わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)


栗の季節になりました。

近くの野菜屋で栗が安かった。一袋600円でした。

同じ日に、もっと大きい栗が轟街道ふれあい市で600円です。

買わずにはいられませんでした。剥く大変さを忘れていた!!

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そのバカさかげんを嘆くと「しぶ皮煮にしたら?」とアドバイスでした。

だけど、栗ごはんより面倒なことがわかっています。

しぶ皮煮は、まるごときれいに剥かなくちゃイケマセン。あ〜ァです。

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大量買いの罰で、しかたなかと栗むき器で剥く方向を逆にしました。

栗のザラザラ底からツルツルに剥く。キズつけずは3分の1でした。

まだまだ材料下ごしらえ中、またこれからが長い!! かかった時間2時間。

くたびれたぁ。




もうすぐお彼岸です。お墓そうじに妹とでかけました。

くもりはそうじ日和、用意万端ぬかりありません。

お墓のよこの土神に赤いものがチラリと見えます。

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お盆のときのお供え花、ホオズキが透かしホオズキになっていました。

透かしホオズキは、葉脈をきれいにのこすのに手間がかかります。

40日間の雨風で透かしになっていました。よくぞ残っていてくれた!!

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長崎では土神を「つちがみさま」といいます。

中国の風習が伝わり、家や土地、それに豊作を願い祀るそうです。

お墓に当然あるものだと思っていたら長崎だけらしい。

長崎は中国とも深くつながっています。




長崎の米どころ・諫早市の小長井の田んぼです。

梅雨どきの田植えから3ヶ月がたちました。

国道207号線から登るとすぐ田んぼ。稲が育っていくのが楽しみです。

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6月20日 田んぼに水がたっぷりひかれて泥水が満々でした。

6月27日 田植えしたすぐのころ。雨がポツポツ、梅雨まっさかりでした。

7月19日 梅雨のぬけそうなころ、たまたま青空に白雲がくっきりでした。

8月22日 台風の影響で夕方からビュービュー風に稲がゆすられていました。

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一ヶ月で穂がたれていました。こんなにはやく成長していてビックリです。

これから、最後の実りまであと一息。ひろい田んぼでは、カカシがたくさん立って睨みをつけていました。

収穫までに台風が来ませんように!!




さいきん、武満徹の「◯と△の歌」をうたっています。

歌詞がステキな歌です。のびのび、ほがらかにうたうのです。


地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ 砂漠ハヒロイゼ ピラミッドハ三角ダゼ

空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ

空ハ青イ 海ハ深イ 地球ハマルイ 小サナ星ダゼ

地球ハマルイゼ 林檎ハアカイゼ ロシアハヒロイゼ バラライカハ三角ダゼ


そんな時、かわいいアオイ林檎を一個もらました。

きれか〜(長崎弁:美しい!!)

「林檎ハアカイゼ」ばかりじゃないゼ、とあまのじゃく。

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たべるのがもったいない!! こぶりで手にすっぽりはいります。

はじめてみる林檎、しばらくながめていよう。




小型ながら世界で一番多目的なカメラ、GoProがすごいです。

ヘッド装着ベルトにつけてスポーツ全般、サーフィン、スノボーするのを撮ったりもできるカメラ。

GoProで撮った動画がダイナミックで美しいんです。

ハワイの夜景。海でサーフィンをしている女の人、女の子もカッコイイ!!

ワイド画面でどうぞ。


球体レンズでワイドな撮影ができて、防水なので水中もOKです。

実物を見せてもらって、手にとるとその小ささにビックリでした。

カメラの大きさを身近なiPhone4と比べると、約3分の1強のサイズです。厚さは約3倍、コンパクトでスマートでした。

GoProイイぞ、ハワイにもまた行きたいなぁ!!

製品特徴:amazonより
GoPro HD HERO2 アウトドアエディション[CHDOH-002]
本体サイズ:約60mm×42mm×36mm(レンズ球面部含まず)
ハウジングサイズ:約72mm×66mm×41mm(※レンズ球面部およびステー部含まず)
本体重量:約169g(本体:約97g ハジング:約72g)






台風が心配な日でしたが、ワークショップは楽しく終わりました。

前月の復習と、瓶にいれた玄米をついて「ぎっちょ」あそびからです。

ジャグリングを始められた先生には、披露してもらったりもしました。

鶏の米つきおもちゃも「わぁ、かわいい!!」と人気を集めました。

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プログラム

1)ぎっちょ ぎっちょ
2)こたんぼう
3)ももや ももや
4)ひっちょこ はっちょこ(波佐見)
5)かごかご十六文
6)カリンバ
7)伝承お手玉

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いつものことですが、お話をしながらのワーックショップなので突然、復活わらべうたも出てきます。

昔に使っていた布おもちゃを思い出してあそぶ・・こんなこともできる少人数ワークショップは面白いのです。

また、来月に布おもちゃを復活させてあそびましょう!!

次回は、10月28日(日)10:30の予定です。




先月、めずらしい珍味が北海道の礼文島から届きました。

美味でした。長崎にはありません。周りに食べた人も一人もいません。

それを勧めたいのが人情です。

ぬかホッケを味見してもらったら、アイルランドの黒ビールがでました。

はじめて飲むギネス・エクストラ・スタウトです。

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これが、ぬかホッケにピッタリだったんですよ。

生のぬかホッケに泡フワフワ黒ビールです。これはいけます!! 

バリっと身を剥いでは噛む、ゴクリと黒ビールを飲む。ヤッホ〜。

最高の取り合わせでした。シアワセきぶん。




1945年8月9日は、ソ連が旧満州に侵攻した日です。

その日、家族と離ればなれになってしまった少年。日本人の父とロシア人の母を持ちコサック少年として育った波瀾万丈がはじまります。

北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独りで歩き続けた10歳の少年。

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コサックの生き残り、ビクトル少年の知恵を教えてもらいます。

虫について。
<いちばん効果があるのは、馬糞を利用する方法だ。ズタ袋の中には折りたたみの布製バケツが入っていたから、それに水を汲んで拾った馬糞を落とし込む。しばらくして水が黄色っぽくなったら、その上澄みを首筋に塗りたくるんだ。帽子の内側にも塗ってそいつをかぶると、さすがに虫たちも全然寄ってこないんだよ。だから虫で苦労したことはほとんどなかったね。>(219P)
食べ物について。
コサックの子どもたちは、小さいころから機会あるごとに草の知識を与えられる。・・よくわからないものがあったときは、茎を折って、出てくる汁で見分けをつけた。みずみずしくて水分が豊かなら、食べても多分大丈夫。すぐしおれるものは、あぶない。匂いも嗅いで判断した。・・・でも、いちばんビクトルを支えた食べ物はクルミだった。(237P)
水について。
大人の身長より高い木が生えているところを流れているのはいい水だ。岸辺に木が生えて流れはゆるやか、川を覆う木の影に魚の姿がいっぱい見えるところならそれはもう素晴らしい。ブルーベリーも大事なことを伝えてくれたよ。上流から下ってくるブルーベリーが草むらに流れつく直前の水はとてもいいんだ。(233P)
コサックの人間について。
コサックは、追いつめられても途方に暮れない。満州時代、川の氾濫のため、家も開墾した農地も流されてしまったコサック村があった。すべてを失った村の人々は声をあげて嘆き悲しんだ。そのうち一人の男がかろうじて手元に残ったバラライカを弾き始めた。一人二人の歌声がやがて全員の合唱となって響き渡り、全壊した村を前に踊りの輪ができあがった。そばでそれを見ていた特務機関員は「日本人にはありえないこと」と半ば呆れ、半ば戦慄を覚えたという。 彼らの不敵さと不屈さは、ビクトルのなかにも生きていた。(253P)


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どんな苦境にあっても、顔をあげ、太陽に感謝し、歌をうたい歩き続けた。驚くべき不屈な姿です。

自然とともにあるコサック人の魂がビクトル少年に宿っていたと思います。

想像するのも悲惨で残忍な事実もありましたが勇気がわく本でした。




ビクトル少年は、日本に統治されていた満州国のソ連国境に近いハイラルという軍都で1935年に生まれました。

父親は日本人の毛皮商人、母親はロシア人のコサック娘の長男として。

満州に亡命したコサック人の祖父から日本人として唯一、コサックの伝統を受け継ぐ少年は、ハイラル育って10歳で敗戦をむかえます。

後年、大人になってからはサンボ(格闘技)で世界的に有名になりました。

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でも、ロシア国技サンボの覇者として認められることより、独りで満州国から引き揚げた少年時代が人生のハイライトだったと語っています。

それは、母や祖父からコサックの伝統、生き抜くサバイバルのし方を授かって、あきらめず満州の大地を踏破したからでしょう。

少年は、ナイフを持ち、馬に乗り、木の実をとり、川を渡り、自由闊達でした。

悲惨な場面にいくども遭っても、慎重にサバイバル力を活かし乗り越えてゆく。暗くない話、逆に明るい話なのです。

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コサック少年が極限におちいった日本人について言ったことばです。

日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげく気落ちしてパニックになる。(272ページ)

私のことを言われたようで、頭をガンと殴られた気がします。

日本人の本質をついていることば。かみしめなくては!!

後編に続きます。




最近、一番おもしろかった本です。

1935年生まれ77歳のビクトル古賀さん、当時10歳の時のお話です。

終戦直後の満州動乱の中、ビクトル少年は北満州ハイラル→綿州まで1000キロを独り完歩したそうです。

太陽をあおぎ、食糧、水、マッチも持たずズタ袋にナイフ1本で。

その驚愕の体験記が基になった本です。すざましい生きざまに感動でした。

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1000Kmとは、車で長崎ー東京間(高速で約1200Km)子どもがとうてい歩ける距離ではありません。

コサック最後の少年は、自然への洞察力、人間の極限を観る、生命力がハンパではありませんでした。

このビクトル少年の語るコサック人の知恵を学びたいとおもいます。

次回から紹介してみます。




ずぼらなぬか漬けをつくっています。

一夜といわず三夜ぐらい漬けた古漬け、とくに茄子が大好きです。

こまめに每日かきまわし、手入れをするのではありません。

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冷蔵庫に入れているので、気がむいた時だけかきまわす。

忘れている間は、寝かせているのよ!!というアバウトなぬか漬けです。

ぬか床の表面が白く変色しようが、手が臭くなろうが構いません。

さすがに、一週間もおくと色もわるく、酸っぱくなりますがよく漬かってて美味しいんです。

気にせずパクパクたべてます。

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白いご飯、ぬか漬け、味噌汁、煮魚の献立はおごちそうです。

定番はきゅうりですが、かぶ、大根、キャベツも美味しいですよ。



うた

ぎっちょ ぎっちょ こめつけ こめつけ ぎっちょ ぎっちょ こめつけ こめつけ・・・こめつけた

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あそび

しぐさあそびです。

おとなと子どもが向い合ってすわります。 おとなは、お米をのせているように両手をあわせます。

子どもは、その手のなかのお米をつくしぐさをします。すきな回数だけつきおえたら、交代します。



きろく

ことばも、リズムもシンプルで、節も2音で覚えやすいわらべうたです。 シンプルゆえに何回もできて楽しいです。

このうたにピッタリなおもちゃがあったので、それでもあそんでいます。

これは、板をあまり動かさず、下の玉を円を描くようにゆらしながらうたいます。これが、なかなか難しい。

カタカタカタ、、と鶏がお米をたべている音やリズムがおもしろいです。

(参考資料:わらべうたであそぼう 明治図書)




母のところから帰り、飽の浦を通りました。

この方角から長崎の港を見ると、海が凪でおだやかです。

すーっとした海と港にほっとします。

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旭大橋のてっぺんを通る時、左は長崎駅、右は大波止が一望できます。ちょっとしたパノラマ風景にであいます。

橋の上は車を止められないので、この風景は一瞬でモッタイナカ!!

ちょうど、橋から山のほうで花火が上がっているのが見えました。港からでない花火は長崎ではめずらしい。

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長崎はすり鉢状になっていて、小高い山の上まで家がビッシリです。

せせこましい。でも、下ると港に続いているので開放感があります。

きょうは、この凪の港に充電させてもらいました。




甥が帰って来るのを待って、妹の家のマーチは亡くなりました。

心臓に腫瘍ができてどうしようもない状態。よくがんばった!!

むかしのマーチの写真や動画をみていたら、凛々しい姿がありました。

2010年の元旦の朝、稲佐山。
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マーチは、散歩の気配がすると、庭中を駆けまわりしっぽを振って喜びをあらあわします。

若い頃、筋肉モリモリで先に稲佐山に登っては、まだ、来ないのか!!という顔で待っていました。この元旦の日の姿と同じでした。

ビーグルと秋田犬の雑種。ハンサムで、けなげな犬でした。

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この夏は、散歩もきつかっただろうに、、と妹はふびんがります。

でも、甥たちの懸命な酸素吸入の手当を受けて苦しまずにいったそうです。

カラフルな花がマーチには似合うと供花しました。




妹の家の犬、マーチが心臓病でぐわいがわるくなりました。

けなげな84歳の犬。先日から病院かよいです。

義弟が今年の夏から散歩にいっても、元気がないと言っていたのですが。

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もう、散歩に行こうにも体力がありません。

私が行くと車の音で解かって吠えなかったのに、最近はワンワンと吠えては怒られて、バツがわるい顔をしていました。

若い時は元気で筋肉モリモリ、やんちゃな犬。マーチ!!かわいかった。

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昨日までは薬もやっと飲めていたのに、それもできなくなってお父さんの帰りを玄関で 待っている姿に涙がでます。

妹家にも我家にも、いろんな出来事がこのマーチが拾われてきた14年間にありました。マーチといっしょに育ち、過ぎてゆきました。

さいごに会いたいと甥は、東京から急ぎ飛行機にのりました。


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