私は、長崎の出島オランダ商館の跡地内に小学校から高校まで暮らしていたんです。
みんなウソって!!思うでしょうね。
そのことは 前回 もいいましたが、、、ここが、私のルーツと思っています。
平成23年の出島→昭和の30年前後の出島へ、、、、、出島さがしがまた一歩ですよ。
その先がまた解って、、、、、大正→明治?と逆行できたら面白いですね。
明治以降、誰がどのようにして出島に住んだんでしょう?
住んでいたからの素朴な問い掛けです。
今回は、昭和30年前後にお隣りだった漬物屋さんの松本さんに会いにいきました。
すでに当時、住んでいらしたおばあさんは亡くなられていて松本さんのお孫さんに
当たる方でした。
気さくな方でいろいろ教えて頂きましたよ。
現在、長崎市馬町にある長崎市民活動センターの「ランタナ」の所長さんをされています。
今も、松本さんのご実家は銅座町の漬物問屋さんです。
そのころ中学生の松本さんは「 ”オランダ屋敷”と呼んでいたんですよ」と。
そうです!そう呼んでいました。
当時、おばあさんは犬と一緒に漬物倉庫に暮らしていたそうで、ご自分は住んだ事はないと。
今はご両親も亡くなられて弟さんが家業を継がれてているそうです。
お母さんが生きていらしたら昭和の出島のことがわったかもしれませんが、、、、、。
我が家は当時、松本さんのおばあさんから一部屋借りていたんです。
やっぱりでした。隣さんの大きな倉庫引戸をヨイショと開けると薄暗くてガランとしていた
思い出と同じでした。
松本さんの隣は吉田塗料店、前は朝長病院、海江田病院、銭上倉庫などなど、、、
酒屋さんもあったのだけど名前が??
すると「県立図書館の昔のゼンリンの地図を手がかりにすれば?」とのgoodなアドバイス。
その当時のことやあれこれ話しているうちに、私の中で五里霧中だった長崎出島さがし
の手がかりがまた一歩、進めたように思えましたよ。