父の机を整理していたら木箱が見つかりました。
木箱の蓋に
「昭和23年3月1日午前2時半
卒業製図完了 懐中電燈の光にて
我が 三歳(ねん)の業なりぬ
熊本工業専門学校建築家
山口光臣
三十五才」
を見て頑張ってきた父の姿が目に浮かびます。
毛筆書きの父の履歴書二枚もみつかりました。
一枚目は本籍、現住所、生年月日に学歴、職歴です。
昭和15年に4ヶ月間西浦上小学校に勤務した後、満州に渡っています。
その後、昭和20年に官立彦根工業専門学校に入学しました。
しかし、終戦後に満州に渡っていた兄家族を心配して全員を連れ戻しに
満州へ行き引き上げたのが昭和20年11月だったと聞いています。
昭和21年春に現熊本大学工学部に編入学、木箱の蓋にかいた23年に卒業したのです。
昔の人らしく和紙にきちんと書かれた工事歴をみると満州から帰国して
長崎の高島、そして出島オランダ商館跡復元工事を施工監督したことが書いてありました。
何事も正面から集中力をもって行動する人でした。
うた
うちの せんだんのき せびがちいて なくよ 「★ドンドンシャンシャン ドンシャンシャン」
せびがちいて なかんときゃ びっきがちいて なくよ「★」
うちのくぐりどは くぐりよかところ 「★」
うちのくぐりどは くぐりにくかところ 「★」
1)操り人形をうたにあわせて踊らせる。
2)めいめい好きな太鼓やドラ、鈴、マラカスなどの鳴り物を持ち、うたいながら行進する。
それぞれのうたの「★ドンドンシャンシャン・・」で足踏みしながら鳴らします。
きろく
佐賀県のわらべうたで門くぐりあそびです。
手をつないだ隊列の一番端の門役2人を、反対の端の子がくぐっていきます。
他に”あっかとばい”では、2)のように賑々しくあそびます。
これだと2歳ぐらいから始められていろんな楽器が楽しめます。
人数がすくなくてもあそべますし、子どもは、お祭りらしくいろんな楽器を
「★ドンドンシャンシャン・・・」で鳴らし騒ぐのが好きです。
あたりかまわずドラや太鼓をがんがん鳴らすと、普段は耳を塞ぎたくなりますが
このうたでお祭りのようにはしゃぎ、踊ると楽しいです。
うちのせんだんのきNo.49は操り人形でうたっています。
(参考資料: 佐賀のわらべうた 音楽の友社)
何もヒットしない私は写真隊に変身です。
ちゃんぽんを食べ終わったら昨夜からの準備で寝不足とヒットの無さが眠気を誘います。
灯台の真下で昼寝と決めました。
カンカン照りでなくてよかったのですが、それでも私は灯台の影を選んで寝ます。
でも、甥は太陽をサンサンとあびても構わずこんこんと寝て真っ赤に焼けてしまいました。
もう、初心者は限界と12時間にわたる沖磯デビューを終わらせることになりました。
「いそかぜ」のお迎えを頼み、平瀬を後にしました。
16:50分、式見港に着きました。
お世話になったひげ船長さんと手伝いの人です。
ありがとうございました。 楽しかったです。
2010年9月9日の沖磯デビューは釣果0で終わりました。
後話ですが、8:30の大潮と満潮のダブル現象を見れたのは得難い経験でした。
もし、日頃と比べる経験あったら灯台真下までの海水にビビったでしょう。
沖磯釣りっていつもこんな風なんだって思っていたから慌てたりしなかったのですが
後からあんなのは異常現象だったそうな。
くわばら、くわばら、、、、
さてさて、おにぎりを食べ終わっても昼ごろになると初心者二人はお腹がへってきました。
ちゃんぽんを沖磯まで運んでくれる「いそかぜ」は別名ちゃんぽん丸と呼ばれています。
昼で帰るベテランの人とのタイミングで頼みました。
これが、おにぎり付きでこのボリューム、麺もさほどのびていず美味しかったあ!!
沖磯で海をみながらのちゃんぽんは格別でした。
でも、平瀬で何もヒットしない私とルアー無くしマンの甥は修行が足りなかったので
場違いのデビューだったのかも?です。
沖磯デビューは台風明け、大潮の満潮という朝に始まりました。
平瀬に毎週通っているベテランでルアーマンの人と同船できたのはラッキーでした。
さすがに平瀬を知り尽くしている方らしくいろんなアドバイスをしてもらいました。
息子に7:20、ダツが釣れました。ダツは食べられないらしくリリースです。
それからが、、、、、、何にも釣れないいです。
同行した甥も初心者なのでルアーをバンバン無くしライン結びの修行でガッカリ、グッタリです。
その間、ベテランの人は知り尽くした釣り場をぴょんぴょん変えてはフットワーク軽く
エギングをしてはアオリイカ。 他にオオモンハタ、ネリゴなどなど、、、、
あ〜あ、私は何にも釣れないんです。
出発日は早起き4:00です。
塩入と梅干入りのご飯を炊きおにぎりを用意しました。
熱中症にならないように大量の水分と塩分補給は大切です。
まだ明けやらぬ港で「いそかぜ」を待ちました。
台風後ですので海の中がどうなってるやら、、、、だんだん期待と不安でワクワクします。
5:20分に船着場に到着。
数台の車から降りた人たちは、明けやらぬ港でそれぞれ持船の出航の準備中です。
氷を200円でクーラーボックスに買っておくとか、竿の点検など。
ここで氷を買えることを忘れてコンビニで板氷2個を買ったのは失敗だった。
しばらくすると、バイクの音がして船着場を素通りして高台の堤防まで行き
海を眺め、またUターンしてもどってきました。
いそかぜ船の船長さんが海のシケ具合を確認に行ったのでした。
白ヒゲで有名な船長でした。 6:00出航。
沖磯へデビュー
ショアジギングを本格的に始めてたのは、2009年の5月からでした。
それからから半年は釣果0でした。
最初の釣果は2009年10月23日です。
太刀1、エソ1、オウモンハタ1でした。
それから、一年後のこの9月に息子が帰省してまたショアジギングの
新しい場所へのチャレンジの幕開けです。
沖磯に行きたいらしく私も沖磯グッズをにわかに用意することに
なりました。
新しく用意したのは、救命具と磯靴です。
ライフジャケットは大きくてかさ張るのでコンパクトサイズにしました。
磯靴は、フライ用のフェルト靴もあるんだけど、、、、と思ったけれど
スパイクが着いていなかったので揃えることにしました。
さて、目指すは沖磯の平瀬です。
明朝は4時起きで出発だ! 早く寝なければ、、、と思うのですが
どのくらいの準備が必要か?どうかで深夜までバタバタしました。
ベトナムのお土産にいただいたコーヒーが美味しくてびっくりしました。
チュングエンコーヒーNo.2というコーヒーでした。
一度にたくさん淹れておいて一杯目はホットで、冷めてからはアイスで
と飲んでいたらあっという間に、、、、それでネットで注文してみました。
香りもよく、味は濃くて少し苦いのですが甘みがあるので砂糖は入れません。
私は、氷を入れてブラックアイスが気に入っています。
ベトナムコーヒーは19世紀にフランスの植民地だったころ持ち込まれ
フランスの手法をとりいれてるそうです。
加糖練乳(コンデンスミルク)をまずカップに入れ金属の漉し器の中に深煎りした
コーヒー入れ、ゆっくり5分から10分かけた淹れ方だそうです。
私は、まだこの淹れ方をしたことは無いのですが、、、、甘くて美味しそう。
この夏はブラックでOKでしたが次回はベトナム流をチャレンジしてみますね。
パソコンや周辺機器をよく解りもしないのに、まずは使うタイプの私が
これ、面白い!と思った機器を紹介します。
息子の持っている Kodak playsport (プレイスポーツ)を使ってみました。
防水でサイズが57×112×21mmとコンパクト、HDのビデオカメラです。
わらべうたをビデオで撮ってYouTubeやVimeoに動画を上げているので
手軽に撮れるビデオカメラは気になります。
どうしても手ぶれが出ますが、、、、私がへたなのでしょう。
Untitled from yamada on Vimeo.
でも、軽量で防水、携帯電話の大きさは魅力です。どうしても、かさばるとついつい持っていかなくなるのでササッと
撮れてバックにコンパクトに収まるのはいいなあ。
うた
1・イギリス イギリス イギリス
2・日本 日本 イギリス 日本
3・上海 上海 イギリス 日本 上海
4・横浜 横浜 イギリス 日本 上海 横浜
5・五島 五島 イギリス 日本 上海 横浜 五島
6・武蔵 武蔵 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵
7・名古屋 名古屋 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋
8・八幡 八幡 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋 八幡
9・九州 九州 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋 八幡 九州
10・東京 東京 イギリス 日本 上海 横浜 五島 武蔵 名古屋 八幡 九州 東京
積み木を数うたにして並べドミノたおしをします。
たおした積み木の上を歩きます。
きろく
”あっかとばい”では、イギリス イギリス のまりつきあそびの他に2、3歳からあそぶ時は
ドミノたおしと橋わたりをしています。
小さいドミノたおしではなく大きい積み木なので積むのも、たおすのも
ダイナミックで面白いあそびです。
ドミノくずしの橋わたりは形が不安定なので用心してわたっていきます。
イギリス イギリス1 No.40は長崎新聞 2005年5月に掲載しました。
美味しいお土産品 二品
一品は、長崎のかまぼこです。
稲佐橋の近くにある杉永かまぼで、かまぼこの種類もたくさんあります。
ゴボウ、玉ねぎ、蓮根、チリメンジャコ、いわし、イカ、明太子、チーズ、などなど。
私は、薩摩揚げならぬ長崎揚げで野菜などがたくさん入っているのが好きです。
関東地方では、こんなに多種類で美味しい揚げかまぼこは見当たらないので長崎空港
の売店で買って上京の際はお土産に持って行きます。
二品目は、東京からのお土産品、虎屋の羊羹です。
昔から、羊羹といえば虎屋です。 このずっしりとした味は他にありません。
東京の羊羹と思っていましたが、1500年後期から朝廷の御用達で480年も続く
京都出身の和菓子屋だそうです。
「夜の梅」「おもかげ」「新緑」「空の旅」「阿波の風」「はちみつ」があります。
私は、「夜の梅」が大好きです。
歴史の古さがあの味にあらわれているのですね。
夏休みの最後に中学生四人で伴奏会をしました。
まだ合唱とあわせていない、できたてホヤホヤの曲を披露しあった一日でした。
「大地讃頌」「マイバラード」「笑顔を忘れてしまった君に」他11曲。
中学生になると、秋にたいがいの学校が合唱コンクールをします。
クラス対抗で課題曲と自由曲があって歌いあうのです。
それで9月に入ると、歌が苦手な人の早朝の歌練習やクラスが合唱で
まとまらなかったりすると居残りとかで大変らしいのですが、、、、、
実は、もっと大変なのは伴奏者なのです。
歌の練習が始まる前の夏休み中にピアノ伴奏曲を仕上げておかなければ
ならないからです。
曲の練習を毎日毎日、コツコツと暗譜(アンプ:楽譜を見ずに弾く)しては
根気よく弾いて積み重ねていきます。
丁度、高い塔を構築するみたいに、少しづつ、少しづつ。
伴奏者は、クラスがまとまり合唱する縁の下の力持ち的な役目を
引き受けたからにはがんばらなくちゃ!!と練習します。
頑張って縁の下の力持ちをすると伴奏するのが楽しくなります。
みんなクラスの為に、自分の為に頑張った夏休みでしたね。
通学路の昨今 2
昭和33年ごろの通学路で江戸町は川添ガラス店の先に質屋さんがあり、左折すると
ピンコロ坂が県庁まで続き、向かいは卸のお菓子やさんがあったのを覚えています。
ピンコロ坂も当時の小学1年生にはヤットコ登って県庁だと感じていました。
ヤットコ県庁に出てからは、新興善小学校まで一直線でした。
しかし、この一直線もまだまだ、学校に着かん!と思ってた記憶が蘇ります。
毎日通学していた新興善学校は2008年に長崎市立図書館になりました。
昔の通学路をふりかえると、今は車社会になってスピードも目まぐるしく
変わってしまったんですね。
通学路の昨今 1
昭和33年、私が出島から毎日通った新興善小学校への通学路です。
出島橋を渡りおわると少し下り坂です。
現在も丁度、小学1年生が橋を渡っていましたがこの子の目線でも
出島橋はデカイでしょうか。
右手は登本酢店でした。今は、ガゾリンスタンドになっています。
左手は100円パーキングになってしまった川添ガラス店です。
後ろの木に隠れているのは県庁です。
昔、川添ガラス店の前でピンクのシャツを着ていた社長さんをある日
失礼にも笑ったんでした、、、、すると、こっぴどく怒られたのを覚えています。
当時、男の人がピンクの服を着ているのはめずらしい時代でした。
記録の人
ためしてガッテン流ダイエットの再開を心に決め、今日から
また記録の人になりました。
これが、新しく買った最小計量50グラム体重計です。
シンプルに体重とBMI数表示のみで気に入っています。
ちなみにBMIとは( Body Mass Index )体重と身長の関係から
算出した、ヒトの肥満度を表す指数だそうです。
ためしてガッテン流ダイエットはいいわけもOKなんです。
このグラフは4月からの推移ですが、、、いいわけばかりしています。
なんと!朝からステーキも食べていました。
しかしながら、グラフが確実に下がってきていて脳に指令が入っているのが
目に見えて嬉しかったたんですが、、、、、、
どっこい、7月、8月に気がゆるみました。
三日坊主ならぬ三ヶ月坊主になったわけです。
でも、9月1日から記録の人になるよう誓ったのでした。
ガンバリマス。