わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)


トヨタ自動車の会長・張 富士夫さんが長崎で講演されるのは滅多にないこと。12月15日の長崎ブリックホール国際会議場は満席でした。

たくさんのお話の中で耳に残ったキーワードは2つ。「先輩からの教え」「トヨタ式モノづくり」です。

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[「モノづくり」という言葉は日本の文化から生まれた]
心と技を後輩に伝え、育てようとするのが日本の文化です。これが製造業には残っています。モノづくりはここから生まれた言葉で、日本の文化なのだと思います。

[「モノづくり」の強さは人間尊重から生まれる]
トヨタ生産システムは人の意識で成り立っているということです。だから人を大事にする。人を生かすという基本がなければ、トヨタ生産システムは生きてこないんです。それが人間尊重、すなわちトヨタウェイです。日本のモノづくりのよさもそこにあります。人に生き生きと働いてもらうためには、人を大事にしなければいけない。そこにモノづくりの強さが生まれてくるからです。
                   HPサイト「名言OB」より



張さんは、アメリカでもトヨタ式を実践してきた人でした。お話には、重みがあり、落ち着いた語りを聴いていると「なるほど!!」と頷きます。

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日本の経済を担っているトヨタ。今年は、特に大きな試練をむかえて新しい道を摸索している大企業は注目の的です。

これからのモノづくりのゆくえはどうなるのか? こんな時期に貴重な講座を開いてくれた長崎伝習所に感謝します。

有り難うございました。



2011年12月15日の長崎伝習所主催・福地茂雄さんプロデュースの「自分新化講座」に行ってきました。

いつも、にこやかに受付で応対して下さるのは「ランタナ」市民活動センターの松本さん。出島のオランダ屋敷に住んでいた昭和30年頃のお隣さんです。

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松本さんと出島つながりがなければ、この講座も知らなかったかも。こんな蒼々たる講師人でを招いて面白い講座を企画される長崎伝習所はすごい!!

第四回は、トヨタ自動車会長の張 富士夫さん。「トヨタのモノづくり、人づくり」のお話でした。

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張会長さんはトヨタのトップ人。特別講座は満員で女性も多く、穏やかな語りで、トヨタ魂のモノづくり体験談でした。

つづいてお伝えします。




ピアノであそぼう!! 「ジングルベル」が12月のクリスマスに間にあいました。

小学2年のT君は、三兄弟の長男。わらべうたをあかちゃんの時からず〜っとあそんできました。

今年は体調が崩れて大変なときも。でも、よく回復してピアノも上手に弾けましたね。仲良し兄弟です。




5歳のH君は次男。元気はつらつ!!力いっぱいズズをふり下ろして鳴らす姿が可笑しくて。アハハ、、と笑ってしまいました。

後から聞くと、前日が餅つきだったので杵をつくスタイルに。 そうだったんですね!!

T君の「べンカイガ」は、2歳の時。まだ一人っ子でした。もう、三兄弟のお兄ちゃんになって、ニコニコ顔が懐かしいです。




第5回、あいおいニッセイ同和損保の社長・鈴木久仁さんのお話のつづきです。

この東日本大震災は、損保協会には特に存続を問われる大きな試練だった。トップは舵取りをまちがえられない!!という切迫した思いだったそうです。

鈴木さんは、3.11の時。地震慣れしている横浜生まれだが、人生初めて机の下に潜って瞬時に決断したこと。

それは、この国難で保険業界が信用を失わないように、第一にスピードと信頼を最優先したそうです。

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*危機に対してのトップの姿は。

現場力を発揮させるには現場力を信頼して任せること。
現場の決断が重要で、離れた所にいるトップの想像が及ばないことを知っておく。
決断と信頼のケジメを大別すること。
現場はがんばり過ぎて弱音を吐かないので、環境整備・人的配分を整える。

*最後に「現場力」を発揮する人材育成ためにしていることは。

コミュニケートが難しい外国に積極的に若い人を出す。
異分野の業界に出向して働き、幅のある人材を育てる。

話が面白くて長崎大学の副学長が「若かったら、鈴木さんの会社に入りたい!!」と最後に挨拶され、ホントウ二!!と思うほど魅力的な社長さんでした。

鈴木さんは、昔はあえて困難に立ち向かうタイプではなかったけれど、今の現実から「逃げない」と話されましたよ。




第5回は、あいおいニッセイ同和損保の社長・鈴木久仁さんの「現場力の発揮と経営トップの在り方」でした。

もくじ

1,損保保険とは
2,東日本大震災の被害状況と地震保険
3,現場力
4,経営のトップのマネジメント
5,震災対応での気づき

私にとって分り易かったのは、東日本大震災でエピソードをまじえてのお話。その中からランダムですがおもしろかったものを紹介します。

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*平常は現場の損害調査・事故原因の調査をしてから手続きをして支払うもの。 でも危機になった時はルールを超えることをトップは決断する。
全壊の家屋を一軒づつ調査するのでなく、早い時期に航空写真で判断して一括支払いをしたそうです。

*一刻も速く保険金を支払う。
鈴木さんは、この危機で今、損保の道を誤ると100年信用が失くなると即決断して 「鬼のように払え」と指揮したそうです。
3.11震災で支払った保険金1兆1,849億円(解決件数・98.6% 2011.11.24時点)

*多額の保険金を支払うことで保険業界が潰れるのでは?不安を解消するために情報を発信したそう。その情報発信をTV番組の中で毎日続けたそうです。

つづく。




松庫商店の”生からすみ”が味わえるには、もう一つ味もありました。池田さんの選んだ絵本がたくさんあったのです。

池田さんは、長いこと東京で「子どもの本や」という児童書専門店をされ、毎月1回楽しい絵本を定期で届けるお仕事もされていたんです。

「子どもの本や」のチラシをもらいました。


お子さんの本選びに迷ったことはありませんか。
あふれるように出版されている本の中からどのようにして本を選んでいらっしゃいますか。

幼い子どもたちを見ているとその柔らかな心に潜む豊かな感受性や想像力、思考力や吸収力にいつも驚ろかされます。そうした力を持って伸びよう伸びようとしている子どもたちが絵本を楽しむことで、どれだけ豊かな人生経験できることでしょう。

幼い子どもたちはもともと本が好きです。幼いときに出会う本がとびきりおもしろく、心に深い満足を与えてくれるものであれば子どもたちは本に夢中になっていきます。思う存分本を楽しみながら美しさを感じる心を育み、考える力を養い、生きる力を心に深くたくわえていくことでしょう。

「子どものほんや」では、子どもが心から楽しめる選り抜きの絵本や本ばかりを揃えています。すてきな本をお一人お一人のお子さんの読書の経験や成長などに合わせながら、きめ細かく選んで毎月一回お届けしております。



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絵本もわらべうたも、子どもが「あぁ、楽しかった」という満足感をチョットづつ積んでいくことかもしれませんね。

お店の正面ガラスに【READING IS FUN】と描いてあるすてきな本屋さん。東京のお店を訪ねてみたくなりました。


「子どものほんや」
〒166-0004
東京都杉並区阿佐谷南1-47-7
Ter&Fax 03-3314-3455




私は、長崎に居ながら、生からすみは食べたことがなかったのです。


からすみというと、どうしても酒の肴、お酒が苦手な方には敬遠されがちですが、「生からすみ」はそんなイメージを払拭してくれる商品です。

「生からすみ」は3代目店主、上野初太郎が日本で初めて考案しました。当時、鰡(ボラ)卵の破れたものは干しからすみとして製品にすることができず、何とか別の商品にできないものかと試行錯誤の末生まれたのが、「生からすみ」です。

おかげさまで今では破れた鰡卵だけでは生産が追いつかず、干しからすみの原料も使うほどの看板商品になりました。
結果、昭和47年に、農林水産大臣賞を受賞致しました。
                         松庫さんのWebより。



さてさて、生からすみ丼です。

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一言、うまい!! ほんに、長崎のキャビアでした。

白ごはんに山芋のすり下ろし、青のりに生からすみがのっています。酒粕につけてあるのでぷ〜んとお酒の香り。まろやかです。

副菜のおにしめ。焼き魚、焼きトマトと南瓜。だし巻き卵とかぶにみそ汁。どれも家庭味です。これが800円で食べられるなんて!!

こりぁ、やみつきになりそうですよ。

つづく。




長崎の出島オランダ商館跡地に、からすみの松庫さんもお住まいでした。そこで「出島の集い」にお誘いにと、出店『まつくら』に伺いました。

松庫のご当主、上野順さんの妹さんの生からすみ丼のお店です。ほほう!! 生からすみ丼とは? 

妹の池田照さんは、「ここは、松庫の生からすみ出店・宣伝食事部なのよ」と。大きいテーブルに10個程の椅子、家庭的なマンション一室でした。

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池田さんは、長崎で生まれ育ち。その後、30年間東京に住み阿佐ヶ谷で「子どもの本や」をされ帰崎された方でした。

『まつくら』さんは、絵本があり、生からすみ丼が食べられる居心地のよいお店でした。

つづく。


からすみ茶屋 『まつくら』さん
長崎市東古川町3-11-201 
電話:095-827-1023 




島マルシェさんが、長崎県五島列島福江島の作り手と買い手をつなぐ手仕事市をひらきます。


素敵な島の作り手さんやワークショップがほくほくしながら待っています。
師走のすこし慌ただしいときですが、クリスマス前のうきうきする時期でもありますね。

あたたかいスープやパン、かわいい雑貨や陶芸、野菜などがたくさん集まります。

当日はキッズスペースも準備いたしますので、どうぞお子さんづれでもいらしてくださいね。



第1回の手仕事市がまじかになりました。

日時:2011年12月23日(祭日)
時間:10時 – 15時
場所:長崎県 五島市 上大津町 2154-1
  (旧福江空港前のコーヒー山)

島マルシェさん>>詳しくはここ

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五島の福江島でおもしろい市が始まりますよ。お出かけ下さい。




私が始めて活版印刷で作ってもらったのは、平成21年の年賀状でした。

名刺をたのみに音楽教室の近くの水田印刷さんに行くと、棚に活字があったんです。これは頼みたいと50枚作ってもらいました。

お店の棚には、インクで黒びかりした活字がずらり。でも、お父さんだけが活版印刷を細々としていて息子さんは継承されていないんです。

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活版印刷も廃業になると、活字の行き場は長崎印刷工業組合に。五島からもかなり来ているそう。

長崎活版巡礼展は、長崎に暮らしながら、地場の物、人、料理、伝統をつなぐ輪を広げている人たち「ナガサキリンネ」さんの主催でした。

同じように五島でも「島マルシェ」さんが作り手と買い手をつなぐ手仕事市をやろうとしています。

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長崎のわかい人たちの手つなぎ仕事が始まっています。

今回の巡礼展やワークショップで、活版印刷で作ったみたい!!と活版ファンが増えるといいですね。


水田印刷
〒852-8103
長崎県長崎市緑町8−10 一松ビル 1F
095-845-1550 ‎




巡礼展でみた活版道具のできるまでは気が遠くなるほど。道具をつくり出す先人の知恵がありました。

紙に活字が圧され、わずかですが凹凸の字に温もりがあります。紙に刻印された端整な活字が並んでいきます。

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いくつもの行程を踏んで出来た一個一個の活字たち。次に印刷の行程は、またたくさんの手間と熟練が必要です。

印刷工程

文選:原稿文によって活字の組み合わせを選ぶ。
植字:文の通りに配列ならべる。すき間を調整し組版に配置する。
結束:組版が崩れないように糸で全体を固定。
校正刷り:まちがいが無いか試し刷り。
印刷:正しく並んだ組活版を印刷機にかける。
解版:印刷が終了したら、インクを落として一個ずつ活字に戻す。

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緻密な道具とこの行程の手仕事とで作られて行く活版は消えて欲しくないですね。 続く。




長崎県立美術館で、本木昌造の起こした「長崎 活版 巡礼展」を12月3日~11日までしています。

なんと、無料。 五島から来ているトモちゃんと出かけました。

子どものワークショップ中で、クリスマスの図柄や、名前、いろいろ活版印刷が体験出来ます。

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服が汚れないようにと、子どもにブルーのだぶだぶエプロンがかわいい。手にインクをつけながらです。

アシスタントに手伝ってもらって、クリスマスツリーの文様やメッセージカードをカッタン、カッタンと押して、おもしろそう!!

10、11日は大人向け、親子のワークショップもあります。詳しくは、教育プログラムをご覧くださいね。

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トモちゃんから、大阪では、阪神淡路大震災で大阪の活版道具が全滅してもう出来ないと聞いて残念です。

今の世の中は、いっぺんに大量に印刷する方向に変わった。活版印刷はとてつもなく手間がかかる零細の手仕事です。

一旦、手仕事の道具が無くなれば、伝えたい人がいても無理な世の中になってしまった。

手間を惜しまず伝える人。道具。それをやってみたい若者。三つをつなぐネットワークはできないのかと思います。 続く。




第四回「出島の集い」。今回から読みすすめる『長崎手帖』ができました。

『長崎手帖』は、田栗奎作(たぐり けいさく)さんと真木満さんの写真つき小冊子。昭和30年〜40年ころの長崎の風景写真や人の声が聴けます。

赤の表紙で原册の2倍のサイズにすると大きな字になって分厚い。少し重くなったけれど、老眼ですから大きい字がいいんです。

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さっそく田栗さんご本人の「銅座町の生態」を音読しながら。銅座川は明治の末頃までは水もきれいで夏は、銅座の子どもたちの天国だったらしい。

石橋(大正橋)の上から飛びこんだり、どんぽ泳ぎでパチャパチャやっていると、橋を通る異人さんが人力車の上から小銭を投げていたそうです。

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銅座の釜屋小路は古くは川端通りと言われてたらしい。「長崎おもいで散歩」の写真集に『醉族館』の看板を見つけ、「あぁ!! 今もアル 、アル。」と松本さん。

こんど、通ったらお店と看板を探すのが楽しみです。




わらべうたが終わったら、エイちゃんのおかあさんから、おいもの差し入れです。

わぁ〜、おいも大好き!! 青いペーパーに一個ずついただきま〜す。

「ボク、これにしょう!!」「は、はやいなぁ。」「ふ〜ん、どうしよう?」
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「おかあさん、たべていい?」「むきかた、そうするんだ!!」「こうさ!! おいしいよ。」
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このおいもは、通販でお取りよせらしい。もしかすると、先日の「らっぽっぽ」の安納大学芋とおなじかも。おいしかったね!!

おごちそうさまでした。




我が家にMac登場の2年前1999年。初めてPCは、高3の息子にひょんなきっかけで来たんです。

知人が富士通FMVを息子に貸してくれる。でも3ヶ月で返す事になったんです。

イカン、これは息子に必要!!と即、東京で買って帰る。1999年7月のことです。

富士通FMVノート225,540円。妹にビックリされたぐらい、大金だったんです。


Apple Form Factor Evolution 1976 through 2007


その後、息子は、富士通FMVから「PowerbookG4」に鞍替え。つづいて、2001年に私のアップル歴も始まったのです。

知人からは、「今から世の中は、ウィンドウズだよ。」と。でもワクワクするのはMacだった。それからが私の悪戦苦闘の始まりだったのですよ。

好きなMacで、息子はIAMASに入学しました。


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