長崎市の茂木から20分車を走らせると、千々町の海岸沿いに両親の海の家あります。
千々町に入ると細い集落の道を通って岸壁まで進みます。岸壁を右折して海岸沿いに車を走らせると、海辺に白い家がポッカリ。あぁ、やっと千々の家に着いたな!!とホッとしていました。
海の田舎家は、海べりなので子どもたちが小さい時は、泳いだり、潜ったり、砂遊びのプライベートビーチです。畑には枇杷も栽培していたので、芽かきや袋掛け、収穫の手伝い、箱詰めして知り合いに送っていましたよ。
私は、ベーコンやチーズの燻製をたくさん作ったり、夏やクリスマスには人を招いてバーベキューパーティーしたり。でも、母が年老いて管理できなくなって・・・今日は姉弟が集まって断捨離をしてきました。

最近は、妹夫婦が気がけて草刈りや片付けをしてくれてたのですが、手に余るほど自然はタクマシイのです。雑草は伸び放題、びわの木の手入れや収穫も今年で・・もうソロソロ卒業です。
数年前までは、わらべうたの子どもたちと海水雑炊をつくって食べたり、磯遊びもしたなぁ・・年月が経ち、万物は衰退するんだね!!・・とチョッピリ悲しいです。
先日、長崎西高放送部のMちゃんたちからわらべうたの取材を受けました。でも、リトム音楽教室でのインタビュー音声に工事中の雑音が・・ということでの再取材。長崎市竹の久保町の西高へ出かけました。
前回は、逆インタビューや今の高校生の素顔を見せてもらって楽しかったのです。今回は私が高校へ、玄関に二人の部員が出迎えに待っててくれました。西高に入るのは初めて、わくわくですよ。

2011年8月26日〜28日の「西高祭」大イベント後で、校内はこざっぱりと明るい開かれた雰囲気です。今や西高は、県下一二を争う進学校、土曜日でもたくさんの在校生がいて教室では模試中のところも。放送部のMちゃんも大村に勉強合宿中とかで不在でした。
視聴覚室で1年生を遠巻きにしながら、2年生や顧問の先生のインタビューは2時間弱。まだ、放送部でどういうラジオ番組に?の手探りの段階から・・・わらべうたについて360度、質問を交わして・・外海の隠れキリシタンの風土が生んだ「ともさん ともさん」を編集しようと道筋が立ちましたよ。

最後に、放送部の皆さんのニコニコ顔をパチリ。お土産にもらった「西高祭」のパンフでは、放送部の「思いを伝える〜全国大会出場作品〜」で、日本一に輝いた坂井希葉さんのアナウンス、TVドキュメント「三十年目の決勝戦」など。。文化部もスゴイんですね。
「西高祭」がんばってる!! 1、2年生の各クラスは、「金・銀の柏賞」を狙い。3年生の食べ物バザーや有志バンドも7つ、ダンスや中庭揮毫(きごう)など・・・なかなか面白そう。 来年は行ってみよう!!
夏の暑い盛りに食べる楽しみは冷菓です。我が家には、50年前にアンティックかき氷機がありました。
角氷を滑らないように爪を噛ませてセットし、手回しをグルグルまわしてかき氷を作っていました。シャカシャカと削られる白い氷を、左手に持ったガラス器で受け取ります。くねくねと手首をまわし器に山盛りに、とちゅうで形を整えながら・・てんこ盛りすぎるとボタリ・・。
毒々しい緑のメロン味とか赤のイチゴ味に練乳をかけて食べたものでした。家のあのかき氷機はどこにいったのでしょうか・・わかりません。 youtubeに同じようなかき氷機がありましたよ。
かき氷も懐かしいですが、今は、アイスクリームかジェラートです。アリタのインサラーダ エゾーティカのジェラートを食べてみました。
サラダエキゾチックって、ライチ・パッション・マンゴー・グレープフルーツ・パイナップルが入っている!! 美味しそうです。私は、そそっかしいから、ポタリ!と落とすのではないかとカップにばかりしていたのですが・・コーンにしてみました。

サラダエキゾチックは、たくさんの味がミックスされてて・・・ワカラン?味でしたよ。でも、コーンは、パリパリとしていて美味しかったです。
去年もアリタのジェラートをよく食べました。今年は残暑がきびしいから9月、10月中はまだまだ、ジェラート期間中ですね。
なにげなくyoutubeを見ていたら、ビックリ!! な声とプロモでした。今年、23歳になった英国生まれのシンガーソングライター、アデルです。
プロモは、セカンドアルバム”21″中の曲「ローリング・イン・ザ・ディープ」でした。2011年にリリース、全世界トータルセールスが2011年9月時点で1000万枚を突破しているそうです。
なんて魔魅力的な声!! 野太くのびやかな声にノックアウトです。プロモのモノトーン映像もスバラシイ!!部屋一面、ビッシリのコップの水がビートの振動でゆれる・・白粉まみれに踊るダンサー(サムライに見えた!!)・・ボードに投げられ粉々に散る白器の山・・都会の高層ビルが火の粉をかぶり燃えあがる・・・
これは、買いたい!! タワーレコードに行って輸入版を買ってきました。本当に、CDを買って聴こうと思うことが少なくなっていましたが、即行!!でしたよ。

娘に聴かせたら「70年代のビートがあるから好きになるのかも・・時代って戻ってくるのね。」って、ぽそり一言。ポイントを突いていますね。 ADELEにハマリそうです。!!
8月は「長崎学」は夏休みでしたので、9月に入って長崎歴史文化協会の講座に行ってきました。それから、越中先生に、先日の出島の集いで海江田さんがチラリと話された事をお聴きしたかったのです。
海江田さんも宮田修二さんも出島の集い参加される方で、今日の講座は、宮田さんの「吉村昭と長崎・戦艦武蔵」でした。 とても面白くて、吉村昭「戦艦武蔵ノート」を読みたくなりましたよ。

さて、海江田さんのお話です。
数年前に、ある北海道にお住まいの方から、海江田さんが出島にまつわるNHK番組に出演されたTVを見て、問い合わせの電話がきたそうです。北海道の方は、実は、ご先祖が長崎出身で出島の最後のオランダカピタン?或いは領事?だった。というご一族のエピソードでした。
私は、果たして北海道の方のご先祖様はどなた?・・・ここが謎だったのです。そのカピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウスなのか?はたまた、領事だったのか?が知りたいと思ったのでした。
出島の最後カピタンは、ヤン・ドンケル・クルティウス。嘉永5年(1852年)にカピタン就任し、安政5年(1858年)に出島のオランダ商館は閉鎖され、1860年に離日しています。
越中先生に明治期の文献を見せて頂いたのですが、明治に入って長崎在住のカピタンの名前がなかったのですよ。明治期には長崎にはカピタンは居ず、もしかすると長崎で領事を兼務する商人だった?かも・・と。
幕末の嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応・明治期の動乱は興味があるところです。これからの海江田さんや宮田さんのお話も興味津々。また、詳しくお聴きしましょう!! この時期は・・謎が多いですね。
越中先生、海江田さん、宮田さん、面白いお話を聴かせて頂いて、有難うございます。
最近、トイザラスにはめったに行かないのですが、自分の為に英語のパズル探しに行ってみました。
私が英語の単語を覚える為には・・二段、三段構えでしないとダメそう!!と思ったのです。母や子どもからバカにされていますが、1)パズル式で 2)書いて 3)声に出して 4)耳で・・思いつくままやってみよう!!と。

よく、コマーシャルで”聞き流すだけでの英会話”ってありますが、あれは私には向いていないと思います。私の聴くモードは、昔からONにならない時は、何でも雑音レベルですもの。記憶のかけらもないほど・・サ〜ッと右から左に抜けていきます。
トイザラスは久しぶりに行ったら・・おもちゃの数と種類の多さに圧倒されましたよ。

昔からトイザラスには、ベビーフードとか紙オムツってあったんでしょうか? 若いお父さんがレジで、びっくりするほど、紙オムツのビック袋を両手に下げてましたよ。そのビッグ量は何日分でしょうかね。
紙オムツが高くて・・布オムツをバケツで消毒しておいて洗っていた時代と違いますね。梅雨時は部屋内でオムツが乾かずアイロンを当てた時もあったなぁ。。
あの大震災から6ヶ月がたちました。忘れないようにと思います。
これからも、大きな地震がいつ来るか知れないのですから・・・日ごろから、明日という日は来ないかもしれない!!と、自分だけは別なんてオコガマシイ考えを捨てるようにと思います。 なかなかですが。。

9月11日は、朝からワークショップ、午後からは母のところに行っていて、母と14:46分に黙祷されてるTV中継といっしょに黙祷したのですが・・・現地の方々の苦渋生活と平穏に長崎に暮らす私たち。。
母と一緒に英語の単語のことや、たわい無い話がワラワラとできるって、ありがたいです。
9月7日に長崎ブリックホール国際会議場であった長崎伝習所主催・福地茂雄氏プロデュースの第一回「自分新化講座」に行ってきました。
私は、ゼンゼン知らなかったけど・・福地氏は、北九州出身で長崎経済大学卒業され、アサヒビール入社〜1999年に同社社長から、NHK会長など2011年4月からは新国立劇場理事長と錚々たる経歴の方でした。
初回はご本人の講演で、これから各方面の方が来崎されて月1回全6回の講座が始まります。

NHK編 (いろんなお話をされた中の一つです。)
1)NHK放送センターが震災のような災害時対応の非常発電機は、東京都渋谷区の本社センターに6つ用意されている。高台なので津波の心配はありませんが、5つは1階に設置、1つは屋上だそうです。
2)中継車の1台は常時外に置いておく。地震で他の中継車が潰れても1台は安全確保の為。
3)東京のNHKセンターが万が一全アウトになったら、数十秒で大阪→福岡へバトンタッチのシュミレーションが出来ている。
他に、コールセンターの重要性と日清食品のチキンラーメン、もちろんアサヒビールの黒生ビールやアサヒスーパードライ、発泡酒の話。各新聞の世論調査のズレはどうして?話。冷酒の適温の雪冷え、花冷え、涼冷え話など・・面白いお話の2時間でしたよ。
最後に福地氏は、毎朝5時から1時間ウォーキングをして、毎日スーパードライを飲んでるそうです。そりゃ、そうですよね!!アサヒホールディングの相談役をしてらっしゃるもの。
*チケットは、前売り券=4,000円(全6回通し)、当日券=各回1,000円(学生500円)。
販売は、長崎市役所本館地下売店、長崎伝習所事務局(市民活動センターランタナ内)、長崎ブリックホール、浜屋プレイガイド、くさの書店で販売。
お問い合わせは、伝習所事務局の長崎市市民協働推進室 電話095-829-1125。
アメリカで急上昇中のHulu(フールー・動画配信サービス)が日本で開始になりました。
オンライン配信だからネット環境がそろってないと見れないのですが、アメリカで人気のシリーズのTVドラマ「24」「ゴシップガール」や、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」「アルマゲドン」が月1480円で好きな時間に見れるようになりました。
早速、Huluの無料のお試しを見てみたんです。「クーガータウン」「アグリー・ベティ」「メンタリスト」の3本をたて続けに見て、あぁ、疲れちまった!! 普通は面白くても続けて3本もDVDは見ないのに!!

レンタルショップに行く手間、返す手間が無くなるので、Hulu出現でDVDレンタル会社は大変になるでしょう。 私が見たいなぁと思うのは「NUMBERS 天才数学者の事件ファイル」シリーズですが、あらら、これは配信がないんです。
いろんなガジェット(電子機器)PC、TV、iPhone、iPad、 iPod touch、Android(アンドロイド)スマートフォンで見れるのは良いですが、同時に複数のガジェットでは見れないのです。月々 1480 円と定額制。キャンペーンで最初の1ヶ月は無料ですよ。
見はまると困るのは・・睡眠不足ですね。
今回の出島の集いは、四人の皆さんの回想から・・・昭和初期の長崎の市場や出島商館跡地に暮らした人のリアルな姿が浮かび上がってきました。
集いは、筋を決めて進める会議などではないので、歴史的な資料にはならないでしょうが、当時の出島の生活・風景・繋がりをホンワカと懐かしむ場になりました。

宮田さん・松本さんの回想
現在の長崎市中央卸売市場までの歴史は、長崎に青果市場が八幡町にできて→十八銀行本店の道路はさんだ銅座町に→長崎魚市跡地の尾上町に→現在の東長崎の田中町に移っていったそうです。
漬物など食品を商う松本商事さんも、青果市場が八幡町から銅座に移った時に、爺様がドーンと今ある銅座に居を構え、その近くの出島にも倉庫を建てたそうです。多分、出島の倉庫は隠居部屋にとの思いだったからでしょうと。商売繁盛だったそうです。
商い人たちは、青果市場が動くたびに、市場に携わっていた人たちがその周りに住む。又、市場が移っていくと商いの人たちも付いていくんだそうですよ。

海江田さんの回想
海江田病院は、長崎市に移譲した後、大分かどこかの文化財団の方が病院の防空壕を掘り起こして、いろんな資料を持って行ったそうです。その中に病院の建て替え札・昭和6年もあったそうです。手術室のタイルはイタリア製、玄関のタイルはドイツ製とか・・でも、長崎には無いそうです。。残念ですね。
それに当時、玉江橋の一本海よりに出島の岸壁まで伸びる国鉄の線路橋が引いてあって、枕木の下は海がチャポチャポと波うってて、その枕木を渡る悪い子!!がいたそうです。・・それは、私や松本さんの子どもの時の姿で・・ハラハラ、ドキドキがたまらないスリルだったのです。アハハの悪い子だったんですよ。
八坂眼科→朝長病院→市に移譲の移り変わり。それに稲崎材木店の脇の海・川側にゆるい階段があって、川で馬を洗っていた光景が目に焼き付いている。などなど、海江田さんの面白いお話は続きます。。。
昭和の長崎のオランダ商館跡地・出島の風景が見え始め、次回の11月が楽しみです。
いつまで続くか分からないけど、還暦を機に髪を染めるのを止めよう!!と思い立ち、7月の誕生日にベリーショートにカットしてもらいに行ってきました。
カットは、浜の町の美容院の「VERVE」さんです。ここのオーナーの吉本さんは、息子が帰崎したら、釣りに連れていってもらう方です。 私のゴワゴワ髪を今度も素敵にカットしてもらってウレシイです。

私は、外見は派手な服、行動はおっちょこちょいだけど前向きで、60歳には見えないですよ。・・・お世辞にいわれることを嬉しがってばかりでは、イケマセン!!
やっぱり、老年は避けられないものだ!!と気負っている最中で・・イマシメてる自分があります。でも、VERVEで見た家庭画報の桐島洋子さんのふわりとして上品なブラウンの髪に心がグラグラ・・。
でもでも、凄腕カットの吉本さんに頼みをつないで髪はごま白。服はカラフルに。心はゆかいに。行きましょう!!
VERVE
[weekday] 10:30~20:00(cut)10:30~19:00(perm or color)
[sun・holiday] 10:00~19:00(cut) 10:00~18:00(perm・color)
[close] 月曜日・第三火曜日
〒850-0853 長崎市浜町2-18ファサネイト浜町2F Tel 095-822-2708
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長崎の洋菓子店・アリタでは、夏の楽しみジェラートが定番ですが、今夏はケーキもたくさん食べました。
誕生日にホールのケーキ、ロールケーキの他に美味しかったのは、カシスのデザート・メレンゲ包みです。最初に食べた時は、保冷が切れぎみでダラリとして・・でも、口の中でホンワリ〜・・溶けても美味しかったんです。

二度目は、溶けない内にサッサカ食べるぞ!!と思いましたが、娘に「断面の写真を撮らなくていいの?」と言われて・・そう、そう、待て!!・・です。
タルトの上にカスタードクリームを包んだムース。そのムースを又、カシスが入った白いふわふわのメレンゲで包んでいるんです。メレンゲはツンツン形です。

おかげで中身がくっきり解って食べると味覚もクリアになって・・フムフム、美味しさが倍増しました。 ヤッパリ、見て、解って、洗脳してから味わうって良かとですよ!!
ARITA 浦上店
長崎市目覚町5-23 TEL.095-860-0008 AM10:00~PM9:00 年中無休
http://www.patisserie-arita.jp/shopguide/ (長崎に6店舗あります。)
五島へ・・わらべうたの講演で行ってみたい!!の願いが10月に実現します。
以前、長崎市香焼図書館でわらべうたをした時のご縁で、Sさんから依頼の電話があったのです。Sさんは、数年前に香焼図書館を辞めて五島市へ移住されてたそうでした。
私には一度も行ったことのない五島は、近くて遠い島でしたが、Sさんは、五島へ惚れ込んでの移住だったそうで、それを聞くと期待がふくらみます。早速、長崎駅で五島の立派なパンフレットをもらってきました。

パッフレットには、福江・富江町・玉之浦町・三井楽町・岐宿町・奈留町の歴史、 施設、民芸、自然が網羅してあります。教会マップ、椿マップ、ダイビングポイントマップ。 あらら、、釣りポイントマップも載っています。
パンフの郷土料理を見ては、ぜ〜んぶ美味しそう!! 壱岐島ではウニ丼をねらって行ったなぁと思い出します。 船に乗って渡る島ってなんだか気分がワクワクするんです。

最近、家族あげて五島に帰った息子の友だち・・ともチャンは草草社という会社を立ち上げたそうです。行くにあったては、強い味方ができました。
五島へ。。楽しみ、楽しみ!!
昨日、長崎県諫早のみさかえの園で・・サプライズ!!でした。
私は、園のむつみの家で音楽療法のわらべうたを始めて20年経ちます。月2回の非常勤でなので、常勤の皆さんが私を忘れた頃にひょっこり再登場という存在です。でも、わらべうたという特殊性と目立つ存在なのか・・・わらべうたの山田と名前は知られているかも知れません。
その、みさかえの園は定年が60歳です。でも、非常勤なので今年60歳の私ですが毎年更新でお世話になっています。まあ、蚊帳の外の立場なのですが。。ナント!! 皆さんからサプライズ還暦祝いにびっくり。

企画して下さったMさんと皆さん、有難うございました。帽子、メガネ、ローソク、ケーキ、CD・・・ナイス!! ごくごくプライベートな事なのですが、サプライズ!!って本当にウレシイですね。
それから、園内の通園事業にいらっしゃるUさんが、鹿児島の研修会でわらべうたを紹介して下さるそうです。私に、どのようにわらべうたを紹介したら良いか?と質問されたのですが、わらべうたの魅力を話し始めると・・アララ、止まりません。「先生・・手短に。。」と横からアドバイスされる有様ですよ。
Uさんは、長崎のわらべうたの”でんでらりゅうば”を手あそびと一緒にうったて発表されるそうです。ウレシイな・・頑張って下さいね!!
朝にミーン、ミーンと賑やかにセミが鳴き始めると今日も暑くなるぞ!! でも・・もう、8月31日、夏の終わりです。セミの死んだ殻を拾ってきました。
セミはがんばって成虫になって、地上で鳴いているのは1ヶ月位の間だけです。卵→幼虫(この間は地下生活、3~17年)→成虫(約1ヶ月)。 後は、死んで・・この世から離脱するんです。

ちょっと・・ピントが合ってませんが、7月の末日、夜に羽化しようと木にのぼっている映像です。やはり、夕方のタイミングで夜をめざしてノソノソと這い上がる健気な姿に感動でした。
羽化
晴れた日の夕方、目の黒い終齢幼虫は羽化をおこなうべく地上に出てきて周囲の樹などに登ってゆく。羽化のときは無防備で、この時にスズメバチやアリなどに襲われる個体もいるため、周囲が明るいうちは羽化を始めない。このため、室内でセミの羽化を観察する場合は電気を消して暗くする必要がある。夕方地上に現れて日没後に羽化を始めるのは、夜の間に羽を伸ばし、敵の現れる朝までには飛翔できる状態にするためである。木の幹や葉の上に爪を立てたあと、背が割れて白い成虫が顔を出す。成虫はまず上体が殻から出て、足を全部抜き出し多くは腹で逆さ吊り状態にまでなる。その後、足が固まると体を起こして腹部を抜き出し、足でぶら下がって翅を伸ばす。
(ウィキペディアよりーセミの羽化してる動画みれますよ。)
2011年の夏も終わり。夏の間、元気に鳴いてくれてありがとう!! おつかれさまでしたね。