諫早の立川久子さんに頂いた本はすばらしいです。
イラストもあり、見ても読んでもホ〜!とうなずいてしまう。
配列が、人々の生活との関わりの深い方言なので民俗調査の項目を参考にされています。
魚のページをぱらぱらと開けると
アラカブ=かさご [荒々しく餌に食らいつく(かぶりつく)習性から]
イオ・イヲ=魚の総称 日葡辞典→イヲ=魚
ウミフーズキ=うみほおづき *大村湾側、有明海側に、テングニシが多く生息している。テングニシの卵殻がほおづきとして利用されてきた。
カナヤマ・マンビキ=しいら [釣り針に掛かったしいらは万力(まんりき)のような強い力でひくことから]
むかし、ウミフーズキを口びるではさみ、噛んではぶーぶー鳴らし遊んでいました。
テングニシの卵殻とわかって、「へ〜、そうだったんだ!!」と。
長崎の築町市場にいくと魚屋でよく見かけたんです。今は、もうそんな光景はみられないなぁ。
ウミフーズキがよく鳴るような穴を開けるのが肝心だった。
諫早ことば大好き、諫早の唄だいすきな立川久子さんをお訪ねしました。
立川さんは、2008年3月のNHKコンサートでご一緒した方です。
コンサートでは、ハツラツとうたわれ、諫早方言の会で活躍されていました。
2008年6月28日・立川邸にて
5年前に伺った折、立川さんには幼い時からの謎のうたがありました。
それは、一番から十番の数え歌で、後半がわからない?と。
その時、私がうたった「ひとつひよこが」に「それそれ!!」といわれました。
謎が氷解して喜ばれ、「諫早地方方言集」の本もいただきました。
今回、5年ぶりに「ちんがらがったん」をうたって下さったんです。
諫早のわらべうたがまた1つふえました。
ひさしぶり伺ってよかった!!
長崎の出島オランダ商館跡地の、内外倶楽部での交流会です。
参加は、出島の最後の住民だった方々、一般で興味のある方をお誘いします。
テーマは、「長崎手帖」と出島をめぐってです。会費は無料。
どうぞ、気軽にお誘いあわせご参加下さい。
第十四回「出島集い」
日時:2013年 6月30日(日)11:00~13:00
場所:長崎県長崎市出島町6 出島内外倶楽部 1F
喫茶・レストラン室
会費:無料
内容:交流会(長崎手帖にそって・昭和30年ごろ)
連絡先:携帯 090−9797−3709 山田ゆかり
e-mail : warabeutaアットgmail.com 要連絡(6月27日迄)
出島は、1951年から50年で全て公有化完了しました。
元、出島に住んでいた方々は50代から80代になられました。
昭和30年ころの懐かしい長崎のようすを皆さんと探りましょう。
第十三回のようすはここです。
大きな地図で見る
ながさき紫陽花まつり中の5月26日に、長崎出島の内外クラブで集まりました。
Yさんが「長崎手帖」の?宿題を調べて来てくださった!!
1)浜市アケードはいつ建てられた?
昭和32年に初めて→昭和52年に9000万円かけてリニューアル。
会長は、田中直一さん(タナカヤ)だった。
2)松山町(元、駒場町)の運動場 元は、競輪場だった。
朝帰りの魚市の人たちで賑わっていたそうです。
3)小川町の読み方→コガワ町です。
定番の「長崎手帖」No.7の途中から始まりました。
順は、カステラ茶話〜鉄砲ん玉〜長崎のあれこれ、その7〜新田次郎のことなど〜夜明けの丘まで。
Yさんの京都のお土産をいただいて、第十二回は終わりました。
6月は、30日(日)の予定です。
興味のある方は、参加されてみませんか?詳しくはここです。
買うのを迷っていたらキンドルをかしてもらうことに。
思っていたより小さくて軽いのでびっくりです。
まだ、使い方は未開発ながら一言。読みやすい。
PCでの目の疲れがないことは、老眼にはうれしいですよ。
夜、寝る前に部屋のライトなしで読めるし、考慮中です。
詳しいことは、amazonでどうぞ。
第十一回は、2013年初めての2月10日でした。
長崎の出島内にある内外倶楽部で4名が参加です。
月1回、つたない私の音読で長崎手帖を少しづつすすみます。
昭和30年代の長崎の庶民の生活が、写真もあって面白い小冊子集なのです。
写真を見てみなさんから?がでました。
1)浜の町でのアケードはいつできたんだろうか?
2)鈴蘭燈は銅座にあったのだろうか?
それから、本の卓袱(しっぽく)料理 のおひれにまつわる話や、昔の漢字が読めないのをアレコレ調べたりもします。
気張らず、よもやま話が広がって語らうのが楽しい。ほのぼのとしていますよ。
どうぞ、興味のある方は参加されて下さい。
次回は3月10日予定です。
英語勉強中ですが、薬袋善郎さんの本にどん詰まりです。
もっと易しい本を無料のAmazonプライムで注文しました。
それが、長崎まで1日(20時間)で届いた。 飛行機並!!
ワァオ〜、前日の15:00に注文して、翌日の昼前には手元に。
しかしながら、無料プライム1ヶ月を過ぎたら、自動的に3900円(税込)の年会費がクレジットから落ちますよ。
前回、忘れてミスした経験あり。クレジットから落ちて気づいたんです。
今回は、ギリセーフでしたよ。
生活の中に英語の勉強を組み込むのはむずかいしい。
フィリピンから帰国してNHK基礎英語2、3を続けていたのに、7ヶ月すぎてつまずいたんです。
ムネン、ザンネン!!
いいわけです。息子が帰省したのが挫折の引き金でした。でも、人のせいにしてはイケマセン。
英語がneedなうちは挫折するよ、と妹からいわれました。
それを、likeにする。loveに持っていかなきゃと。道のりは遠〜いです。
誰に頼まれたのでもなく、TOEICテストを受けるのでもありません。
海外旅行したり、TEDを聴いたり、英語のサイトを読み解りたい!!
イケナイ、イケナイと再開にむけてTOEIC 810点の姪っ子をつかまえて、英語のお正月特訓を5回してもらいました。
フィリピン留学のテキストが役立った!! ちょっぴりlikeになったかも。
写真の本をお正月に読みなおしています。
内容の濃い「写真のエッセンス」です。
まだまだ、数撃ちゃ当たる式で撮ってしまうバカ者ですが。
キャンバス布に差し込むひかりは、いっときで無くなる。
一日のはじまりをひかりが、暖かく祝ってくれているように感じます。
ちょっとづつ、ひかりを意識しながら。
水木しげるさんが結婚する前の頃を描いたマンガ本です。
昭和26年から昭和35年までの家計簿がもとになっています。
本では「ゲゲゲの女房」より前から一家の大黒柱で、お金にキューキューしていたんですね。昭和30年前後の紙芝居、TV、洗濯機、冷蔵庫がなつかしい。
よく知らなかったけれど、水木しげるさんは鳥取県境港市の出身だったんです。
その境港に国立の坂野知恵さんが10月中、面白いイベント「暮らしとアートとコノサキ計画」で滞在中。
わらべうたのアーティストとして招待されていて、楽しそうな坂野さんたちの活動でこの街がステキなことが刻々とわかってきました。
坂野さんを通じて、マンガ本や境港市が近くに感じれます。
境港は、海に幸山の幸も豊かでステキなところですね!!
1945年8月9日は、ソ連が旧満州に侵攻した日です。
その日、家族と離ればなれになってしまった少年。日本人の父とロシア人の母を持ちコサック少年として育った波瀾万丈がはじまります。
北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独りで歩き続けた10歳の少年。
コサックの生き残り、ビクトル少年の知恵を教えてもらいます。
虫について。
<いちばん効果があるのは、馬糞を利用する方法だ。ズタ袋の中には折りたたみの布製バケツが入っていたから、それに水を汲んで拾った馬糞を落とし込む。しばらくして水が黄色っぽくなったら、その上澄みを首筋に塗りたくるんだ。帽子の内側にも塗ってそいつをかぶると、さすがに虫たちも全然寄ってこないんだよ。だから虫で苦労したことはほとんどなかったね。>(219P)食べ物について。
コサックの子どもたちは、小さいころから機会あるごとに草の知識を与えられる。・・よくわからないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても多分大丈夫。すぐしおれるものは、あぶない。匂いも嗅いで判断した。・・・でも、いちばんビクトルを支えた食べ物はクルミだった。(237P)水について。
大人の身長より高い木が生えているところを流れているのはいい水だ。岸辺に木が生えて流れはゆるやか、川を覆う木の影に魚の姿がいっぱい見えるところならそれはもう素晴らしい。ブルーベリーも大事なことを伝えてくれたよ。上流から下ってくるブルーベリーが草むらに流れつく直前の水はとてもいいんだ。(233P)コサックの人間について。
コサックは、追いつめられても途方に暮れない。満州時代、川の氾濫のため、家も開墾した農地も流されてしまったコサック村があった。すべてを失った村の人々は声をあげて嘆き悲しんだ。そのうち一人の男がかろうじて手元に残ったバラライカを弾き始めた。一人二人の歌声がやがて全員の合唱となって響き渡り、全壊した村を前に踊りの輪ができあがった。そばでそれを見ていた特務機関員は「日本人にはありえないこと」と半ば呆れ、半ば戦慄を覚えたという。 彼らの不敵さと不屈さは、ビクトルのなかにも生きていた。(253P)
どんな苦境にあっても、顔をあげ、太陽に感謝し、歌をうたい歩き続けた。驚くべき不屈な姿です。
自然とともにあるコサック人の魂がビクトル少年に宿っていたと思います。
想像するのも悲惨で残忍な事実もありましたが勇気がわく本でした。
ビクトル少年は、日本に統治されていた満州国のソ連国境に近いハイラルという軍都で1935年に生まれました。
父親は日本人の毛皮商人、母親はロシア人のコサック娘の長男として。
満州に亡命したコサック人の祖父から日本人として唯一、コサックの伝統を受け継ぐ少年は、ハイラル育って10歳で敗戦をむかえます。
後年、大人になってからはサンボ(格闘技)で世界的に有名になりました。
でも、ロシア国技サンボの覇者として認められることより、独りで満州国から引き揚げた少年時代が人生のハイライトだったと語っています。
それは、母や祖父からコサックの伝統、生き抜くサバイバルのし方を授かって、あきらめず満州の大地を踏破したからでしょう。
少年は、ナイフを持ち、馬に乗り、木の実をとり、川を渡り、自由闊達でした。
悲惨な場面にいくども遭っても、慎重にサバイバル力を活かし乗り越えてゆく。暗くない話、逆に明るい話なのです。
コサック少年が極限におちいった日本人について言ったことばです。
日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちしてパニックになる。(272ページ)
私のことを言われたようで、頭をガンと殴られた気がします。
日本人の本質をついていることば。かみしめなくては!!
後編に続きます。
最近、一番おもしろかった本です。
1935年生まれ77歳のビクトル古賀さん、当時10歳の時のお話です。
終戦直後の満州動乱の中、ビクトル少年は北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独り完歩したそうです。
太陽をあおぎ、食糧、水、マッチも持たずズタ袋にナイフ1本で。
その驚愕の体験記が基になった本です。すざましい生きざまに感動でした。
1000Kmとは、車で長崎ー東京間(高速で約1200Km)子どもがとうてい歩ける距離ではありません。
コサック最後の少年は、自然への洞察力、人間の極限を観る、生命力がハンパではありませんでした。
このビクトル少年の語るコサック人の知恵を学びたいとおもいます。
次回から紹介してみます。
長崎在住のマンガ家ペンネーム・ペゴロス、岡野雄一さんの本です。
この本は映画化が決定し、岡野さんは時の人。長崎の本屋で一番売れています。
マンガ本には、89歳の認知症のおかあさん・みつえさんとのホンワカとした会話やむかし話が描かれていて、昭和30年代の長崎がしのばれます。
会話は、もちろん長崎弁。「そう、そう、そげん言いよった!!」となつかしい。標準語の注釈もあって絵も温かいタッチです。
当時、三菱の造船所から船が着く大波止は、夕方、大勢の人がど〜っと下船してラッシュでした。そんな大波止が思い出されます。
私の母・としこさんも90歳。みつえさんと同じ認知症もでて、読んでいるとジ〜ンとしてきます。
戦争前後をたくましく生きてきた母たちの背景がうかがえるマンガ本です。
全国の本屋さんへ島Books棚を!!のプロジェクトは成立しました。
このクラウドファンディングには、引換券制度があったのです。
私がしたささやかな支援
¥3,000 円の支援で受取る引換券 在庫制限無し
ありがとうございます。1500円分のリターンに加え、『季刊リトケイ』03号(2012年7月20日発行号)をプレゼントいたします。 68人 が支援
それで、届いたのは季刊リトケイ、紙であそぶ闘牛相撲でした。
このプロジェクトを支援したキッカケは3つありました。
1)島で暮らそうという若い人を応援したい。
2)島Booksの本棚は対馬のヒノキ材でつくられる。
3)リトケイのオフィスは「世田谷ものづくり学校」
日本は島国。とくに長崎県は五島をはじめ離島が多いところです。
むかしは、島に仕事がないと若ものは都会へ出ることになりました。
でも、島にもネットが繋がり、物流も変わって島で暮らしながら、新しい情報はキャッチできる時代になりました。
島人よ、ゆかいに、ガンバレ!!です。