(田栗奎作氏の文)から始まりました。
橋問答より抜粋 (田栗奎作氏)
今ある橋で粋なのは、大浦川の松ヶ枝橋。銅座川には日露戦争戦役記念の出師橋、新川筋には古風だが小味な扇橋。珍しいところでは、愛宕町に千畳橋、城山の皿焼橋。中島川には一覧橋に袋橋、風流な網笠橋、韓国趣味の高麗橋、線香臭い阿彌陀橋。まだある。水のない川に桜橋、丸尾町の小川に紅葉橋、旭町の川に黄金橋。
他に、長崎のめずらしい橋の話を宮田さんから教えてもらいました。
長崎の東小島にかかっている鬻(ひさぐ)橋という橋です。
鬻(ひさぐ)とは、その日一日の商いをするという意味だそうです。
今、この漢字を書ける人読める人もあまりいないかも?と。
こんど、その鬻橋を見に行ってみたいです。
ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー
長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。
出島は、1951年から50年で全て公有化完了。さらに11年経った「集い会」です。
場所は、いつもの長崎出島オランダ商館跡地の内外クラブに集いです。
テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。
第七回「出島集い」
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日時:2012年 7月15日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(7月13日迄)
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今回は、出島にお店があった松庫さんや吉田染料店の吉田さんもお誘いしています。
おもしろい昭和20年、30年代の出島や長崎のお話が聴けるかもしれません。
どうぞ、楽しみにしていらして下さい。
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ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー
長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。
出島は、1951年から50年で全て公有化完了。さらに11年経った「集い会」です。
今回は、生からすみの松庫さんの出店:からすみ茶屋 まつくらで開きます。
テーマは、「長崎手帖」を土台にして出島と昭和30年ころを探って。どうぞ、お誘い合わせてお出かけ下さい。
第六回「出島集い」
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日時:2012年 6月10日(日)12:00~14:00
場所:長崎市東古川町3-11-201 からすみ茶屋 まつくら:095-827-1023
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の暮らしぶり、思い出など・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(6月9日迄)
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今回は、出島にお店があった松庫さんや吉田染料店の吉田さんもお誘いしています。
おもしろい昭和20年、30年代の出島や長崎のお話が聴けるかもしれません。
どうぞ、生からすみ丼もお楽しみにしていらして下さい。
ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー
長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々がいます。長崎市内に点在していらっしゃいるのです。私も小学校から高校卒業まで育ちました。当時は・・あたり前として。
出島は、1951年から50年かかって全て公有化完了。さらに10年経った2011年に「集い会」です。2011年7月24日が第一回。9月4日に第二回。今回は、第三回のお誘いです。
「第三回 出島集い」
日時:2011年 11月10日(木)午前11時~13時
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F 喫茶・レストラン室 095-821-7200
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の暮らしぶり、思い出など・・)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり(旧姓 山口)
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(11月6日迄)
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「第一回 出島の集い」その2では、宮田さんの面白いお話。戦後間もないころの情景が目に浮かびます。今は、出島オランダ商館跡地に住民は無く、当時を語りつぐ方々もわずかです。
長崎で最も特別な場所、出島。その最後の暮らしぶりを伝えたいです。
夏の暑い盛りに食べる楽しみは冷菓です。我が家には、50年前にアンティックかき氷機がありました。
角氷を滑らないように爪を噛ませてセットし、手回しをグルグルまわしてかき氷を作っていました。シャカシャカと削られる白い氷を、左手に持ったガラス器で受け取ります。くねくねと手首をまわし器に山盛りに、とちゅうで形を整えながら・・てんこ盛りすぎるとボタリ・・。
毒々しい緑のメロン味とか赤のイチゴ味に練乳をかけて食べたものでした。家のあのかき氷機はどこにいったのでしょうか・・わかりません。 youtubeに同じようなかき氷機がありましたよ。
かき氷も懐かしいですが、今は、アイスクリームかジェラートです。アリタのインサラーダ エゾーティカのジェラートを食べてみました。
サラダエキゾチックって、ライチ・パッション・マンゴー・グレープフルーツ・パイナップルが入っている!! 美味しそうです。私は、そそっかしいから、ポタリ!と落とすのではないかとカップにばかりしていたのですが・・コーンにしてみました。
サラダエキゾチックは、たくさんの味がミックスされてて・・・ワカラン?味でしたよ。でも、コーンは、パリパリとしていて美味しかったです。
去年もアリタのジェラートをよく食べました。今年は残暑がきびしいから9月、10月中はまだまだ、ジェラート期間中ですね。
今回の出島の集いは、四人の皆さんの回想から・・・昭和初期の長崎の市場や出島商館跡地に暮らした人のリアルな姿が浮かび上がってきました。
集いは、筋を決めて進める会議などではないので、歴史的な資料にはならないでしょうが、当時の出島の生活・風景・繋がりをホンワカと懐かしむ場になりました。
宮田さん・松本さんの回想
現在の長崎市中央卸売市場までの歴史は、長崎に青果市場が八幡町にできて→十八銀行本店の道路はさんだ銅座町に→長崎魚市跡地の尾上町に→現在の東長崎の田中町に移っていったそうです。
漬物など食品を商う松本商事さんも、青果市場が八幡町から銅座に移った時に、爺様がドーンと今ある銅座に居を構え、その近くの出島にも倉庫を建てたそうです。多分、出島の倉庫は隠居部屋にとの思いだったからでしょうと。商売繁盛だったそうです。
商い人たちは、青果市場が動くたびに、市場に携わっていた人たちがその周りに住む。又、市場が移っていくと商いの人たちも付いていくんだそうですよ。
海江田さんの回想
海江田病院は、長崎市に移譲した後、大分かどこかの文化財団の方が病院の防空壕を掘り起こして、いろんな資料を持って行ったそうです。その中に病院の建て替え札・昭和6年もあったそうです。手術室のタイルはイタリア製、玄関のタイルはドイツ製とか・・でも、長崎には無いそうです。。残念ですね。
それに当時、玉江橋の一本海よりに出島の岸壁まで伸びる国鉄の線路橋が引いてあって、枕木の下は海がチャポチャポと波うってて、その枕木を渡る悪い子!!がいたそうです。・・それは、私や松本さんの子どもの時の姿で・・ハラハラ、ドキドキがたまらないスリルだったのです。アハハの悪い子だったんですよ。
八坂眼科→朝長病院→市に移譲の移り変わり。それに稲崎材木店の脇の海・川側にゆるい階段があって、川で馬を洗っていた光景が目に焼き付いている。などなど、海江田さんの面白いお話は続きます。。。
昭和の長崎のオランダ商館跡地・出島の風景が見え始め、次回の11月が楽しみです。
ー戦前、戦後に出島にお住まいの方々へー
2011年7月24日「第一回 出島の集い」に長崎の出島オランダ商館跡地の最後の住民だった方々が、8名集まって下さいました。1951年から50年かかって全て公有化完了し、それから10年経ってからでした。
皆さんは、それぞれ個別に公有化に応じられたので、バラバラになってしまって一同に集まるのは久しぶりで懐かしいと・・・それでは、続きの第二回をしましょう!!というお誘いです。
「第二回 出島集い」
日時:2011年 9月4日(日)午前11時~13時
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F 喫茶・レストラン室 095-821-7200
会費:無料
内容:交流会(懐かしい出島の思い出など)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(8月31日迄)
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前回の「第一回 出島の集い」その2 松本商事さんでは、当時の宮田さんの面白いお話が聴けました。住んでいた人の姿が目に浮かぶ様で・・・懐かしいひと時でした。またお会いできるのが楽しみです。
オランダ屋敷のお隣さんは漬物店の松本商事・松本勇治さんの倉庫でした。
参加されたのはお孫さんの松本憲明さんと、 当時の事をよく知っている憲明さんの叔父の宮田さんと一緒にいらっしゃいました。 松本勇治お爺さんの出島話をして下さいました。
「1950年(昭和25年)始まった朝鮮戦争で地金で儲けた西野商店が戦後に傾いたんです。 そこで、農林中金から松本の爺様に話しのあって、吉田染料に100坪。松本に100坪。 買うてくれんか?と。・・多分、爺様は昭和32年ごろ買ったんです。」と話されました。
「それから・・・松本の爺様は、お酒が大好きで、闇酒も作ったんです。出島でも一斗がめに作ってて・・腕が達者だったんで、味噌、漬物、佃煮の製造元で扱っていたんです。」と。
「その酒の美味しゅうて、よく呼ばれて出島で飲んどったんですよ。爺様が亡くなってその酒は床ン下に半分は残ってたけど、ぜ〜んぶ、酢になっとった。 そん酒が美味しくですね!! 」と。
「 あの味は覚えています。飲みながらこの川で鰻バ釣いよったとです。それから、日野さんの爺さんの時にしょっちゅう出かけて飲みに行ってました。」と。
面白い話が出ました。 わぁ!! こんな出島の面白い話や鰻が釣れたなんて!! それに、宮田さんのお孫さんは、前にわらべうたを手伝ってくれた大学生だった。世間は狭い!!
宮田さんは、松本商事から昭和36年に独立。同じ漬物業で刻み唐人菜の「うまかばい」などを作られて今は、息子さんに㈱ミヤタを譲られてるそうです。
また宮田さんにお話して頂きましょう。 次回の9月4日が楽しみです。
長崎の出島オランダ商館跡地、最後の住民だった方々が集まって下さいました。
1951年は私が生まれた年で公有化開始年。2001年に50年かかって全て公有化完了です。
2011年は開始から60年経ち、7月24日に元出島住民の「第一回 出島集い」です。
それぞれ、個別に公有化に応じられたので、バラバラになって一同には久しぶり。 出島の旧長崎内外倶楽部のレストランで8名の方が集まりました。
ぽろぽろ懐かしい出島オランダ商館跡地での生活ぶり、こぼれ話がでて。ランチしながらの交流会を月1回しましょう!!となりました。
この60年で出島復元整備も少しずつ進み、出島公式HPのいろんなイベントも楽しみです。
これから、皆さんの面白い出島こぼれ話と復元話も伝えていきますね。