カ ーラス カズノコ ニシンノコ オシリヲ ネラッテ カッパノコ
あそび
鬼決めでカッパ役を一人決めます。他の子は、手をつなぎ輪つくりをうたい出します。 うたに合わせてカッパは外輪を歩きます。
カッパは、「ネラッテ」で近くの子の肩に左手を添え「カッパノコ」 で右手でおしりを3回たたきます。
たたかれた子は、カッパの家来になって後ろに従って歩きます。 最後に残った子は、全員からおしりをたたかれます。
次のカッパは最後の子が交代していきます。
きろく
このうたは、カラス、数の子、鰊(ニシン)、おしり、河童など面白い言葉が 数珠のように繋がりあっています。
のりのよい語呂でうたは楽しいのですが、あそびの最後におしりをみんなに たたかれるのでこのあそびを嫌う子もいました。
一時期、おしりをきつくたたく子もいたので嫌がっていたんです。
しかし、始める前にこのうたの面白いところは、最後に逃げないでおしりを たたかせるあそびだということ。
必ず、たたいたほうも、交代してたたかれるほうになるので、 たたき方の塩梅(あんばい)をみんなで考えようと話しました。
それからは、いやがらないで楽しくあそびができるようになりました。
今の子はこういうあそびに慣れていなくて残念ですが、きちんとあそび方を 伝えると楽しくあそべると思います。
(参考資料: わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
じごくごくらく えんまさんのまえで このこがいちばん よいむすめ ぎんのふねうかべて あそびましょ
じごくごくらく えんまさんのまえで このこがいちばん わるむすめ ひのやまとんで あそびなさい
じごくごくらく えんまさんのまえで このこがいちばん わるむすめ はりのやまとんで あそびなさい
あそびかた
ふりわけあそびです。
二人の子が向かい両手をつ ないだ中に一人の子が入ります。
中の子はわきを開けて、ゆすられるように体をゆらします。 うたのさいごに支えられた片方の腕から外にふり出されます。
良い娘は優しくふりだされ、悪い娘は乱暴に振り出されます。
きろく
いろんな地方に、ゆすってふりわけるあそびはあります。
このうたは、長崎の五島(岐宿町)に伝わるわらべうたですが、 京都は、類歌で問答が入っているうたであそんでいたようです。
昔は、地獄とか極楽とかはっきりとした善、悪の基準がことばでうたわれ あそばれていたんですね。
”あっかとばい”では2、3歳から振り分ける時に良い子は、親が手車に乗せて やさしくゆらします。
悪い子の時は、子どもの両手を持って飛び続けさせるあそびにしています。
(参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店
うた
いもむし ごろごろ ひょうたん ぽっくりこ2歳ぐらいから大きなボールに腹ばいでのせ、そのうえで引き押ししながらうたう。
4、5歳になると数人でしゃがみ、肩や腰をつかみ一列になり数珠つなぎで
いも虫になってあそぶ。
きろく
ボールにのるのが恐ろしい子はお母さんが手を持ってあげましょう。大きなボールはだっこするようにかかえさせて、それからうでを引いてあげると
スムーズにボールに乗れます。
子どもは、ボールの上で脱力して頭や足をダラリとできるようになると
気持ちがよくなって楽しくてなんどもあそびたがります。
満足するまでたくさんあそんであげましょう。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
オガドンナ ドンナ ヤッパリ コウコウ オガドンナ ドンナ ヤッパリ コウコウ・・・
あそびかた
二人であやとりのひも交差させ引きながらうたう。
きろく
長崎のわらべうたです。
めずらしいわらべうたを長崎歴史文化協会の川崎先生に教えてもらいました。
昔、木挽きの人が大鋸(おが)という鋸(のこぎり)で木を切っていました。 それで、大鋸屑(おがくず)をたくさんで出す人のことを“おがどん”と言って いたそうです。
このあそびは鋸(のこぎり)を使い木の両端から引き合い切っているさまを子どもが見て おもしろかったのでしょう。
それで、ひもをふたりで交差させて引き合うしぐさにしてうたって あそんだのでしょう。
あやとりは「はしご」や「ほうき」などをあそんだものでしたが 二人であやとりをしてひもを引き合うあそびは珍しいと思います。
“あっかとばい”では、あやとりをダイナミックにロープを使って体で引きあう あそびにもしています。 No.62
(2006年2月17日 長崎歴史文化協会にて取材)
うた
町でまんじゅう 買(こ)うて 日見で火もろうて 矢上でやいて古賀でこんがらかして 久山でうち食(く)うた
あそびかた
先頭の子が旗を持ち、数人の子どもたちと手をつなぎうたいながらうねり歩く。
うたい終えたら頭の子はしっぽ(最後尾) にまわり、つぎの子が先導してあそぶ。
きろく
長崎の人々になじみのあるわらべうたです。もともと羽根突きや手まり歌としてあそばれてきました。
歌詞が、それぞれの地名に合わせてうたわれています。
”あっかとばい”では今年2006年も五月四日に、うたにそって旧長崎街道を
探索する「わらべうた親子探検ツアー」を行いました。
「町で・・・」の起点の馬町から、いざ出発。
新大工町のシーボルト通りで饅頭(まんじゅう)を買い、日見峠越え。
峠で饅頭を食べて昔の人の通った足跡を探検しました。
次に、バスを乗り継ぎ矢上、古賀の藤棚、旧本田邸、終点の諫早市久山町の
饅頭店までの行程でした。 帰路は汽車に乗り長崎へ。
今は江戸時代の徒歩からすると、車であっという間のスピードで峠を越さず
トンネルを通過できます。
トンネルなどない時代の峠越えや、関所や旧農家の生活場を探検することで、
子どもたちは昔の人たちの時間と空間を感じることができました。
それに、一日に四軒の店の饅頭の味くらべは、手ごろな値段で買える饅頭の
おいしさ多様さに感動した面白いツアーでした。
長崎はほかの地より饅頭店がたくさんあります。
これは、日本で初めてオランダ船によって砂糖がもたらされた土地柄だったからでしょう。
カステラなどのお菓子の文化が開いた長崎の町ならではのうたではないでしょうか。
(2005年6月11日長崎新聞 掲載)
うた
かれっこ やいて とっくらきゃして やいて しょうゆつけて たべたら うまかろ
あそび
しぐさあそびです。
「かれっこやいて」で両手をかざし、魚を焼くしぐさをしながら4回上下します。 「とっくらきゃして やいて」で手をひっくり返し4回上下して「醤油つけて」で片手のひらを人差し指で4回うち、「食べたら うまかろ」でほほを両手でなでます。
きろく
わらべうたのなかでも定番のあそびです。
しぐさと節がシンプルなのであかちゃんをひざに抱っこして手をそえてうたえます。すると、あかちゃんはだんだんまねっこをし始めます。かれっこ(魚のこと)だけでなく、せんべや餅、ホットケーキなどと替えうたもしていきます。
他に”あっとばい”では、2歳位から順番が待てるようになったら、ひも付き棒を使い 目あき魚のぬいぐるみでメザシをつくります。 たくさんのメザシをみんなで焼いて食べるあそびもします。
(参考資料 わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
つん つん つがれ やまん たの いしの ごと つんと つがれ一人で棒を突きながら歩き、うたい終えたら棒を後続のわたしていく。
終えたら列のしっぽについて歩くあそび。
きろく
長崎の外海、出津のわらべうたです。石を二つに割って、つばをつけて両方をたたき、つぎ合わせて相手の石と
突き当てて落としあう時にうたうとあります。
石であそんだ時ですから、男の子が好きな外あそびだったのでしょう。
”あっかとばい”では、室内ですので 2、3歳から重めの太い棒を突きながら歩きます。
初めは、おかあさんに手をつないでもらわないと歩けなかった子どもが、
だんだんにひとりで棒を持って歩くのが好きになっていきます。
このうたや棒がりっぱなおもちゃの役を担っています。
(参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)
うた
ななくさ なずな とうどの とりが わたらぬ さきにおままごとあそびの中でします。
包丁で七草を切るようにしぐさをしながらうたいます。
きろく
毎年、一月七日に長崎の諏訪神社ではこのうたをうたいながら七草を刻んでいます。朝から七草粥のふるまいが行われ一年の無病息災を祈ります。
”あっかとばい”ではこの時期もですが、ままごとあそびにかかせないうたとして
年中あそんでいます。
ままごとあそびで重箱にいろんな料理をつくってお客さんうをもてなします。
お客さんごっこは、お互いのあいさつなどもあって、もてなしの気配りなど
大人たちの話し方や姿に変身するので子どもは面白いらしく好きです。
社会性のあるあそびですね。
うた
ゆきや こーろ あられや こーろ てんじくばしの はしのしちゃ からすが さんびき とまった なんひゃあて とまった せきだひゃあて とまった せきだ すみになって すみやこーろこーろ
あそび
カラスになって翼をひろげうたい、 飛んで場所をかえて行くあそびにします。
きろく
佐賀のわらべうたです。
冬の雪のふるころのうたで白一色の雪景色は佐賀も長崎もめずらしいことです。 その雪景色にカラスの黒はくっきりだったでしょうか。
天竺橋というのはちょうど牽牛と織り姫を一年に一度渡す『かささぎの橋』の たとえのように高貴な所、空のかなたにかかる夢の橋を 意味していたかもしれないそうです。
”あっかとばい”ではカラスを嫌うばかりでなく賢い鳥として あそびにしています。
(参考資料: 佐賀のわらべうた 音楽の友社)
うた
きんきんやんぼ やどかすな めしゃさんばいも うちくうて れいもいわずに はっていった
あそびかた
みかんの皮をむき、内皮もむいて指の先に帽子状にかぶせて その指を、動かしながらうたって食べる
きろく
長崎のわらべうたを長崎歴史文化協会の川崎先生に教えてもらいました。
冬に炬燵を囲んでみかんを食べる時、うたってあそんでいたそうです。はっていった(去って行った 長崎弁)
みかんの皮は昔は厚かったので内皮もむいて食べていたそうです。 今のは、品種改良が進んで甘く内皮も薄く食べやすくなってきて、 食べ方も変わってきたと教えていただきました。
みかん帽子を指にかぶせるのはおもしろいですね。 昔は、素朴なみかんでもあそびうたにしていたんですね。
(2005年11月21日長崎歴史文化協会にて取材)
うた
ぎっこ ばっこ ひけば となりの ばんばこ かけた わんこ もってきておっぶり かっぷり みなのんだ
座って子どもをひざの上にのせ、手を取ります。うたに合せて舟をこぐまねを
しながら最後の「みなのんだ」の「だ」で子どもを股の下に落とします。
きろく
ずいぶん古いうたのようです。外海の「ギッコン、バッタン」No.21 のはたおりのうたと同じです。
ことばが面白いので、あかちゃんのころからしてあげたいあそび一つです。
あかちゃんには、最後の落ちのしぐさはやさしくしてあげましょう。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
十五夜の お月さんな まつのかげ まつから さされて ささのかげ
ささよーい あずきささ めささ とったが りっかん しょ
数人の子どもが輪を作り、一人鬼をきめます。
鬼はわの中央で目をつむってしゃがみ、そのまわりを輪になった子ども達が うたいながら回ります。
「ささよーい」で輪の子どもはしゃがみ、交代に鬼が「あずきささ」から 目の前の子を手さぐりで探し名前をあてます。
きろく
本来、佐賀の鹿島市で上記のようにあそばれていたそうです。
”あっかとばい”では鬼が名前を当てるのではなく頭をなでていきます。 最後のことば「しょ」に当たった子どもが次の鬼です。これですと、2歳ぐらいがら楽しくあそべます。
小さい子は、鬼役で頭をなでていくのも、なでてもらうのもどちらも好きなようです。 これは大人に頭や「いい子だね」となでられ、いってもらえるのがうれしい からからでしょうか。
ゆっくりしたテンポであそびましょう。
つい、百年位前は、このうたにある情景のように電気も無かった時代です。 きっと昔の子ども達や大人は、今より十五夜の月などの自然の移り変わり肌で 感じていたことでしょう。
(参考資料:佐賀のわらべうた 音楽之友社)
うた
せんぶは 四枚の はねもっとる あしゃ 六本 とべとべ
あそびかた
竹とんぼを遠くに飛ばす
子どものお腹に大人の両足をあて、子どものからだをピンとさせる→高くあげ、足乗り飛行機のように上下させる
きろく
せんぶとはトンボの方言で、長崎の加津佐町では「せんぶ」、長崎市では「へんぶ」と 言われていたそうです。 「あしゃ」とは足のことです。
夏の終わりに、たくさん飛んでいるトンボを追いかけたりとったりした時の あそびうたでしょう。
近ごろは、子どもも忙しくなってきて外に出て野原や、夕方のあかねの雲 を見ながらトンボを追う姿が見られなくなりました。
子どものころ、ボ〜ッと雲の動いていくのや赤く染まる夕暮れ見たり 虫を観たり、触ったりしている時間を大切にしてあげましょう。
(参考資料: 佐賀 長崎のわらべ歌 柳原書店)
うた
なか なか ホイ そと そと ホイ なか そと そと なか なか なか ホイ
あそびかた
5、6歳になってジャンプができるようになったらゴム跳びあそびにします。
きろく
”あっかとばい”では、跳び方をあらかじめ決めています。
「なか なか ホイ」は全部ゴムの中で3回跳び「そと そと ホイ」は外で3回
「なか そと そと なか」それぞれことば通りで最後の「なか なか ホイ」 最初と同じように中で3回跳びます。
初めての子どもは中を跳んでいて「ホイ」のところでついつい外へと跳びがちです。
「なか そと そと なか」のことばの面白さとリズム感を合わせるように この跳び方であそんでいます。
次は、だんだんゴムを高くしてジャンプ力をつけたり、数人の子どもたちが息を合わせて みんなで跳んだりしてあそんでいます。
(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)
うた
1・ともさん ともさん花つみゆこや お手てつないで かご下げて
2・つんだ花々 小束になして 御母(みはは)マリアにささげましょう
3・花は我(われ)らの お手本様よ 人の心のいましめよ
4・ユリは潔白 ボタンは愛よ 派手な桜は信徳よ
5・憎しうらめし 山おろし風 咲ける桜を吹き散らす
6・咲ける花さん いくらもあれど 実る花さんいくらです
7・友よ我らも この世の花よ 徳のみのりに うまれきた
8・いかに嵐の 吹きすさぶとも 心引きしめ 気を強め
9・神の御園(みその)に 楽しむまでは しゃばの嵐に 散るまいぞ
あかちゃんをひざの上に乗せ 手を振ってあげながらうたってあげる。
また、子どもたちで輪になり 手をつなぎ、右回りや輪を縮めたり広げたり 手をかざして踊る。
きろく
長崎新聞連載の最終回となりました。
外海のド・ロ神父記念館のシスター橋口さんに教えてもらった、人の生きていく道しるべを 示すわらべうたです。
外海ではあかちゃんをひざの上に乗せ、手を振ってあげながらうたってあげていたそうです。
長崎は仏教やキリスト教が、その時代の権力に翻弄(ほんろう)され迫害された歴史があります。 その中にあって、他県にないカトリックの教えを、わらべうたの節でうたっています。
歌詞が外海の美しい風景、マリア像のある教会の風土にふさわしく、この世が徳(善の世)であること。 その徳の実りに生まれてきた私たち花は、つらいことにめげず、それぞれ心引きしめ しっかり生きましょう、と。
わらべうたは古く、もうなくなってしまったと思われる方が多いかと思います。 つい二十年くらい前まで子どもたちは、その地の風土、生活、社会状況を映しながら わらべうたやあそびをしていました。
しかし、最近は通りで友達とあそぶより一人ゲームの時代です。 心配なのは子どもの成長に、人とつながるという経験が少なくなること。
わらべうたは人とつながることでしかあそべない貴重な子どもの文化だと思います。 長崎のわらべうた、昔の人の知恵の詰まったうたを、これからも伝え続けていきたいと思います。
(長崎新聞 2005年9月掲載 2004年10月16日 ド・ロ神父記念館にて取材)