わらべうたとゆかいな日々
わらべうた 長崎のこと スモーク(くん製)

先日お会いした出島商館跡地のお隣さん、松本さんからありがたい情報が。

長崎出島にあった海江田病院の奥様がご健在だそうです。
当時、海江田病院にはとてもスッキリと美しい奥様がいらしたのです。

昭和30年代、7歳の妹と3歳弟は出島の海江田病院の待合室によく通っていました。
イヤイヤ、病気じゃなくてTV目当てなんですよ。

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病院の階段を2、3段登ると広い玄関が待合室。
数列ならんだ待合室の長椅子に、ふたりで仲良くチョコンと座ってはTVを見ていたものです。

私は、小さい首をのばして夢中でTVを見上げている妹弟を「夕ごはんだよ!」と呼びに。


越中哲也先生にもお尋ねしてみようと長崎歴史文化協会(歴文)にいってきました。
先生のお話では、奥様は日本ポルトガル協会の会員で歴文にもよくいらっしゃてたそうです。

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海江田さんを辿っていけば薩摩藩士。海江田信義のご一族で長崎に明治以降に医学の勉強に。
そして、その後耳鼻科の病院を出島でされそうです。
昭和30年当時の築は建て替えだったそうですが、とてもハイカラな洋風建築でした。

幕末明治期に来日したフランス人貿易商、ピニャテル親子の住居が出島5番地に。
ハイカラだったのですから、もしかして海江田病院になったのかもですね。

もしも、ピニャテル邸が、、、、海江田病院に渡っていったとしたら?
海江田病院の奥様にお会いしたら謎が解けるかもしれません。